2022/1/15

昼すぎに家事を終わらせ、図書館に行く。たまたま昨日インターネットで目にして読みたいなと思っていた本が、図書館の選書コーナーに展示されていて、みちびかれた、と思って迷わず借りた。こういう瞬間が好き。読める量しか借りない、と心に決めていたはずなのに、ふらふらと書架のあいだをさまよっているうちに、腕の中に8冊も積み重なっていた。

図書館を出たあとは、遅めの昼食がてら、ひいきのカフェに寄った。駅から店まで歩くあいだに、キース・ジャレットを聴いていた。いつもジャズが流れている店だから、ひと足早く気持ちをつくっておきたかったのだ。店主はジャズの好きなひとらしく、店内にはレコードがたくさんある。知っている曲もたまにかかるけれど、知らないもののほうが多い。それなのに、今日店に入った瞬間にかかっていたのは、まさに直前まで私が聴いていたキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』だった。こんな偶然があるのか、とおどろいたし、うれしかった。ピザトーストとコーヒー2杯で3時間ほど過ごして、ライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』と、小野不由美の『月の影  影の海』の上巻を読み終えたところで店を出た。薄々気付いていたことではあったけれど、想像の翼がすっかり折れてしまったことを思い知って悲しい。視線が文字を滑っていくだけで、意味は理解しても、あちら側の世界に行けないのだ。『オズの魔法使い』の、あんなにも色彩に満ちたあざやかな世界を、私は思い描くことができない。

夕食をちゃんと作った。塩鱈の中華風スープと、豚肉と大根の炒め煮。味は上出来。スープといっても、えのきやら水菜やらを思いきり放り込んだので、煮物みたいな密度だ。クリスマスを一緒にすごしたひとと、スープあるあるですよね、と話して楽しかったことを思い出して、ちょっぴり笑った。それから資格の勉強を1時間ほどした。企業経営理論のなかの、組織論について。体系立てて言語化された堅苦しい理論たちのなかに、自分の会社やクライアントとかかわるなかで経験してきたこともたしかにあった。机上と日常がひもづけられていく。意味を持つものに、説明可能なものになる。その気持ちよさがたまらない。

深夜になって、津波警報が出たらしい。ふうん、と思う。誰も死ななければいいと思う、でもそれはそう思うべきだから思っているような気がする。だってもしこれで誰かが亡くなったとして、私は悲しむことができないし、悲しむべきじゃないし、だから誰も死ななければいい、なんて正しい言葉を口にする資格はない。死には、悲しみには、遠近感があるものだ。つかむことができないはずの、遠く離れたところにある感情のことを、手にした気になって優しいふりをするのはずるい。そういう優しさを口にしている周りのひとがずるいって言いたいのではない、この話に他者は介在しない。私だけはそうすることをゆるされていない。私が今言ったとして、それは正しさたりうるかもしれないけれど、優しさではない。

世界のことがぜんぶ遠く感じる。このところ社会に怒ることもしていなくて、それ以前に考えることすらしていない。滅びようが腐り落ちようがどうだっていい、みたいなところにいる。あんまりよくないとは思う。自分の内側(と、自分に影響をもたらすごくわずかなもの。壮馬さんとか)のことばかり考えている。ちょっと昔にもどったみたい。昔とちがうのは、世界になじめない自分に苦悶してるんじゃなくて、世界になじんでしまった自分に苦しんでいるところ。調子は悪くない、と思う。死にたいとも思っていない。だからこれはむしろ、余力の発露だろう。自分で自分を楽しませてやりたいだけなのに、それができない。そう言葉にしてしまったらいよいよ目をそらせなくなった感じがする。そのことがくるしい。失ったもののことばかり考えている。想像の翼。書きたいものがあった頃の自分。何かを生み出せる側だったこと。世界のきらめきを、増やせる側だったこと。

あるときからぱたりとものが書けなくなって、ならばいまは飢えを満たす時期なんだろう、と楽観的にとらえるようにした。本や漫画を読んで、映像や舞台を観て、そうして触れたものが自分の血肉となって、いずれまたなにかをつくりだす礎になってくれるだろうと信じていた。でも、ほんとうにそうだろうか。空洞があるだけのような気がしている。放り込んでも、放り込んでも、うまらない空洞。このままそのほらあなを満たそうとしつづけていれば、いつかその縁から何かがこぼれてくるんだろうか。このさきずっと満たされることがなかったらどうしよう。そういう恐怖がひたひたと隣にいる。焦ったように他者のつくった物語ばかり貪っていて、作り手にも不誠実だ。

おれの現実には何もない… 誰ともそこまで深く繋がれない 身をちぎるような破局もない 空想の中の自己充足と無為な日常があるだけだ 悲しいことが起きたって それは全然 おれをしんから絶望させてくれないんだもん

清家雪子『月に吠えらんねえ』2巻より

ぐさぐさ来ちゃって、このページから先が読めていない。ひとと繋がれなくなった自覚はある。わかりあおうとすることを諦めている自覚。たぶん、だから何も書けないんだろうというのも、なんとなくわかっている。アイドルとか声優とか架空のキャラクターとかじゃ、生身の人間の代替にはならない。それがわかっていても、どうすることもできなくて他者のつくった物語に救いをもとめている。心臓を撃ち抜くような、一瞬で私の空洞を満たしてくれるような一撃を期待してしまう。