記録:2022-Feb

読書は先月ほどしなかったけれど、私にしてはめずらしく映画をよく観た月だった。明日から三月だって?勘弁してよ。

■書籍

上橋菜穂子『鹿の王』2・3・4巻

この人の創りだす世界にあこがれて、架空の国や民族や食べ物を考え出しては名前をつけてばかりいた時代が私もあった。あの翼はどこにやってしまったのだろう。

C.S.ルイス ナルニア国物語シリーズ『魔術師のおい』『ライオンと魔女』

土屋京子訳の光文社古典新訳文庫だと物語の時系列順で『魔術師のおい』のほうが1巻、瀬田貞二訳の岩波少年文庫だと刊行順で『ライオンと魔女』が1巻になっている。図書館で先に出会ったのが光文社のほうだったので、『魔術師のおい』を先に読んで、そのあと実家に帰った折に本棚にあった岩波少年文庫で『ライオンと魔女』を読んだ。岩波少年文庫はナルニア国物語シリーズのほかにも実家にたくさんあるから、これからも戻るたびにちょくちょく読みかじるのが楽しみ。

大岡昇平『野火』

ちょうど読んでいたときに斉藤壮馬さんのEPがリリースされて、そこに収録されているうちの『埋み火』という曲がなんとなくこの本の印象と結びついた。あるいは「火」という漢字から単純に連想しただけだったのかもしれないけれど、彼のインタビュー*1を読んで、あながち誤りというわけでもないのかもしれない、と妙に納得した。『野火』も、敗残兵の主人公が熱帯の自然の中をひとり歩いてゆく話だったからだ。

「埋み火」はコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」という作品に影響を受けました。崩壊してしまった世界の中で父と息子が歩いて行く、みたいな話ですね。

トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』

これはどうして手にとったんだったかな。村上春樹の文体があまり好みではないので、自分にしては珍しい選択だと思う。背表紙の紹介文になんとなく惹かれたのだったかもしれない。さみしさがきれいで、透明なかなしみがひたひたと肌を覆っていく感じが好きだった。

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

すっごく良かった、というか、あちこちで書いたけれど、今の私がもっとも必要とする言葉ばかりだった。これはきっとこれから先も幾度となく読みかえすことになるのでしょう。

恒川光太郎『夜市』

恒川光太郎を初めて読んだのは先月のこと、斉藤壮馬さんが言及していた『草祭』である。現実と非現実のあわいをにじませるような穏やかな不穏さが気に入って、ほかのも読んでみたいと思っていたところに、大学の同級生がたまたま同じような時期に恒川光太郎に熱を傾けていることを知った。私もこのあいだ読んだよ、と連絡をとったら勧めてくれたのがこの『夜市』だった。淡々としているようでいて幽玄な世界、すばらしく好きだった。夏の夜にじっとりと汗をかきながら読み返したい。ホラー小説大賞を受賞した作品だけれど、解説の東雅夫もいうように、これはホラーというよりもファンタジーだと感じた。薄暗いファンタジーほど好きなものもない。解説といえば、この一文は読みながら大きくうなずいた。山尾悠子のような、文体からして読者を惑わせて世界に導くというのとはまた違う。

作者の文章には、奇を衒った表現や難解な語彙など、まったくといってよいほど見当たらない。レトリックに凝るタイプではないのだろう。作中で用いられる個々の言葉自体は、いたって平明で、誰もが思いつきそうなありふれたものばかりなのに、それらが最新の手つきと豊潤なインスピレーションで組み合わされることによって、誰も思い描いたことのないような、この世ならぬ奇妙な輝きを放つ世界が活き活きと描き出されてゆく過程は、なにやらん魔法か幻術の類を見せられているかのようだ。

恒川光太郎『夜市』 東雅夫の解説より

フランツ・カフカ『変身』

海外文学はどことなく苦手意識があって、とくに名作文学と呼ばれるものにほとんど触れてきていないのだけど、食わず嫌いってほんとうによくない。ものすごくおもしろかったけど、今自分は何を読んだのだろう、と首をかしげたくなるような奇妙な感覚に陥った。悲嘆に暮れたくなるような話に思えるが、冷静な文章がそういう感傷にひたることをゆるしてくれない。ただ書いただけです、さああとはあなた次第。そういう、無造作にこちらに投げ出された作品。私はまだこれを飲みくだす術を持たない。

神津善之介画集 東京堂出版
鎌田遵 写真集 アメリカ マイノリティの輝き

2022/2/27 - 地上のまなざし

ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(未読了)

なんとなく肌になじまなくて、けっきょく最後まで読みきれずに返却期限をむかえてしまった。冒頭のほうで目に留まったところだけ引用する。また時間をあけて出会い直したい作品。

わたしがまとっているこの肉体は、いろいろな能力をもっているのに、無、まったくの無としか思えない。自分の肉体が透明で、誰にも見えず、誰にも知られないという変な感覚。もう結婚することも、子どもを産むこともない肉体。ボンド・ストリートを進んでいく、この驚くべき厳かな行進の、大勢の人のなかのひとりというだけ。ミセス・ダロウェイというこの存在。すでにクラリッサですらない。ミセス・リチャード・ダロウェイというだけの存在。

■アニメ・ドラマ

平家物語

全神経を傾けて観たい作品なので、いちばん雑念が減る湯船のなかですこしずつ観ている。どのシーンもあますところなく美しい。breathtakingという言葉があるけど、まさにそういう感じ。日本画の美術館にひさしぶりに行きたくなる。

魔道祖師

これもちまちまと観ている。

大豆田とわ子と三人の元夫

どうして突然観ようとおもったのか思い出せないけれど、かなりのスピードで一気に駆け抜けた。田中八作という男のまとう雰囲気が元恋人に重なりすぎて居心地が悪かった(本人に尋ねたら似ていると言われたことはないそうだ)。坂元裕二の脚本はいつもほんとうにおもしろいし、琴線がびりびりとふるわされるけれど、思惑どおりに感情を動かされているように感じていつも悔しさが残る。

■舞台・ライブ

ヒプノシスマイク Rule the Stage Track.2

テレビでの一挙放映を観てからというもの、帝統のソロ曲『GAMBLE ZANMAI』のとりこになってしまい、あの曲だけでも観たいからという理由で映像配信サイトでレンタルしたうえに、それだけで満足できずに円盤まで買った。滝澤諒さんのパフォーマンスも、ラップのうまさもひっくるめて大好きな曲。円盤が届いたその日に酒を飲みながら鑑賞して、そのうちに楽しくなってしまってリビングで踊りくるっていた。翌日筋肉痛に襲われた。

ヒプノシスマイク Rule the Stage Track.5

映像配信で。TDD過去編。一郎と左馬刻の関係性がまぶしくて、それがぜんぶ泡となってしまうことを知っているだけにつらくてたまらなかった。エンディングの舞台挨拶で、一郎役の高野洸さんが作中の左馬刻の台詞を引用する形で「過去は変えられないけど、未来は変えられる」と言おうとして(コロナ禍がいつか終わる、という文脈だったような気がする)、「未来は変えられないけど」と言い間違えてはにかんでいたのが可愛らしかったのだけど、そのあとに「まあ、俺らの未来は変えらんねえかも知んねえけどさ」と自分のミスを鮮やかに回収していったのがすごかった。ヒプノシスマイクの世界において過去の物語であるTrack 5の位置付けを生かして結んだ挨拶に、彼の機転の速さと、舞台人としてのプロ意識を見た気がしてすっかり好きになってしまった。続編も発表されたし、ぜったいに友だちと一緒に行きたい。

劇団四季 アンドリュー・ロイド・ウェバーコンサート『アンマスクド』千秋楽

有給で行くコンサートがいちばん楽しい。劇団四季、行くたびに好きなひとが増える。

■映画

きみの名前で僕を呼んで

エンドロールのあいだじゅう、暖炉の前で泣くティモシー・シャラメがすごく良くて、そればかりおぼえている。おとなが子どもに手を出すなよ、と思うし、同性愛をエモさに回収しすぎるきらいがあったようにも思うけれど、観ているあいだは、とにかく作り込まれた映像美に酔いしれていた。

ウエスト・サイド・ストーリー

『ウエスト・サイド・ストーリー』鑑賞後記 - 地上のまなざし

ドント・ルック・アップ

世界が様変わりして、気分が沈んでどうしようもなかった夜に、映画好きの元恋人に何かおすすめしてくれと頼んで挙げてもらったうちのひとつ。今観たら劇薬かもよ、という忠告をしてもらったからか、思ったよりも冷静に観られた。リアルすぎてまったく笑えないあまりに一周まわって笑ってしまうという感じで、後味は悪いのにやっぱりおもしろい。

チャーリーズ・エンジェル(2019)

2022/2/26 - 地上のまなざし


ザ・ファブル 殺さない殺し屋

実家に帰って両親とぼんやりテレビを観ていたら放送がはじまって、チャンネルを変えるタイミングもなく惰性で観た。原作がおもしろいらしい、という程度の知識。アクションシーンは圧巻だった。