2022/3/13

午前九時半過ぎに目を覚ます。好きな声優の音楽に眠気を拭ってもらいながら、布団の中で一日の予定を組み立てる。布団を出たら、洗濯機をまわして、コーヒーを淹れて、朝食をとろう。それから身支度をして、そうしているうちに洗濯が終わるだろうから、洗濯物を干して、正午には出かける。こうやって時間の使い方をあらかじめ決めることが億劫な日もすくなくないし、決めたところでそのとおりに動けることもなかなかないのだけど、やることを決めてしまえば、いちいち思考することに疲れなくてすむからいい。家を出るところまではほぼ計画どおりに動けた。

図書館に寄って、読み終えたものを返却して、文庫をあらたにいくつか借りてから、専門書の階に上がる。今日手にとったのは鬼海弘雄の写真集『東京夢譚』と、冨田章の『ビアズリー怪奇幻想名品集』の二冊。これがどちらも好みに突き刺さるもので、ページをめくりながらずっとマスクの下で口元がゆるむのをおさえられなかった。オーブリー・ビアズリーは19世紀末のイラストレーターだ。アール・ヌーヴォー様式を偏愛する私の好みど真ん中。エロティックで、美しくて、妖しげ。そしてなんと魅力的な黒の使い手だったことか!一度観るだけでは満足できなかったので、手元に画集がほしくなってしまった。鬼海弘雄の写真集は、うってかわって現実をあるがままにとらえた、傍観者のまなざす町並みの、淡々とした作品たち。「写実的」という言葉を写真にもちいるのはおかしなことかもしれないけれど、でもそれがいちばんしっくり来る。ごくふつうの風景なのだ。あまりにふつうなので、最初にページをひらいたときには面食らってしまったほど。だけど何枚か見ているうちに、そういう平易な風景のどこかに、写真家の心を惹きつけた何かがあることがだんだんわかってきた。たとえば、立ち並ぶ家たちの屋根が織りなす直線的な模様の向こうに、丸みをおびた教会の屋根がすこし覗いているとか、そういうちぐはぐさ。なんということはない、人々の生活の空間のあちこちに、注視しないと見えてこない違和感が息づいていて、それを強調するでもなく穏やかにまなざす視線のあり方がすごく好きだった。写真のあいまに併録されていた随筆文がこれまた私の好きな文体だった。文章からも、写真からも、みずから他者とかかわりにいこうとする積極的な人ではないのだろうと感じたが、それはけして人嫌いを意味しない。一定の距離をたもって他者を静謐にいつくしむ、そういう姿勢がよく見えた。随筆のなかで、写真を撮ることを「ひとへのいとおしさの研究」と呼んでいて、なんだかそれがうらやましかった。私が文章を書く動機も似かよったところはあるが、私はまだそこまで他者を愛せてはいない。誰でも写真を撮れるようになって、写真に写るものよりも、写真を撮ることそれ自体に意味があるようになってきているように思う。写真を撮ることは、「今この瞬間を写真に撮りたいと思っている」という意思表示のための行為になりつつある気がするのだ。そうして撮られた写真のほとんどは、見返されることもなくメモリを食いつぶして存在し続ける。この写真家が、そういう手軽さに抗いたいと思っているであろうことも、随筆の中から感じとれた。風景をとどめておくというのは、もっと重たい行為なのだ。この写真集におさめられた写真は、建物や道といった無機物が対象で、人間はほとんど写っていない。それでも、そこにたしかに人間の生活があることを匂わせる。存在は不在でこそ雄弁になる。最初の一枚を見たときの拍子抜けするような思いから、ページを閉じるまでのあいだで、写真の見方が自分の中でぐんぐん変わっていくのがわかって、それがすごくおもしろかった。写真が喋りだしたみたいだ。時間がなくて、随筆をぜんぶ読みきれなかったのが惜しい。また次に行く時に読みたい。というかこれもほしい。

午後は有楽町に出て、宝塚歌劇団の月組公演へ。『今夜、ロマンス劇場で』と『FULL SWING!』の二本立ての公演。宙組はいくつか観たことがあるけれど、ほかの組を観るのはこれが初めてだ。『今夜、ロマンス劇場で』キャストも物語も何もわからずに臨んだけれど、これがすっごく楽しかった。今まで見た宝塚の演目のなかではいちばん好きだったかもしれない。脚本が良いというのはこういうことを言うのだ、というのを身を持って体感した。何も考えずにかろやかなコメディとして楽しむこともできるし、愛のありかたについて思いをめぐらせることもできる。笑いどころと泣きどころのバランス感覚がすばらしいし、キャラクターがすごく魅力的で、心を掴まれっぱなしだった。それからこれは宝塚観劇のたびに言っていることだけど、とにかく衣装が今回も最高だった。惜しみなく布をつかった豪奢な衣装がひらひらと舞う様を眺めるのには、ほんとうに言葉にしがたい幸福感がある。

文章にしたいことがたくさんあるし、読みたい本も山積みなのに、また週末が飛ぶようにすぎてしまった。楽しみでいっとき目をそらすことはできても、自分のことを好きでいられない苦しさを持て余していることにかわりはない。休みがほしい。自分とちゃんと向き合って、傷口を切りひらいて、膿を出すための時間がほしい。楽しんでいることにまで罪悪感を感じたくない。