記録:2022-August

9月も終わりに近づいてきているけど、8月のまとめ。もっといろいろ書きたかったことも考えたかったこともあるけど、そうしているうちにお蔵入りしそうなので泣く泣く切り上げた。

レイ・ブラッドベリ『十月の旅人』

『火星年代記』、『華氏451度』に続いて三作目のブラッドベリを読んでみて、私は相当にこの作家が好きであるという確信に至った。収録作の中でも『休日』はその哀愁の美しさに息をのんだ。もっとも、伊藤典夫の翻訳がど真ん中に好みであることも間違いない("A careful man dies" という掌編の題が『昼下がりの死』と訳されているのには唸った)。読んでいて気持ちが良い。

円城塔『これはペンです』

円城塔のこと、一生わからないのかもしれない。わからないなりにおもしろかった。

ジッド『ソヴィエト旅行記』

共産主義に夢を見たフランス人作家のアンドレ・ジッドが、社会主義を実践し、平等な社会が実現しているはずだと胸をふくらませて訪れたソ連で、理想郷とは程遠い現実に失望し、己の感覚に真摯に向き合った、ソ連批判の色の強い旅行記。出版当時、まだロシアを「理想の体現者」と見ていたフランスの共産主義者たちからは手厳しい批評を多く突きつけられたようだが、それでも自分の主張をひるがえすことなく、『ソヴィエト旅行記修正』でそれらに反論していく姿勢もふくめて、自分もこうありたいものだと思わされた本だった。今年読んだなかでは、『自由からの逃走』『キェルケゴールの日記』『哲学思想史』と並んでベスト5に入るかもしれない。

遠藤周作『深い河』

たしか友人と古本屋に寄った際に勧められて購入したのだったと思う。ガンジス河に惹きつけられてツアーに参加する日本人たちのそれぞれの物語が、オムニバス形式で進む。生と死と、それを取り巻く宗教的な感覚をていねいに紐解いてある。ものすごく好きだった。軽い読み口だと思ったらいつの間にか深みに連れて行かれているあたり、この本そのものがインドのようだよね、とは連れの感想だが、まさにそのとおりである。とくにキリスト教と遠からぬ距離で生きてきていながら、いまだ宗教や信仰というものの位置付けを自分の中で確立できていない私にとって、美津子の心情には共感するところが多かった。

光田剛 編 『現代中国入門』

いろいろな切り口の中国について。あまりぴんと来ない内容の論考も多かったが、日清戦争以降のざっくりとした日中関係の来歴をつかむという当初の目的は達成できた気がする。

梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』

講演録を書籍化したものなので、冗長さもあってやや読みにくいのだが、とにかく良かった。良かったと書くと他人事のようになってしまうが、日本人は読まなくてはならない内容だった。かなり身につまされる。朝鮮史の基本的な流れがそもそも頭に入っていない人間としてはところどころついていくのが難しい部分もあったけれど、ほかの書籍で変な先入観を自分に植え付ける前にこれを読んでおいて良かったと思う。並行して読んでいた光田剛編の『現代中国入門』の内容と重なる部分もあり、かなり根本的に自分の日本人としての立ち位置を見直すというか、見つめ直すきっかけにもなった。また先月読んだベトナム戦争についての知識を補完する効果もあって、点と点が線でつながってゆく感じもあり、ようやく第二次大戦後のアジア近辺の流れがつかめるようになってきた。解説で山本興正がクローチェの「すべての歴史は現代史である」という言葉を引用しているが、ようやく歴史を学ぶことの意味というのを、肌で理解できるようになりつつある。ずっと歴史が苦手だったのは、それが今の自分との関連性を感じられないものだったからだ。読めてよかった。

先月のベトナム戦争関連の書籍とあわせて、これらの現代史五冊をとおしてのもっとも大きな変化は、戦争というものがもたらす定性的な作用の存在について知ることができたことだろう。ぼんやりと、戦争は国と国の接面で起きる軋轢という印象を持っていた。戦禍の中にあっても、そこで暮らすひとびとのアイデンティティは連綿と受け継がれるものだと、形式上どちらかが侵略することはできても、中身を変容させることまではできないものだとどこかで思い込んできた。こうして言葉にすると自分の浅慮にぞっとするが、しょせんは、統治者の名前が変わるだけのことにすぎない、地図の上での境界線の移動にすぎないと考えていたということだろう。だからこそ今日、自分が生きる世界で過去の戦争について議論になることが、理屈としてはわかっても、感覚的に理解できていなかった。それが間違っていたことがよくわかった。戦争をするということは、その地域のひとびとの在り方を、民衆のアイデンティティを根本的に変える(叩き潰す)ような、すなわち内側から国を破壊する行為であり、戦死者や負傷者の数とか、経済的なダメージだとか、そういう定量的な結果よりも、それこそが侵略の残虐さなのだと。理論や構造や総体ではなく、そこに生きる人ひとりひとりに目を向けよ、という梶村の姿勢は、文中たびたび示される。

私は、自分の政治的な立ち位置が明確になったころから一貫して、日本は過去の侵略に対して今も謝罪を続けるべきだと考えてきたけれど、それはその立ち位置から導き出されるべき論的な正解でしかなく、「過去の清算」のために必要な形式的なものだと考えていた節がある。これまでに謝罪をしているからもう謝る必要などない、そう主張する人々と本質的にはなんらかわりがなかったということだ。それこそが梶村秀樹がもっとも厳しく糾弾する、戦争前後で日本人の意識が変わっていない、というところなのだろう。

社会の構造として受け継がけれてきてしまったものは、望むと望まざると、私の価値観にも影響を与えている。それを断ち切るのはむずかしい。正直、読んでかなり途方に暮れてしまった。いったい私は、どうやって自分の中に巣食っている排外主義に抗うことができるのだろう、そんなのは無理なんじゃないか、と。梶村秀樹がこの講演をおこなった1970年付近は、安保闘争やベトナム反戦運動、全共闘などで、民衆の声がかつてないほどに大きく、また侵略や戦争、差別にあらがう空気が濃かった時代である。読んでいると、梶村が民衆に希望を抱いているであろう口ぶりが随所にうかがえる。2022年、排外主義が吹き荒れる日本を見たらどんなにか失望することだろう。暗澹とした気持ちになるが、これに絡めとられていてはいけないのだという思いを新たにさせられた、価値ある読書だった。

北野勇作『カメリ』

これもたしか斉藤壮馬さんがどこかで言及していた作品だと思う。ヒトが消えた世界で、シリコン製の頭をもつマスターと、泥沼戦用兵器であるヌートリアンのアンとともにカフェで働く模造亀のカメリの物語。カフェの看板メニューは泥コーヒーと泥饅頭で、ヒトによってヒトデから作られたヒトデナシたちが店の常連。最初は設定についていけずぽかんとしながら読んでいたのだけど、読み終えてからの第一声は「おもしれー!」だった。最後まで謎の多い世界だったけれど、不思議なことに、読んでいて映像がちゃんと頭に浮かんでくる。カフェの看板メニューである泥コーヒーや泥饅頭は、読んでいるうちにだんだん美味しそうに思えてくるからおもしろい。砂場の泡を集めてビールの泡に見立てる描写なんかは子どもの頃のごっこ遊びの感覚をおとなが文章にしたような感じで、懐かしさもあるのだが、それに油断していると突然ぎょっとするような不気味な設定や、いやにおとなびた哲学的な思考が提示されて不安になる。背表紙のあらすじには「心温まるすこし不思議な物語」とあるのだが、わりとホラーっぽいというか、不気味な設定や残酷な描写もあって、その落差がぞわぞわとやみつきになる。そういう無邪気な残酷さをふくめて、子どもらしい想像の世界を再現しながらも、大人ならではの遊び心もちらほら見えて楽しかった。新海誠監督の『君の名は。』をもじっているのだろうが、カメリが自分と同じ模造亀に出会うも、遠目に見かけることしか叶わない場面で、「あの──亀の名は。」と文章が切れるところは、思わず声を出して笑った。カメリがハワイへ行く掌編なんかはちょっと『トゥルーマン・ショー』っぽさもあったし、きっと私が知らないだけでもっとモチーフになっているものはあるのだろう。

 

漫画

ダヨオ『YOUNG BLOOD EDUACATION』
井戸ぎほう『B.S.S.M』
星来『ガチ恋粘着獣 ~ネット配信者の彼女になりたくて』
高津『おかえりオーレオール』

オーレオールというのは、太陽や月に薄い雲がかかったときに、それらの周りに縁が色づいた青白い光の円盤が見える現象をいうそうだ。作者がどんな意図でこの題を選んだのかはあまり読みとれていないけど、そういうやわらかい光に満ちた作品だと思った。

キヅナツキ『リンクス』

私の好きな声優が出ているからと、友だちにもらったドラマCDを聴いていて、けっきょく原作が読みたくなって買った。『ギヴン』はアニメを視聴していてすごく好きだったけど、この人の漫画を読むのは実は初めてだった。絵が大好き!お話も好きなタイプのボーイズラブだったし、佐渡と中条のケンカップルがほんっとうに最高だったんだけど、「結婚しよう」という台詞に複雑な気持ちになってしまった。だって、結婚、できないし。ボーイズラブにおける「結婚」という言葉が、法律婚を意味するものとして使われるものではなく、単に永遠の愛を誓うためのものであることなんか百も承知で、それでもずるい使い方だと思う。この作者にかぎったことではなく、ボーイズラブが現実の同性愛とは切り離されてきた側面があることは否めないし、そうやってふわっと都合のいいところだけ同性愛を消費するのって差別の温存だよなと思うので。ところで、斉藤壮馬さんという「中の人」のことを好きになってしまったせいで、かえって彼の演じる役を個別のキャラクターとして認識しにくくなってしまって、声の演技の仕事はあまり真剣に向き合えていない(本職なのにほんとうに申し訳ないと思う)のだが、中条、すごく良かった!『ギヴン』のドラマCDももらったのでそちらも聴きます。

 

アニメ・ドラマ

殺人を無罪にする方法 Season 6

いつものことながらこのドラマは観ているのがひどくしんどくて、いったい自分はどうしてこんな苦しい思いをしてまで観ようとしてしまうのだろうと思うのだが、それでも最後まで観てしまうのは、(かなり誇張されているが)人間が清濁を併せもつ存在であるというところを妥協せずに描き出しているからだろうと思う。物語の登場人物というのは、だいたい「良いヤツ」とか「悪いヤツ」みたいな立ち位置があらかじめ決まっていて、その基本設定から大きく逸れるような行動はしない。良いヤツが悪いことをしたら、その時点で良いヤツではなくなってしまうから、良いヤツは良いヤツの記号ばかり強調されることになる。でも実際の人間は、善良で崇高な一面があるいっぽうで、悪意や謀略をいだき、正当化し、嘘をつき、嫉妬し、感情的で、判断を誤る生き物だ。このドラマに惹かれてしまうわけは、良いヤツも悪いヤツもいなくて、全員が良いヤツであり悪いヤツであるというところにある。そのせいで人間模様はぐちゃぐちゃに絡み合って話の展開は複雑きわまりないが、人がばたばたと死んでゆくような現実離れした状況設定にもかかわらず、現実味を感じるのはまさにそこが所以だと思う。どうしようもなく愚かな人間たちが生み出す残酷で醜悪な現実にあって、希望の光を灯すことができるのも、やはりその愚かな人間たちなのである、というのが全編に貫かれる思想ではないか。

時光代理人
PSYCHO-PASS 1期

劇場版の新作が決まったので復習がてら。

かげきしょうじょ!!

序盤で愛が養父から性加害を受けていたことを匂わせる描写がかなり厳しくて、そこで以前にも一度観るのを挫折していた。アニメ全体をとおしてかなり軽い口当たりの作風であるとはいえ、愛のかかえるトラウマの扱いがやや雑に感じられて、肌に合わないなあというのは今回も思った。でも色合いの好きな作品で、観ていて明るい気持ちになる場面も多かった。さらさの瞳に星が散っているのがすごく好き。きらきらした目、というのを文字通りに作画しているわけだけど、ああいうきらめきをたたえて世界を見つめることができたら楽しいだろうなと、さらさのことがうらやましかった。

ヴィンチェンツォ

おもしろかったはおもしろかったのだが、純粋なバディものとして終わってほしいという祈りは案の定届かず、わかってはいてもがっかりした。なんでもかんでも恋愛エンドにすれば良いってものでもないでしょうに、あれでかなり陳腐になってしまったなあという印象。結果的に『愛の不時着』の二番煎じになってしまっているように思えてもったいない。ヴィンチェンツォは最後まで「悪は悪だ」という姿勢を崩さないが、それでも視聴者の多くはあのふたりに肩入れせざるを得ないだろうし、人間の善悪の感覚ってほんとうあてにならないよなと思っておもしろかった。

映画

劇場版 少女歌劇レヴュースタァライト(3回)
ターミナル
パラサイト
ウルフ・オブ・ウォールストリート

この三作は、友人宅に泊まりに行ってみんなで茶々を入れながら観たもの。

観劇

劇団四季 CATS
ヒプノシスマイク Rule the Stage Rep Live side F.P

2022/8/3 - 地上のまなざし

Sexy Zone アリーナツアー

佐藤勝利さんに会えなくて残念だったけど、とてもとても良いコンサートだった。最後の挨拶で、松島聡さんが「人を幸せにする方法はたくさんあるけど、自分はアイドルという方法を選んでよかった」というようなことを話していたのがとても印象に残っている。これからまもなくしてドームツアーの決定が発表されたので、迷わずにファンクラブに入会した。