二十代の修学旅行

 午前四時に起きる。辺りはまだ真っ暗だ。タクシーを呼んで、数駅先の始発駅まで向かう。空港に着いた頃、見事な朝焼けに迎えられた。燃えるようなというよりは、早生の蜜柑のような黄色っぽい橙の空だった。搭乗を待つ人たちは皆同じように空にカメラを向けていた。
 飛行機に乗るのは、ほぼ三年前に韓国に行ったとき以来だ。ひさしぶりの空の旅を楽しみにしていたのに、離陸するなり眠りに落ちてしまったのが惜しい。連れなどは離陸の前から早々に睡魔の餌食になっており、なおのこと残念がっていた。
 午前八時過ぎ、米子鬼太郎空港に到着。この時点で旅の計画はまったくないが、とにかく腹ごしらえをしたい。空港から電車で市街まで出ようかと思ったが、時刻表を見ると電車は一時間以上ない。歩けそうな距離だったので、じゃあ歩くかということになって、古そうな瓦屋根の家が立ち並ぶ住宅地を抜けていった。どの家も昭和の気配を色濃く残した、私の好みの佇まいばかりだった。すっかり葉の落ちた枝に鮮やかに実を残す柿だとか、重そうに枝を垂れる柑橘の木だとかが軒先にたくさんあって楽しかった。ある家の玄関先では、猫が七匹ほどたむろして日向ぼっこをしていて、私たちが通りかかると首をぐるっとまわして視線で追いかけてきた。
 そうしているうちに海岸線に出た。砂浜はちいさく丘になっていて、頂上に登らないと波打ち際が見えない。そこに立った瞬間、どどーんと鈍く低い波の音がするようになる。波打ち際まではなだらかな傾斜がついている。
 そこからは海沿いのサイクリングロードに沿って一時間ほど歩いただろうか。午前十時頃、大漁市場なかうらにたどり着いた。観光客向けの大きな物産店で、境港で水揚げされた水産物の加工品などがたくさんある。併設されている食事処は開店前だったので、それまで店内を見て回った。空腹をまぎらわすために売店で買った蟹味噌まんじゅうが美味しかった。
 念願の朝食(というよりは昼食に近い時間だが)には、名物だというかにトロ丼を頼んだ。ほぐした蟹の身に温泉卵と長芋のすりおろしたものをかけて食べるもので、これがものすごく美味しかった。連れは鯵のたたきと烏賊の短冊の丼を食べていた。こちらも美味。いかにも観光客向けの店なのだが、かえってそれが旅行感を演出してくれて楽しかった。

画面左手前にピンク色の器に入ったかにトロ丼。ほぐした蟹の身が中央に、その周り3箇所に刻み海苔が散らしてある。画面奥には、たくあんの小皿、汁物の椀、しゅうまいの入ったせいろなどが写り込んでいるが、いずれも焦点は合っていない。

かにトロ丼

 食べながらそのあとの予定を相談していたら、一時間おきに来る電車が間もないということがわかり、最後はやや急いで食べきって慌ただしく店をあとにした。二十分ほど歩いて高松駅に向かう。単線のワンマン二両編成で、天井にも床にも座席にもゲゲゲの鬼太郎のキャラクターたちがいた。米子駅まで四十分ほど揺られる。車内はジャージ姿の高校生が多かった。

駅のホームから、隣のホームへの連絡通路階段を撮った写真。階段の側面にねずみ男のイラストが描かれている。

米子駅ホームにて

 米子駅で三十分ほど乗り換えを待つ。スマホを見ていたら久保田さんの薄桜鬼ミュージカル続投の情報が出ていて、駅で思わずガッツポーズをしたりしていた。米子から一駅、安来駅からシャトルバスに乗って足立美術館へ。
 足立美術館は、足立全康氏が一代で築き上げた財によって創設した、横山大観をはじめとした日本画中心の美術館である。もともと日本庭園の評価が高い場所だという知識はあって、いずれ訪れたいと思っていたのだが、足を伸ばせる位置にあることは空港の無料パンフレットで初めて知った。ほかに計画もなかったので、私が行きたいといって連れに付き合ってもらうことにした。
 開催中だった展覧会は「名画の感触 絵を見て感じる手ざわり」と「近代の美人画 清方・深水・紫明」、「冬の大観コレクション選」、新館のほうに「現代日本画名品選 水のある風景/祈りの美」とかなり見応えのあるもので、途中休憩しつつ、たっぷり四時間以上を過ごした。もともと現代日本画が好きなので、新館の展示はとくに楽しんだ。横山大観の『白沙青松』をモチーフにしたという日本庭園もたしかに見事で、枯山水とはいうものの、生命力に満ちた印象が良いと思った。借景になっている奥の方には、やはりこれも大観の『那智乃滝』をモチーフにしたという人工の滝もあった。人工の滝をつくることを開瀑というそうで、ほかに使いどころのなさそうな言葉のおもしろさがすっかり気に入ってしまった。『BLEACH』とかにありそうだよねと連れがいうので大笑いした。

後方の山を借景にした枯山水。白い砂に松やツツジの木が植わっている。手前には池がある。どの木もきれいに形を整えられている。

足立美術館の庭園。右手奥に「開瀑」した人工の滝が見える

 美術館を出た頃には日が傾いていた。安来駅まで戻るシャトルバスの中で見た大山の美しさが目に焼き付いている。冠雪が夕暮れの明かりに照らされて、薄暮に飲まれてゆく周囲からくっきりと浮かび上がっていた。おごそかな美しさだった。人はこういう姿をして山に神をみるのだろうと思うような神々しさでもあった。
 米子駅からバスにしばらく揺られ、皆生温泉街の旅館に到着。楽しみにしていた蟹料理である。はじめこそ、ほぐしては食べ、ほぐしては食べしていたのだが、そのうちにひととおりほぐした身をまとめて食べるのがおいしいということに気がついた。味噌とまぜたものを口いっぱいに頬張ると華やかな香りが鼻に抜けるのだ。まるまる一杯の蟹を食べるのは私も連れも初めてだったので、はしゃぎつつ格闘していた。ほかの品もどれもおいしくて楽しんだ。

画面に所狭しと料理の皿が並んでいる。奥側左、蓋の閉まった鍋物。奥側右、まるまる蟹一匹。中央付近、松前漬けの小皿、茶碗蒸しの椀。手前左、鍋物用の胡麻だれの入った皿。手前右、海鮮の小皿3種。

蟹!

 旅館の温泉に入って、疲れ果てて早々に寝たのだが、なにせ古い旅館なので、あちこちからすきま風が入って寒いことこのうえない。連れとふたりで体を寄せて眠っていたのだが、夜中、ふと息苦しさをおぼえて目を覚ました。寝返りをうとうとしたが、体が動かないのでよく見れば腹のうえに子泣きじじいがいる。恐怖に駆られたものの、声も出ないので、ひたすら目をつむってやりすごしているうちに再度眠りに落ちていた。息苦しさの正体は、寝相の悪い連れの脚が私の体のうえにのっかっていたものだったということには、夜明け頃、空が白んで部屋がうっすらと明るくなったときに気がついた。日中、街のあちこちで散々目にしたゲゲゲの鬼太郎のキャラクターたちが夢見に影響したらしい。

 

 二日目。いかにも旅館の朝食、という朝食を食べる。昨日の観光客向けの店といい、やはり学生時代の宿泊行事を思い出す。連れはまもなく三十だし、私も昨日で晴れて二十代最後の一年がはじまったわけなので、二十代の修学旅行みたいだねと話していた。
 九時すぎに旅館をあとにして、特急列車に乗る。

列車の中、座席のテーブルに二十世紀梨サワーの缶と白バラコーヒーのパックが並んでいる。後ろに写り込んでいる車窓は流れており、電車は走行中とわかる。

旅の伴

 鳥取駅についたのは午前十一時頃。ホテルに荷物を預けて、駅の近くを散策しているうちに、商店街のなかに古そうな純喫茶を見つけた。

地下に続く階段の入り口の上に、CAFE DE チャップリンの文字と、チャップリンの線画イラストが描かれた白い看板。階段の前には食品サンプルの並んだショーケースと、ランチメニューやケーキセットの説明が書かれた立て看板もある。古そうな印象。

鳥取駅前商店街にある喫茶『チャップリン』

 地下に降りると、赤い椅子が印象的な、年季の入った店内に迎えられる。壁紙にはあちこち落書きがあって、相合い傘のように懐かしいものもあった。テーブルには、誰でも自由に書き込みができるノートが置いてあって、表紙にはNo.587とあった。それだけ長い時間、いろんな人が書き連ねてきたのだ。家族や友人、同級生と来る人、恋人と来る人、推し活の遠征で立ち寄った人、旅行で来た人もいれば地元の人もいる。かつて地元だったけれど、ほかに移り住んでしまって久しぶりに訪れたという人もすくなくなかった。私はこういう、交わらない人たちがノートの紙面を介して邂逅するという体験がとにかく好きで、見つけると隅々まで熟読してしまう。どの書き込みからも、この店が愛されてきたことがよく伝わってきた。
 食事もスイーツもおいしそうで散々悩んだが、私はピザトーストのランチセット、連れはカレーを注文。ピザトーストはどうやら店主夫婦がホームベーカリーで焼いているものらしい。
 居心地のいいところで、いくらでも時間が過ぎてしまいそうだったが、正午をまわったあたりで店をあとにした。いつかまたおとずれる機会があれば甘いものも食べてみたい。
 鳥取駅からバスに乗って、いよいよ今回の目当てのひとつでもあった鳥取砂丘へ。
 どう形容すればいいのかわからないが、美しい場所だった。砂はやわらかく、歩を進めるごとにみしりと足が沈み込んでいく。「馬の背」とよばれる、高さ四十メートルほどの小高い丘があって、ほとんどの人は傾斜のゆるやかな東側の斜面から登るのだが、ときどき南側の急勾配のところから登ろうとする猛者もいる。そういう人たちは中腹で立ち止まったり、すこしばかり滑り落ちたりするものだから、遠目にも奮闘っぷりが伝わってきておもしろい。

一面の砂地。左奥は小高くなっており、ぱらぱらと人の姿が見える

ひろい

 かくいう私と連れもおもしろがって急な方から登ったのだが、これがすさまじくきつかった。運動慣れしている連れはともかく、私の方は幾度か音を上げかけて連れに運動不足を笑われていた。前の晩に旅館で『SASUKE』を観ていたこともあり、「そのうち競技エリアに砂地が組み込まれそう」と私が言ったら、「反り立つ壁かな」と連れが言い出したので大笑いしていたら砂が口に入った。砂でできた反り立つ壁は誰もクリアできないと思う。
 表面は強風にあおられて乾いた砂粒が入れ替わり続けているが、数日前に降った雪で砂の奥は湿っていて、一歩踏み込むと色の濃い砂が露出して足跡になる。ところが、斜面の一部分、頂上から五メートルくらいのところだけ、なぜか足跡が残らずなめらかな表面を保っている帯状の場所があった。どういう仕組みかはいっこうにわからなかったが、その帯の上から砂を流してやると、まるで水のように丸みを帯びたやわらかなかたまりになって流れ落ちてゆく。あとで知ったが、簾のようだというので「砂簾」とよばれる現象らしい。それが美しくて、連れと童心に帰って砂遊びに耽った。
 頂上はなおのこと風が強く、あちこちで風紋が見られた。曇りがちの日だったが、ときおり雲の合間から日が差すと、陽光が風紋の縞模様に反射してきらきらと光るのが美しかったし、風に巻き上げられた砂粒が砂丘の輪郭をぼうっとぼやかすのもきれいだった。

画面全体が砂地。砂の表面には波状の模様(風紋)ができている

風紋

風紋の写真、その2

まるで水中にいるみたいなゆらゆら模様

 砂丘のほど近くには砂の美術館がある。これも楽しみにしていたもののひとつ。会期はおよそ一年で、2006年以来「砂で世界旅行」をテーマとしてさまざまな地域にフォーカスした展示をおこなってきた。展示されている砂像は、接着剤などは用いず砂と水だけで整形され、会期が終わると崩されて砂に戻るらしい。第14期となる今回は『砂で世界旅行・エジプト編』ということで、スフィンクスやツタンカーメン、エジプト神たちはもちろん、市井のひとびとや動物たちの暮らしも砂像で表現されているのだけど……どれもがびっくりするほど精緻だ。背丈よりもはるかに大きな砂に緻密に彫り込まれた模様の数々には圧倒されるしかない。正直なところ、表現された像そのものについての印象は薄く、砂というままならない物体にたいして人間が成し遂げる、自然の厳しさへの克服という偉業に対する敬服という感情が強かったけれど、とにかく楽しんだ。600円は安い。

砂の美術館内の展示室。あちこちに大きな砂像がある(高さ5メートルくらい?)。画面中央にはルクソール神殿の像2体をかたどった砂像がある

近くで見るとより圧倒される

 日が暮れるまで砂丘にいたいと連れがいうので、ビジターセンターや土産物屋などもひやかしつつ午後五時の日没を待った。砂丘の中には街灯がないので、暗くなると海に出る船の漁火がよく見えるのだ。あいにく夕方にかけて雲が多くなってきてしまったけれど、晴れていればきっと星もみごとだろう。ほんとうは真っ暗になるまでとどまりたかったが、さすがに寒さに耐えかねて西の方にわずかに橙が残るくらいで諦めた。帳が降りきってしまえば帰り道もわからなくなりそうだったから、これはこれで良かったのかもしれない。それでも水平線には船の明るい光が星のように幾つかまたたいていた。
 鳥取市街に戻ったのが午後六時すぎ。目星をつけていた店はことごとく休業か満席で、考えてみれば忘年会の季節である。傷みやすいので県外には出回らないというモサエビを食べたくて、それがメニューにある店ばかり探していたのだが、四、五軒ほどもことわられただろうか、連れも私も空腹が勝ってだんだんとあきらめムードになりつつあったころだった。通りがかった小さな雑居ビルの軒先にモサエビの名を見つけて、おっかなびっくり入った店が、大当たりだった。
 カウンターが八席と、小さな座敷が四席?ほどの小さな店だった。寡黙な大将と愛想の良い女将さんがふたりで切り盛りしていて、カウンターのうえには大皿にもられた惣菜が何種類も並んでいる。先客は男性ふたり連れと、常連さんらしい男性がひとり。
 刺し身の盛り合わせにモサエビが入るか尋ねたら、いれましょうか?と快活な女将さんが言ってくれて、念願叶ってありつくことができた。地元では甘エビをも凌駕するといわれる味は伊達ではなく、頬張った瞬間にねっとりとした甘さが口に広がって、美味しかった!お通しのマカロニサラダ、青さのりの入っただし巻き卵、卵をたっぷりはらんだはたはたの煮付け、蟹味噌の天ぷら、サービスでいただいた蕪と大根のお漬物、ぜんぶぜんぶ美味しかった。
 私たちのあとから一人でやってきたいかつい雰囲気のお兄さんがなまこを譲ってくれたところから、そのお兄さんと、常連さんと女将さんもまじえて会話がはじまった。お兄さんは、なんでも好奇心で食べたことのないものを頼んでみたくなったが、いざ食べてみたら食感が苦手だったらしい。私も連れも好物なので、ありがたくごちそうになった。
 常連さんのほうは地元が鳥取で、かつては毎週のように来ていたものの、今は別の県に赴任していて、この日は帰省ついでに久しぶりに店を訪れたそうだ。大将とも気心の知れた相手のようで、何も注文しなくても、待っていればそのうちに料理が出てくるらしい。でも帰るときにはしっかり請求されるんだよなあ、と笑っていた。そんな話をしていたころ、大将が無言で茶碗蒸しを差し出して、目尻だけでにっと笑っていた。常連さんの方も黙って受け取るので、傍目に見ていてなんだかいいなあ、と羨ましく思ったのだった。
 東京から来て、昨日は米子に泊まったのだという話をしていたら、順序が逆だったら僕が明日楽しそうなところに連れて行ったのに!としきりに残念がっていた。案内したいところがたくさんあるんですか?と尋ねると、「僕は鳥取を愛してるんで」ときっぱり言う。私は自分の生まれ育った場所に対する愛着はないので、郷里のことをそういうふうに思えるのは羨ましいと思った。
 女将さんたちにことづけてくれればつないでもらえますから、次に来ることがあったらその時こそ案内させてくださいね、とあたたかい言葉をもらい、それなりに酔っ払ってしあわせな気分で店をあとにした。最後に蜜柑をふたつもらってしまった。
 店内のメニューにほとんど値付けがなく、けっきょくいくらだったのかもよくおぼえていない。ビール二杯、日本酒飲み比べセット、燗酒と冷酒それぞれ一合ずつと、まあまあ飲んでいるけれど、それでもひとり五千円かそこらだったような気もする。美味しかったし、素敵なお店だったからなんでもいいか。
 ホテルに戻ってからさらに300ccの酒瓶を開けて、かなり酔っ払って寝た。

 

 三日目。朝九時すぎにチェックアウトし、鳥取県内のコーヒーチェーン、すなば珈琲で朝食をとる。思ったよりも時間がなく、特急列車に間に合うために大急ぎで食べることになってしまったのが惜しかった。もうすこしゆっくりしたかったけど、テイクアウトしたコーヒーは美味しくて満足。
 鳥取から特急スーパーいなばに乗り、岡山で新幹線に乗り換えて京都まで。スーパーいなばは途中で列車の進行方向が変わるので、乗客みずから座席回転を手伝うというめずらしい経験をした。ところどころうつらうつらしつつ、連れは『ノートルダム・ド・パリ』を、私は『新撰組顛末記』を読んでいた。新幹線では、岡山駅で購入した寿司の駅弁を連れと分けて食べた。岡山名物のママカリのほか、鰆と黄ニラの寿司も入っているもので、これも美味しかった。
 京都で劇団四季『ノートルダムの鐘』の公演を見て、現場おさめ。大好きな作品で一年を締めくくることができて嬉しい。直前に原作の抄訳本を読んだばかりだった連れは、脚本についていろいろ思うところがあったようで、私よりも一歩引いた視点での感想をたくさん聞けておもしろかった。
 京都駅内でお茶をして、夕方、新幹線で帰途についた。連れとは名古屋で別れ、私はひとりで東京に戻った。イヴの夜からほとんどずっと一緒に連れと過ごしていたので、ひとりになってみると自分のどこかが欠けているような気がする。こんなに長いこと誰かといることはなかったのだが、苦に感じる瞬間がまったくなかったのはすごいことかも。
 行ったことのない県に行きたい、という動機から鳥取を選んだのだけど、すごく良い旅行になった。小学校も中学も高校も、修学旅行というものにあまり良い思い出がなかったので、二十代の終わりにこういう修学旅行ができてよかった。経県値、2023年にも上げていけたら嬉しい。