2024/5/9

7時半のアラームより前に目が覚めて、8時くらいまで新聞を読んでいた。もっと早く布団を出て活動を開始しておきたかった気もするけど、これはこれでありか。うんざりするようなニュースばかりだ。食パンに小動物が混入していたというニュースで、クマネズミだとわかったらしいと連れに話したら、まだ半分寝ている連れは「天国にたどり着いたと思っただろうに、かわいそうにねえ」とねぼけた声で言った。小麦にうもれて喜んでいる小さないのちを思わず想像して涙がこみあがってくるのを感じながら、とっさにそういう優しい言葉が出てくるこの人のことがほんとうに好きだなと思って笑ってしまった。

メキシコシティのホテルから持って帰ってきたコーヒーを淹れて、今日こそ仕事を進めるぞと机に向かう。コーヒーはなかなか悪くない。やらないといけないことを分解してリストにしたら少し落ち着いた。最初からこうやっておけばいいのはわかっているのに、手をつけるのが遅すぎる。新人ならゆるされるけど、7年目ともなるとワークマネジメントなんてできて当然とみなされるわけで、まあ過程がいくらぐだぐだだろうと納期までに仕上がっていれば何も言われない世界ではあるけど、ここ数年自分の成長をあまり感じていない気がして落ち込む。それでも手を動かしていればやる気は後からついてくるもので、少しずつ集中力はあがってきた。昼休みにメキシコ旅行の記録を付け始めたせいで途切れてしまったけど。

午後、祖母の通院がてら家の近くを通った母から喪服を受け取った。ついでにいろいろまた食材を差し入れてもらい、私はメキシコ土産を渡した。祖母はだいぶ病状が進んで、ずいぶん小さくなっている。

せっかく午前中に着火したはずのやる気は昼食後戻ってくることはなく、午後は会議をひとつ終えたあとはずっと旅行の記録をつけていた。今やるべきことではないことにかまけてしまうのも、ある種自傷に近い行為だなと思う。自分は痛い目を見るべきである、という自虐心がそうさせている。

夕食は、母の差し入れてくれた肉を焼いて、その肉汁でじゃがいもとアスパラガスも炒めて付け合わせを作った。塩加減がちょっと薄め。同じく差し入れのヤングコーンをグリルで焼いて七味マヨネーズで食べる。この季節のヤングコーンって大好きなんだけど、火加減がいまひとつだった気がする。もっと美味しくなれるやつであることを私は知っている。それでも初めて食べたという連れが気に入っていて嬉しかったので、今度ちゃんと美味しく食べられる店に連れて行こうと思う。あとは刺し身の盛り合わせに、昨日の残りの味噌汁。ステーキだからと赤ワインを開けたら思いのほか酔っ払ってしまい、創作のありかたについてしばらく盛り上がっていた。酒を飲むとけっこうな頻度で同じ話題に行き着く。連れはいつか書けるよ、というが、私はもうこの先書ける日が来る気がしない。でも、感覚の近い友人が絶賛していた作品を自分が愛せなかったことについて話していて、自分の中で軸とするものが見えたのはたしかだった。現実との接続性、重なりの幅の許容度が友人と違ったんだろうという結論。