260629 咲人Birthday @EX THEATER ROPPONGI

公式がセトリあげてくれるようになったのが本当にありがたい。18時過ぎまで会議で間に合わないかと思ったけど、開演が3分ほど遅れてくれたおかげで滑り込めてハッピーだった。

  1. nizm!nizm!nizm!
  2. Reach for
  3. Mr.trash music
  4. Gotta Get a Ghost
  5. UGLY DUCK'S WILL
  6. 極上脳振煉獄・弎式
  7. Honesty
  8. 赤触
  9. 殺したいほど愛してる
  10. SUPER BOOGER MAN
  11. ジャイアニズム碌
  12. ジャイアニズム痛
  13. ジャイアニズム究
  14. 煽動者

En

  1. Dazzle
  2. 惰性ブギー
  3. 時分ノ花

UGLYのイントロでよみくんが咲人さんの本名で煽ってて、次のMCで「おまえ名前言ってただろ!」って怒られてわちゃわちゃしてて愛だった。私、メアの話をするといつも愛の話をしているな。「ためらいもせずに引き金を引く」でよみくんが撃つ仕草して、咲人さんが撃たれて、後ろに反ったシルエットがちょうど照明で逆光に浮かび上がっていてなんだか映画のワンシーンみたいだった。

Honestyと砂がめっちゃくちゃ良かった。Honestyはギターソロで涙が出てきた。るかバの時もそうだけど、スロー~ミディアムの曲はライブで聴くと音の厚み・奥行きが増して、全然気づけていなかった良さに気づけるなあと思う。もっともっといろんな曲を聴きたい。砂のよみくん超かっこよかったなあ……るかバのときも思ったことだけれど、低音の声の厚みがかっこいい。最近どこかで「今が頂点だとは思っていない、もっとボーカリストとして成長したい」みたいな話をしていたことがあったと思うけど(それもるかバ?記憶がやばい)、少なくともよみくんの中でこれまでと比較して今のほうが高いところにいるという自負がないと出てこない言葉だと思うし、年を重ねてももっと先に行くという貪欲さを失わないのもかっこいい。

弎式ってほんと楽しくて好き。ソロ回しのところ3回とも咲人さんに振られてちゃんとアドリブでやりきるところ、さすがだった。頭の中でコード進行必死に考えたわ、と言いながら涼しい顔をしていて、文句なしにかっこいい。ひつバもにやバも行けなかったけどそこからの流れだったのね。

47とか直近のツアーで惜しくもセトリ入りできなかった曲を中心に選んだといいつつ、最後に本編ラストに煽動者を持ってくるのがなんだか咲人さんらしいなと思った。

2F最前で視界はめちゃくちゃ良好だったけど、安全のためスタンディングできなかったので、ちょっと物足りない。あと惰性ブギーとか縦にはねるタイプの振りの時は特に、客席がぐわんぐわん揺れててめちゃくちゃ怖かった。

るかさんが「もっと俺らを頼って」って言ってたのも、に~やさんが「作ってきた新曲めちゃくちゃかっこいい」って言ってたのも嬉しかった。よみくんの「咲人のために歌うから」も。年を重ねて円熟してきて、そういうストレートな物言いができるようになっていくのだなと思う。新曲、楽しみだ。

どの曲のことだか失念してしまったけれど、咲人さんが「この身を音楽に捧げるぜって気持ちでソロを弾いた」と発言しており、その言葉だけが今も脳裏に焼き付いている。メアのメインコンポーザーとしてだけではなくソロや楽曲提供も含め25年間曲を作り続けギターを弾き続け、それは咲人さんから切り離せない生き方・生き様であり、正しく音楽に身を捧げてきた人であることを、本人も周りも疑う余地はないけれど、25年やってきたことを、これからもやり続けると宣言できることに、羨望と憧れと。MCの中で、いつもの淡々とした口調で発された言葉だったけど、今の仕事をずっと続けるんだろうか、と迷っている自分には思いがけずぐさりと刺さった一言だった。

なんかもう今の自分はオタクではないなと思ってるんだけど、ゆるふわメアギャとして生きていくのが一番今の自分の性に合っているのかもしれないなあと思う。いつだって楽しくて嬉しいです。今年もお祝いさせてくれてありがとう。

秋ツアーが決まったのも嬉しいんだけど、また初日がベイホ。遠いしいつも雨だしバカの柱で視界最悪だし嫌いすぎる箱、勘弁してくれ……。といいつつ申し込みましたが。

 

咲人さん、私はUnderdogが聴きたいんですけどどうですか?ぜひ来年のご検討をお願いします。次はよみバ!よみバすごく久しぶりだ。楽しみ。

260404 NIGHTMARE Tour 2026 "Reach for" ※セトリバレあり

@横浜BAY HALL

※セトリバレ有

 

ベイホが嫌いすぎる。ほんとうに。もう次こそは絶対申し込まないぞと思いつつ、だいたいツアー初日だし、遠征しない私にとっては貴重な東京近郊会場なのでなんだかんだ申し込んでしまう。で、毎回どんどん嫌いになる。何が嫌ってまず家から遠いし、駅からもくっそ遠いし、それでいて毎回雨降るし(咲人さん「気のせい?」って言ってたけど全然気のせいではない)風強いから濡れ鼠になるし、場内はバカの柱で見づらいし。ベイホか~~~だるいなあ~~~~って思ってるうちに家を出る時間をずるずると過ぎ、けっきょく開場はおろか開演を15分くらいすぎて到着。ばかすぎる……。

新曲の扇動者がいちばん楽しみだったのに、セトリ後半だろうと思っていたら読み誤って聴き逃したのが痛い。Re:Doも聴きたかったし。自業自得ですけれども。

好きなセトリかと言われるとそうでもないけど、でも47のときに聞けなかった曲をいろいろ聴けて良かった。間違いなく楽しかったし。25周年を駆け抜け26年目の自分たちが何を見せられるのか靄がかかったりもしたけど、リハやってるうちにそれが霞くらいになって、今日みんなの顔を見てそれがすっかり晴れたよ、と語ってくれた咲人さんの言葉が嬉しかった。セブンティーンもナイトメアも、私の好きな人たちはステージが好きで、私もステージにいる彼らのことが好きで、一対一の関係でなくてもそこにたしかに絆はあるんだよなといつも思う。

ピラニアのイントロで客席から歓声が上がって、「ああいうの、嬉しいな~!」って言ってたよみくんも愛でした。柩さんのビジュめろかったのにバカの柱のせいでほぼお顔を拝めず悲しい。Mistの咲人さんがぴろぴろやってるところ、途中客席に背を向けてに〜やさんと目を合わせながら演奏していて、この人たちは楽器で語り合ってきたんだなあと思った。

 

入ったところから

  • Rebel
  • シュレーディンガーナイフ
  • ピラニア
  • ink
  • [N]
  • 久遠
  • Mist
  • B.A.R.K
  • Pierrot Le Fou
  • 極上脳振煉獄・弎式
  • Labyrinth
  • Reach for

Ec

  • 終わる世界の始まりは奇なり
  • HATE
  • 極上脳震煉獄・弌式
  • the DOOL
  • the FOOL

260207 ZICO TOKYO DRIVE

いくらちゃんとのコラボ曲DUETがかなり好きで、YouTubeで繰り返し聴いていたらインターネットのバナー広告にジコさんのワンマンが出てくるようになった。へ〜日本来るのか!と思って詳細を確認してみたら、いくらちゃんがゲスト出演することになっている。ちょうど予定も空いていてアクセスも悪くなかったので、DUETがライブで聴けるならばと、わりと迷わずにチケットをとった。先着の一般発売が始まって数日経っていたタイミングでもあっさり取れたので埋まっていないのかなと思ったけど、満員御礼だったようで何より。MCで「りらさんの出演が発表になってからたくさんの人が興味を持ってくれて」と話していたので、私と同じようなヤツがたぶんけっこういるんだろう。

ジコさんのことは好きだけれど、ファンといえるような熱量はない。ブロビはHERとかYESTERDAYとかメジャーな曲を知っているくらいで、かといってソロ活動のほうも真剣に追いかけているわけでもなく、ただArtistという2018年の楽曲が異様に好きなだけである。その程度でも活躍は目に入ってくるもので、年が近いこともあってなんとなく見上げている人ではある。

行って良かった。ほんとうに楽しかった。スポーツカーのセットも良かったし、映像を活かした演出も楽しかった。いくらちゃんのソロも2曲聴けて贅沢でした。

大本命のArtistはドあたま1曲目で、めちゃくちゃ上がる気持ちと、えっもう来ちゃうの?と惜しく思う気持ちで引き裂かれながら、でも音に体の動きをのせて、すっごく楽しかった。ああ、生きててよかったんだなと思って、そう思ったのはずいぶんひさしぶりな気がした(考えてみれば全然久しぶりなことはなくて、中島健人さんのステージでもそう思ったはずなのに、すぐに忘れてしまうのが悲しい)。

DUETも楽しかった~!この曲のみ撮影OKで、私も最初は撮っていたけど、踊りたいのが勝ってしまい途中で撮るのをやめた。撮っていたらどうしても画面に意識がもっていかれてしまうし、音を楽しめなかったらそれはやっぱ音楽じゃないだろと思っちゃう。私は音に体が揺れてしまうのが好き。ふたりが楽しそうで良かった。

DUETは、日本語と韓国語というふたつの言語を対等に扱う試みとしての音楽だと思っている。リリックビデオを見たときに、ふたつの言語が入り混じるのを見て心が躍った。英語中心主義と植民地主義が切り離せないのと同様の文脈で、過去の日本の韓国に対する加害の歴史があるからこそ、韓国語曲の日本語版とかも素直に喜ぶべきではないと思うスタンスだが、この曲は、かつて日本に暮らしていたこともある、音楽と言葉を愛するジコさんだから作れるものだなと思っている。過去をなかったことにしてはりぼての対等さをアピールするものではなく、韓国語の響きと日本語の響きをそれぞれ尊んだまま、それぞれがそれぞれの言語のままでひとつの音楽をつくる試み。

あまり聴いてこなかったところでいうとSEOUL DRIFTとActuallyがものすごく好みだったのと、TOUGH COOKIES以降の、ヒップホップアーティストとしてのZICOを体現するような終盤の楽曲たちでは凄みを感じてかっこよかった。SPOT!も聴けると思っていなかったので嬉しかったなあ。

印象に残った言葉もある。「人と気持ちを分かち合いたくない時、閉じこもりたい時、世界から置いていかれたと感じる時、自分の感情が空っぽになってしまったように感じる時、誰でもそういうときがあります。僕にもそういう時がありました。これは、そういう時に作った曲です。でも、その空っぽになった感情を埋めてくれるのもまた人なんです」と前置きして歌われたHumanを聴いて、この人は音楽を信じているんだな、と思った。人を遠ざけて拒絶しようとしてしまっている人でも、音楽でならその心に届くかもしれない、という祈りの言葉だと受け取った。私は人間が嫌いだけど、でもそういう歌を作ろうとする人間がいることに希望を見ているのも確かなのだ。私のような人に向けてくれた音楽なのだと思うから嬉しかった。

最後の挨拶のときだったか、「アーティスト以外の仕事もいろいろしていると、自分はアーティストをしてていいんだろうかと思うこともあるが、こうしてステージに立つとやっぱり自分は歌手だと思う、난 음악 사람이야(俺は音楽の人間だー!)」と気持ちよさそうに叫んでいたのもすごくよかった。ステージに立つのが好きな人たちのはなつ光のことを愛している。人間のこと、心底嫌いなのに、人間の生み出すもののことを愛してしまうから難儀だ。でも、世界に音楽があって嬉しい。そう思わせてくれたジコさんに感謝している。ありがとう。

1. Artist
2. Boys and Girls
3. Any Song
4. SPOT!
5. SEOUL DRIFT
6. I Am You, You Are Me(2番は日本語歌唱)
7. Roommate
8. Actually
9. New thing
10. Freak
11. Eureka
12. Okey Dokey
13. DUET
14. 百花繚乱 by Lilas
15. 恋風 by Lilas
16. One-man Show
17. Being left
18. Human
19. Tough Cookie
20. No You Can't
21. Fanxy Child
22. Predator
23. Red Sun
Encore
1.  Okey Dokey
2. 거북선 (Turtle Ship)
3. Say Yes Or No

260112 NIGHTMARE 伊達限

@品川

現場初め。ナイトメアが現場初めなの、嬉しい。2025年は、というか2024年の後半からずっと、ひとつ前の記事に書き散らしたような無力感というか諦念というか失望と絶望、希死念慮と呼ぶにはあまりにもぬるい灰色の感覚、無味乾燥の世界を持て余していて、それを書くことすら面倒でどうだっていいと思っていた。言葉なんて排泄物で、私にとっては自分を代謝するために必須の行為だというのを知っていて書くことから自分を遠ざけているのは、まあ、わりとセルフネグレクト状態なんだろうなという自覚はずっとあった。悪循環から抜け出そうと思う気力すらなかった。それがわざわざ欠勤してまで膿を出そうと思ったのは、このライブがあったからでもある。

セトリ

  1. Darkness Before Dawn
    DBDから幕を開けるライブのことが大好きだ。コロナがようやく(世間的には)明けてきたかな?みたいな頃、*1で、「Story 終わらせない 夜を裂いて届くまで 割れるほどに響く声が歌となり やがて笑えるよね キミとまた」という詞に、コロナ禍で不要不急のものとされた音楽を紡ぐことへの、それを聴き手と分かち合うことへの祈りが込められた歌だとじんわり噛み締めたのが印象に残っている。盛り上がっていくぞー!と始まるのも楽しいけれど、夜が明けるのを待つときの静けさも愛しているから。
  2. Parade
    2025年はNIGHTMAREにとって25周年という節目の年だった。海外ツアーもあり、47都道府県大暴走を敢行し、本人たちもかなりハードそうな様子だったけれど、2曲めにこれをもってきたことは、2026年になってもその歩みを止めることはしない、という表明のようにも感じた。歌詞の最後、「この手に刻まれた数々の憂いと共に歩き始める 新たな闇へ」っていうフレーズで何年か前の5人インタビューでバンド命名のきっかけについての質問で「当時は悪夢を見せたいと思ってて、今はファンの子のつらさを引き受けて表現したいと思ってる」みたいな話を誰か(たぶんよみくん)がしていたのを思い出した。DAIGOがインタビュアーのやつ。うろおぼえ。
  3. ピラニア
    ピラニアひさしぶりだった気がする(2024に~やバぶりっぽい)!楽しかった!ギター隊のハモリ大好き、あとに~やさんのスラップかっこよすぎ!音源よりもずっと音が厚くてかっこよくてめろめろめろ
  4. NAKED LOVE ※よみくん選曲
    これたぶんだけど私ライブで聴いたの初めてな気がする……って思ったけど全然2024年咲人バで聴いてたらしい。イントロ聴いて嬉しくておっほほ!って声出た。
  5. Black Sick Spider ※よみくん選曲
    これはたぶん本当に私にとっては初めて生で聴いた曲だ。
  6. リライト
  7. 雪葬
    曲はけっこう長いわりに詞は短いんだなあとあらためて詞を見返してみて思った。テンポがゆるやかなのもあるけど、だから余計に静けさを感じるのかもしれない。crevasseとか砂とかもそうだけど、よみくんってこういうしんとした詞を書けるの、なんかずるいよなと思う。めちゃくちゃ人見知りとか、MCでの煽りまで書いて準備するとか、FC旅行で一緒に風呂入ろうぜ!ってるかさんを誘うのに実際入ったら隅っこでちんまり静かにしてるの見せてやりたいよってばらされてる(逆にるかさんはずんずんしてるってのも大笑いした)のとかも、MCでギャハギャハ笑ってるところからは想像がつかないけど、詞を見るとなんとなくわかる気がしておもしろい。
  8. Nothing You Lose
    音が重たくてかっこよかった……今回いちばんときめいたのはこれかも。
  9. アルミナ
  10. Deadass
  11. White Room ※よみくん選曲
  12. cry for the moon
    過去の自分がイントロのことを「流星群が降ってくるみたいな音」と評していたのがけっこう気に入っている。
  13. Star Spangled Breaker
    これライブで聴いて泣かなかったことがない。今回も例に漏れずべちゃべちゃに泣いて振りどころではなくなっていた。もはやパブロフの犬状態で泣いてんじゃねえだろうな?と自分に不信感すらあるんだけど、間違いなく大好きで大事な曲だ。咲人さんがこの詞を書いて、この曲を作ってくれたことだけで一生好きでいたいと思うし、好きでいられるような気がしてしまう。セトリに入れようって言ってくれたのも誰かわからないけどありがとう。大事にしたいものを見失ってばかりの私にとって「自分は無力と嘆く前に動き出すことを忘れてないかい」という呼びかけは、大げさでなく生きていくうえでの杖みたいな言葉だ。いつもはっと背筋が伸びるような思いがする。希望、絶やしたくないんだ。人を愛したい。曲後、よみくんが「俺たちの光は、お前らだよ」って言ってくれたのがほんとうに嬉しくてまた泣いていた(終盤の「この体中に散りばめたのは希望と名付けた光」のフレーズで柩さんが光はおまえらだよってジェスチャーしてくれてたというレポも見かけて心臓がぎゅっとした)。
  14. 縷々~lulu~
    これもさ~……「僕は僕を愛せるかな 人を この星を愛せるかな」って、怖いくらいに今の私にあつらえたような詞だなと思う。2007年の曲で、これを書いた当時の彼らは今の私よりずっと若くて、びっくりする。海の底に沈んでいるみたいな音の連なりが好きだった。

En

  1. Romeo ※よみくん選曲
  2. 極上脳震煉獄・弌式
    体幹が弱すぎて折りたたみしてるとよろよろしてしまう。コア鍛えないと。
  3. VERMILION.
    基本的にずっと視界は咲人さんロックオンなんだけど、途中で歌声が途切れたシーンがあってあれっと思ってよみくん見たら、泣いてた?気のせい?Xを漁っても誰も言及してる人いないからきっと私の気のせいだったんだと思うけど、とにかくそう見えてここでも涙腺が決壊していた。

自分でもなぜかはよくわからないんだけど、中盤まで感覚をうまく取り戻せてなくて、脳の回線がうまく噛み合ってないみたいに音を聴いて振りして咲人さん見て、っていうマルチタスクがうまく捌けてない感じがあって、どうしようとちょっと焦ったりもしていた。視線は咲人さんに向けているのに咲人さんのことがうまく見えていないというか、視覚情報が脳にたどり着かずにショートしているというか。高揚でそうなったというよりは、不調、って感じ。そのせいか、かっこいいなと思ったシーンはいくつもあったはずなのに、今思い返そうとしても再生できないのが悲しい。隣の咲人ギャ、振りしてないとき祈るみたいに指を組んできらきらした目で咲人さんを見上げていて、それがなんだか眩しくて羨ましかった。でもcry forあたりでようやく聴けるようになってきて、SSBで性懲りもなくまだ生きててよかったと思って。5人が私の光だ。

みんなに新年の挨拶を……とふられて「よっしゃぁす」みたいなひとことで終わらせたるかさんおもしろかった。あれはことしもよろしくお願いしますの短縮形ってことでいいのか。咲人さん国宝にドハマリして原作も読んでて……という話していた。私はあの映画はほんとうに刺さらず、なぜなら物語は主張があってこそだと思っているので、映像はきれいだし俳優の演技も良かったけど何も言ってないじゃん、と思ったクチだけど、なんかでも咲人さんが好きそうなのはわかるような気もするし、咲人さんが好きだと思ってる要素は私も好きだと思ったところのような気がしている。風呂のMCも笑ったし、10年前のFC旅行で焼酎のグラス持ったまんま海にざぶざぶ入って波がグラスに入って、ちょっと傾けて上を捨てて飲んでしょっぺえ!!って叫んだ酔っ払いよみくんの話もだいぶおもしろかった。

年末の暴れ納めは行けなかったので(来た人ー?ってMCで聞いてて周りかなり手が挙がってていいなあ~と思っていた)昨年11月の武道館ぶり。好きなセトリだった、というかわりと現役で追いかけている時期の曲(ワールー・キラショ・マジェパレ・時間あいてノクスルクス)が多めだったので、活休前後の曲名がまったく覚えられていない私にしては当社比でイントロドンができた気がする。各メンバーが3,4曲ずつ選んだということだけど、誰がどれを選んだのか答え合わせしてほしい。全体的に落ち着いた曲が多めで、年始にはちょうどよかったと思う。どうせひつバで暴れるもんなと思ったら最後のあいさつのときに「ハードなやつを用意していきますんで」みたいなこと言っててにこにこした。平日の羽田は行けるか怪しいのだけども……木曜なら行けるか……?Zepp羽田、行きにくいんだけど夕方に行くと空の色の移り変わりがきれいでけっこう好きな会場。FC旅行も行きたかったけどさ~友だちがいないので(パンピの友だちについてきてもらおうかともちょっと思ったけど招待するにはちょっと参加費が高すぎて断念)泣く泣く諦めた。行って仲良くなる選択肢もあるのかもしれないけど新しい人と知り合うのが苦手すぎる。左翼でフェミニズムにある程度興味があるメアギャがいたらなあってずっと言ってるけど、けっきょくひとりでオタクするのが性に合ってるんだよな……とゆーか、Xを徘徊してると排外主義めいた投稿をしてるorリポストしてるギャがけっこう目に入ってくるのでよけいな博打をしたくないというのがでかいです。排外主義をやめろ。

現場が多かったのもあるけど、去年セブンティーンよりもメアに行ってる回数のほうが全然多かったのもあって、シングル発売も告知されたし、今年は数年ぶりに接触とか行ってみようかなあと思っている。

無題

すっかり何かを書き残したいという気持ちが薄れてしまった。自分の日々を、感情を、思考を、残す価値のあるものだと思えない。なんとなくもう、生きていくというのがどういうことなのかわかってしまった。世界は私にとって既知になってしまった。まだ見ぬ何かに出会うことへの期待に心を踊らされることはない。出会ったことのない人、見たことのない景色、読んだことのない物語、聴いたことのない音楽、学んだことのない学問、やったことのない仕事。それがどうしたっていうんだ。それが私にとっていったい何になるというのだろう。見たことのない景色はあっても、見たことのなかった景色を初めて見る瞬間はもう味わっている。知らない物語は星の数ほどあるけど、物語がどんなふうに自分の琴線を揺らすのか、もうじゅうぶん知ってしまった。コンサートで味わう高揚は、過去に感じたものの焼き直しだ。この先はぜんぶ過去の劣化バリエーションでしかない。本屋や図書館に赴いて、ここにある本や漫画のすべてを一生かけても読み尽くすことはできないんだって焦燥感ももうない。どうせぜんぶ私に関係のない文字だから、あんまり読みたいと思うものがない。世界がおもしろいとも、輝かしいものだとも思えない。生きているのがつらいんじゃなくて、生きているのがつらくないから死にたい。惰性。この世界で生きながらえることに、私自身が意味を感じたいのに、通勤ラッシュの電車にぎちぎちに詰め込まれる人間どもの一端を成すつまらない会社員で、不細工でもないけどとりわけ美人と評価されるわけでもない女性として生き、異性のパートナーといっしょに暮らして周囲からは夫婦同然に見られる、ごくごく平凡な人間でしかない。もともとはそうやって外からまなざされる私を拒絶して、私が私を規定したくていろんなことを書き散らしてきたように思うけれど、その先にあるものがわからなくなってしまった。だからどうした?それが何?

人間のことが嫌いだ。好きな人間はいっぱい頭に浮かぶ。ジュンくん、セブンティーン、咲人さん、ナイトメア、連れ、数少ない友人たち、インターネットを介してゆるやかに繋がっている人たち。けど、彼らはあくまでも例外で、けっきょくのところ私は人間を、世界のことを憎んでいるのだ。憎んでいる対象に希望を見出すことなんかできない。だからもうフェミニストではないし、自分はバイセクシュアルです(でした)*1とかいうことにも意味がない。私が自分をなんと規定しようとしたところで、社会は私を女で、会社員で、異性愛者として見るし、別にそれは間違っていないのだ。「私はそうじゃないんだ」と叫ぶほどの違和はそこにはない。名付けという行為は、個人の前に性質を先行させるものだ。名付けの重要性は理解するけれど、それは自分がひとりじゃないと知る手段として、すなわち同質の他者とつながる方法として有用だから、あるいは集団として存在を認識されるために必要だからだ。乱暴だが、血液型占いもMBTIも、だからこんなにも流行るのだろう。マジョリティであれマイノリティであれ、左翼であれ右翼であれ、ラベルをとおさずに他者に相対することはすごく難しいことで、そのラベル内の差異は見過ごされる(差異はまた別の名付けによってしか認識されない)。かといって、そのラベルを精緻に細分化しようとすることには果てがないし、細分化すればするだけ他者との重複は削られていく。そうして残るのはひとりだけである。自分と似ている人なんて死ぬほどいて、その誰もが私と同じではない。そのことがあまりに退屈で、絶望的だ。物語に身が入らないのも、どれひとつたりとも私の物語ではないからだ。

連帯、とはなんだったか。好かなくても、そこに在る人を肯定すること。私の他者へのスタンスは、常に「否定をしないこと」でしかない。それは肯定ではない。他者の肯定なくして連帯はない。みんなみんな不幸せになれとは思わない。戦争は反対だし、差別のない社会を望む。だけどそれは、過去の自分にインストールされた価値観が、ずっと無効化されずにバックグラウンドで駆動しているだけのような気がする。誰かの幸せを、今の私が、自分自身の意思で願ったことなんて、久しくない気がする。こんな世界との関わり方で、連帯などできはしない。だから、フェミニストではない。フェミニストであることも、誰かを想うことも、集合として、概念としての人間を愛していないとできないことだ。薄膜を隔てて世界と関わっている気がする。ぜんぶが遠い出来事だ。そういうふうに隔てていないと、世界にすり潰されてしまう。集合としての人間を愛せないということは、善を志向できないということでもある。善を志向できるがゆえに人間は愛すべき存在であると思えていた一昔前の私をどうにか取り戻したいのだが、その方法がわからない。

大好きで、親密だと信じていて、自分なりに大事にしていたつもりの相手に、あるとき唐突に、理由もわからないまま拒絶された経験を引きずっている。当時は自分に落ち度があったに違いないと思い込んで、根拠のない自責をひたすら続けていたけど、あとでそれが相手の事情に起因することだったとわかった。わかって、和解したと思った。もう一度歩み寄りたいと思ってもらえたことが嬉しかったし、その人が自分の人生にいてほしかったから、傷ついたことを飲み込んで親密さを再構築しようと思ったけど、むりだった。実際のところ、どっちが間違っていたのかなんて今となってはどうだっていい、というか、同じことだと思う。それが相手に事情があって本意ではなかったことだとしても、それは私についた傷を正当化するものではない。それを勘案して仕方なかったねと心から思うことは、狭量な私にはとうとうできなくて、理不尽に傷つけられた、という思いは膨らむ一方だった。あるいは、実際そうと言われなくても、私が何かを間違えていたのかもしれない。でも、弁解も対話も余地がないほどに拒絶されるようなことにつながったのが何かはどれだけ考えてもわからなかったし、だから今は親密でも、私が何かを自分でも気づかないうちに「間違えたら」またあっさりと切り捨てられるのだろうと疑心暗鬼になった。間違えたくなくて、切り捨てられたくなくて、顔色を窺うようなコミュニケーションばかりしていたような気がする。ゆるす/ゆるさないを持ち込んだら、もうそれは対等ではない、と思う。それでも、再構築の試みは、私にとってほんとうに大事な時間だったことには違いないのだ。ただ、砂上の楼閣を維持することが私にはできなかっただけで。愛おしい時間で塗り重ねようとするほどに無視できないものになって、重みに耐えかねて崩れ落ちてしまった。いちばん愛していたいと思ったはずの人を愛せなかった、という事実は私を打ちのめすのにじゅうぶんで、他者とのかかわりに心を砕くことそのものが億劫になってしまった、というより、怖い。人とかかわるうえで間違ずにいることなんてできないと頭ではわかっているのだから、これはやはり私が狭量なのだろう。だけど、私が何かを間違えば拒絶されるし、私が何も間違えなくても拒絶されることはある。どっちを向いても苦しいだけだから、全部やめたかった。

世界との距離が空いてしまったもっと決定的な変化として、善くあろうとすることがとてつもなく難しくなってしまったというものがある。これは管理職に昇進したことで加速度的に悪化している実感がある。

起きている時間の大部分を、会社で過ごしている。多様性を尊重します、と偉い人たちは言う。実際、日本の営利企業で私の勤め先よりもインクルーシブなところは、たぶんそうない。中にいる私をしてそう思わせるのは、このバックラッシュの時世にあって(まあトランプ政権になってからこっち、いろんなことに対して日和りやがってクソが、と感じることも多々あるのだが)凄いことだと素直に思う。ただ、その誠実さは、あくまでビジネスに必要な範囲にかぎられる。差別を許容しないのは、その人がその人らしく働ける環境が必要なのは、そのほうが結果的にパフォーマンスが向上し、能力主義の基準に照らして合理的だからにすぎない。それは他者を尊重しているんじゃなくて、利益を尊重しているだけだ。そういう場所における私は、ずば抜けて優秀なわけでなくとも、専門と呼べる領域があり、知識と経験が伴ってきて、人の機微を窺うのが得意で、上の立場の人にごまをすって気に入られるのもわりとうまい。体も丈夫でハードワークもできてしまう。話しやすく、若手から憧れられる先輩でいることにも、たぶんある程度成功している(後輩社員からロールモデルです、憧れですという言葉を向けられる機会が昨年幾度かあり、そう言われるための演出を自覚的にしてきたつもりもある)。つくづく、悲しいほどに会社員が向いているのだと思う。権力構造に迎合することに向いている、ともいう。実際のところ昇進は管理職層の人材不足という環境的な要因もあるけど、端的に言って、評価されている方だと思う。

中高大とキリスト教系の学校に通ってきた私にとって、善くあろうとすることは、大学を卒業するまでごく当たり前のことだった。私自身はクリスチャンであったことはない(たぶんこの先なることもないだろう)が、キリスト教における神を基準として、周囲のおとながみんな善く生きようとしていたことは私の価値観形成においてかなり大きな影響を及ぼしている。神とは人が善くあるための装置であり、信仰とは善を実践するための指針で、聖書はそれを記したメソドロジーである。いささか露悪的な解釈だと思うし、こういう考え方をしてしまうあたりが自分がクリスチャンになることはないと思う所以なのだが、信仰にもとづいて祈り善を希求する人間のことは信じたいと思う。キリスト教はご利益宗教じゃないんだ、と高校の頃にひとつ上の先輩が、部活の帰り道に電車待ちのホームでつぶやいていたのをよく覚えている。高校一年生の私にはぴんと来ない言葉だったけど、今だったらよくわかる。祈ること、報われる保証がなくとも善くあろうと努めることがキリスト教の本懐だと理解している。*2

会社は、そういう場所ではない。私を評価する人たちは、私が善くあることに興味がない。能力主義的、資本主義的に能くあろうとすることを期待する。誰かに評価されるために善く在りたいわけではない、そんなのは本末転倒だけど、誰も価値を見出さないことを一人で希求し続けるのは、率直に言ってきつい。自分だけの意志の力が試される。それでも、SNSを通じて他者を心の底から同胞と呼べる人たちがいたうちは良かった。私が大事だと思うことを同じように大事だと表明してくれる人たちがいたから、自分が重んじたいと思うものを見失わないでいられた。ただ、過去形でしか言えないのは、その温度差に耐えられなくなっているからである。人とのかかわりに消極的になってしまったことで、善くあろうと努める意志の力が薄らいだとも言えるし、時間的にも役割的にも会社員としての自分が私の大部分を占めるようになってしまって能くあることのほうが楽になってきたとも言える。そんなのは鶏が先か、卵が先かという話にすぎない。理想を追求することを是とする世界と、理想を追求することなど求められない世界にある溝の間で引き裂かれて、均衡は崩れて、落ちまいとどうにか指を引っ掛けてしまったのが後者だということなんだろう。

キリスト教はご利益宗教ではない、と語った先輩と、年末、数年ぶりに会う機会があった。私が非社交的で同窓会なんかにも顔を出さないものだから、彼が大学を卒業して以来、ということは10年ぶりだったろうか。こちらは彼のインスタでの発信を見ていたから、結婚したことも子どもが生まれたことも知っていたが、私の方はほとんど投稿しないから、向こうからすると生きているか死んでいるかもわからなかったはずだ。会う約束をとりつけたわけではなかった。たまたま自宅から徒歩5分のところにある小さな教会で、高校時代の仲間を集めてささやかなゴスペルコンサートをやる、という告知をインスタで見かけた。仕事納めもしていたし、何よりも近いし、懐かしい顔が見られるなら行ってみようかな、とほとんど部屋着同然の格好で赴いた。気づかれなかったらそれでもいいやと思った。ただ教会という場所に、信仰が息づく祈りの場に行きたかったのだと思う。実際のところは、一歩足を踏み入れるなり、今では呼ばれることもすくなくなった学生時代の愛称で呼びかけられたのだけど。見知った顔、みんな部活のひとつ上の先輩でコンサートの出演者、が5、6人ほど。ほとんどが大学卒業ぶりだった。観客には、高校のキリスト教の名物教員と、今は教頭になっている当時の部活の顧問がいた。そう大きくない教会は、10人ほどの出演者と、30人ほどの観客でいっぱいだった。どうして教会はどこも同じ匂いがするのだろう。カトリックは荘厳で冷たくてしんとした気持ちになるけど、プロテスタントは素朴で柔らかくてほっとする。コンサートはすごく良くて、曲を聴きながら思わず嗚咽が漏れるほど泣いてしまった。出演していた別の先輩も泣きながら歌っていた。私が客席で泣いているのを見て、もらい泣きをしたんだそうだ。ゴスペルというのは、ソウルフルで明るくて、不思議な力を持った音楽である。「神は乗り越えられない試練は与えない」というような詞に、でもじゃあパレスチナの人たちはどうしてあんな目に合わないといけないんだろう、どうして愛する伴侶と婚姻ができない人たちがいるんだろうとかも考えてしまって、やっぱりそんな試練なんかクソくらえじゃないかとも思ったけど、そうやって感情を揺さぶられていろんなことが頭の中をぐるぐるしながら涙になっていく、みたいな感覚がほんとうにすごくすごく久しぶりで、それだけで来て良かったと思った。

コンサートのあと、彼は、「なんか最近きりちゃんのこと考えてたんだよね、なんでだか忘れちゃったけど会いたいなって思ってたから、来てくれて嬉しい」と言った。最近どうよ、と問われて、仕事はそこそこできるようになって必要とはされているけど、善く生きようとすることを会社では誰も求めていないし、自分もそれに感化されていくことが苦しい、というようなことを言ったら、そういうことに悩むあたりがきりちゃんらしいね、と返された。話しながら込み上げるものがあって、思わず言葉に詰まってしまった。ああ、私、しんどかったのか、と思って、そのことに心底ほっとした。いちばんよく言葉を交わしていたのは16歳かそこらの2年弱の話だ。そこから私も彼も重ならない時間のほうがずっと長くて、その間にそれぞれいろんなことを経験している。それでも、10年の空白を意識することなく、「最近どうよ」という質問に弱音があっさりとこぼれたことに、自分の彼への信頼(あるいは甘え)を見たし、それを私らしいという彼の私の捉え方は嫌味でも知ったかぶりでもなく、やはり高校生の頃に私たちが築いた時間あってこそだろうなと感傷的な気分になった。人と会って楽しいことはあっても、こんなにも胸を満たされるような邂逅は随分ひさしぶりだった。

誰かと対話することを、楽しいではなく、嬉しいと思いたい。ゆるせるようにならないといけないんだろうな。肯定できるようにならないといけない。自分のことも他人のことも。突発的に息苦しくなって欠勤してこんなことを書き散らしているんだから、まだ世界に縋っていたいんだろう。憐れな話だ。

*1:このときよりも更に、バイというくくりは自分にそぐわないという感覚は強まっている

*2:4年前も同じ話をしている

記録:2025-Jan~Sep

月報も1年くらいサボっている。書き残すことに意味を感じなくなってしまった。書くことはとどめておくことで、とどめておきたかったのは私にとって大事なものだったから。何も大事だと思えなくなって、時間も感情も体験も、ぜんぶが私をただ通り抜けていく。透明人間になったような気分で生きている。それでもごくたまに訪れる、残しておこうかな、という感情を今久しぶりにぎりぎりつかまえたので画面に向き合ってみている。なんの意味があるんだろう、と思いながら。

映画
  • バグダッド・カフェ
  • オズの魔法使い
  • WICKED
  • Flow
  • シェフ
  • ヒプノシスマイク Division Rap Battle (シブヤ、シンジュク、ヨコハマ、オオサカEnd)
  • 天国の日々
  • パディントン 消えた黄金郷の秘密
  • インサイド・ヘッド2
    • アメリカ出張の行きの飛行機で見た。PIXAR作品ってほんとうに最高だ。
  • 赤と白とロイヤルブルー
    • 帰りの飛行機にて。すっっっっっっっっっっっっっっごい良くて、日本帰ってきた翌日にもっかい観た。プログレスプライドフラッグがひらめくラストシーンが忘れられないし、アレックスのスピーチの文章もすごく良かった。あとアレックスがカムアウトしたときの " You know that B in LGBTQ is not a silent letter" というアレックスの母の言葉(※うろおぼえ)が不覚にもすごく嬉しくて思わず泣いてしまい、泣くほど嬉しいと思うことに自分で驚いた。それでもバイがマイノリティとして他者から「みとめて」もらえるのって同性愛をやっているときだけなんだよな、というさみしさ、自分は今のパートナーといるかぎり「そちら側」ではないという疎外感。ヘテロのパートナー関係にあるバイの物語って、バイの物語にはならないんだよな。
  • ラブ・イン・ザ・ビッグシティ
    • これも帰りの飛行機で。最高だった。
  • 教皇選挙
    • 行きの飛行機で。絵がきれいだったけど、特段なにか思うこともなく。
  • アイディア・オブ・ユー
    • アン・ハサウェイとニコラス・ガリツィンの年の差恋愛。RWRBを観たあと、自動再生でそのまま流れてきたので流し見した。うーん、で?という感じ。
  • K-POPガールズ デーモン・ハンターズ
    • おもしろかった。前半のほうがよかった、というか、冒頭のHUNTRIXのコンサートに私がアイドルを愛する理由が詰まっていて、それがピークだったんだと思う。
  • ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦
    • アニキュー1期からここまで全部をとおして再見して、しみじみと今の私に足りないのって執着とか熱中だなとわかりきったことを再確認した。勉強も仕事も惰性でがんばれるようになってしまって、そこに楽しさも悔しさもない。月島が思わず見せる笑顔、研磨の「たーのしー……」ってつぶやき、そういう生きていく中でたしかにきらめく瞬間。最近ほんとうに自分はがんばっていると思っていて、仕事もそうだし、Duolingoも毎日さぼってないし、通勤中の資格の勉強も欠かしていない。一昔前までのがんばれないことがコンプレックスだったのは、もう過去になりつつあるという手応えがある。私はちゃんと努力ができるようになっていて、結果なり評価なりで返ってくる。でもそれは、私自身が望んだものではない。外界から強いられるがんばりだ。私の、私だけの渇望がほしい。そんでそれはオタクすることで満たされるものではぜったいにない  オタクすることで得られるのはあくまで他者から与えられる熱中だから。私は私を満足させる方法を知らない。自分で作り出したもので自分を満たすこと  たぶん一番近いところにあるのが料理なんだけどそれだってひとりでは億劫だしちょっと仕事忙しくなると食べることすら面倒になってしまう。影山が勝利への執着を食欲と同等だというように、生の実感に根ざした欲望がほしい。みんなバレーが楽しそうでかっこいいよ。

  • 三浦しをん 『愛なき世界』(上・下)
    • だいぶ前に上巻だけ買って読んでそのままになっていたやつ、出張のときに下巻を買い足して最初から読み直した。双方向の恋愛という形ではないままに育まれる人と人との感情が嬉しかった。
  • 須賀しのぶ 『革命前夜』
    • あとがきが朝井リョウなのが嫌で買うのやめようかと思ったけど、めちゃくちゃ読んで良かった。あとがきは案の定最悪だった。人の作品のあとがきで自分語りしないでほしい。やっぱり朝井リョウってきらいだ。
  • 司馬遼太郎 『燃えよ剣』
    • 薄ミュがあったので読もーと思って読んだ。土方の解釈が広がる感じがあって良かった。
  • アンディ・ウィアー 『火星の人』
    • ものすごく読みやすいのに、設定の緻密さに唸らされてしまう。書き手のすごさを感じる。原文でも読んでみたい。
  • 上橋菜穂子『獣の奏者』 Ⅰ闘蛇編 Ⅱ王獣編
  • 西尾維新 『クビキリサイクル』 『クビシメロマンチスト』 『クビツリハイスクール』 『サイコロジカル』 『ヒトクイマジカル』
    • 私の萌え(殺し合いながら愛し合う)の原点こと『零崎人識の人間関係 匂宮出夢との関係』を久しぶりに読み返したくなって、それならばと15年ぶりくらいにシリーズ最初から読み返したところで『ネコソギラジカル』だけなぜか本棚にないことに気づき、人間シリーズにたどりつけずにいる。
  • 宮内悠介 『盤上の夜』
  • 恒川光太郎 『化物園』
  • 三浦綾子 『塩狩峠』
  • 王谷晶 『ババヤガの夜』
アニメ・ドラマ
  • パーフェクト・プロポーズ
  • 独占おとぎ話
  • WEDNESDAY Season 2
  • 進撃の巨人 Season 1~5
  • フェンス
  • ハイキュー 1~4期
舞台・ライブ
  • 1/13 NIGHTMARE FC LIMITED LIVE "The WORLD TOUR" 零
  • 1/18 KENTO NAKAJIMA 1st Tour 2025 “N / bias”
  • 2/9 鈴木勝吾 Birthday Event "Smilingdays 2025"
  • 3/15 NIGHTMARE TOUR 2025 回生 天下大暴走@横浜BAY HALL
  • 3/21 2025 SVT 9TH FAN MEETING <SEVENTEEN IN CARAT LAND>
  • 4/5 NIGHTMARE TOUR 2025 回生 天下大暴走@埼玉HEAVEN'S ROCK さいたま新都心 VJ-3
  • 4/20 JO1 "JO1DER SHOW"
  • 4/26 SEVENTEEN 2025 JAPAN FANMEETING 'HOLIDAY' @大阪
  • 5/10 SEVENTEEN 2025 JAPAN FANMEETING 'HOLIDAY'
  • 6/1 NIGHTMARE TOUR 2025 回生 天下大暴走@沖縄 桜坂セントラル
  • 6/8 ミュージカル『憂国のモリアーティ』 大英帝国の醜聞 Reprise
  • 6/21, 28 ミュージカル薄桜鬼 真改 藤堂平助編
  • 6/29 NIGHTMARE BIRTHDAY LIVE 2025 ~咲人BD~
  • 7/28 NIGHTMARE TOUR 2025 回生 天下大暴走@Spotify O-EAST
  • 8/6,7 HOSHIxWOOZI FAN CONCERT "WARNING"
  • 8/16 ハロ!コン2025
  • 9/14 Alladin @ New Amsterdam Theater
  • 9/15 Cisco Swank @ Blue Note New York
まほやく
  • 『妄念眠る宿屋のファンタジア』(22年3月)
  • 『硝煙に捧ぐ宴のテゾーロ』(22年4月)
  • 『夢守る曲技団のファンタジア』(22年6月)
  • 『セラータの調べは鎮魂の夜に』(23年7月)
  • 『道分かつ無二のパレーハへ』(24年3月)

 

こうして書き起こしてみると、その瞬間は心底楽しんでいたはずのものがほんとうに自分の中から消え去っているのがよくわかる。最近すっかり死にたいとは思わなくなったんだけど、それってとっくに生きてないってことだ。それでも消え去ってしまうことに、わずかでも惜しさがあるなら、まだ死んでいない。

2025/6/29 咲人BD

咲人さんお誕生日。出張で東京を長く離れる予定だったうえに、ばか忙しかったので今年の夏誕生日勢は咲人さんしかチケット取っていなかった。毎年きっちり当日に祝うの、彼らのすごく好きなところのひとつでもあるんだけど、ってことはだいたいの日が平日なわけで。去年は曜日のめぐりがちょうどよく土日にかち合ってくれてたけど。それでも咲人さんだけでも行けてよかったなあと思う。5人こそがナイトメアだけど、どうしたって咲人さんは特別だ。

  1. nizm! nizm! nizm!
  2. Rebel
  3. Star Spangled Breaker
  4. 404
  5. ネオテニー
  6. 叙情的に過ぎた時間と不確定な未来へのレクイエム
  7. ナヅキ
  8. Rem_
  9. Cherish
  10. 惰性ブギー
  11. With

En.

  1. Can you do it?
  2. 極上脳震煉獄・弌式
  3. クロニクル

去年の咲人バで人生最高のセトリだって思ったけど、今年もまあ、ほんとうに、めちゃくちゃにとんでもなく最高だった。自分が選んだのかと思うくらい聴きたい曲揃いで嬉しかった。SSBで思いがけずどばーっと涙出てきたのにはびっくりした、まだ死んでないんだなあと思った。

2025/6/1 回生天下大暴走@桜坂セントラル

沖縄2Days、行けなかった1日目がめちゃくちゃ良いセトリで、2日目も似たような感じだったらいいなと楽しみにしていったら、いろんな意味で吹き飛ばされた。

  1. 零 -beyond the G.-
  2. 自傷
  3. ジャイアニズム痛
  4. ジャイアニズム惨
  5. ジャイアニズム死
  6. ジャイアニズム誤
  7. ジャイアニズム碌
  8. ジャイアニズム叱
  9. ジャイアニズム罰
  10. ジャイアニズム究
  11. ジャイアニズム天
  12. GIANIZM_Re惡T

Enc,

  1. 極上脳震煉獄・弌式
  2. 極上脳震煉獄・弐式
  3. 極上脳震煉獄・弎式

Db Enc.

  1. the FOOL

 

まじめにやろうとするセトリじゃないと思うけどそれをおおまじめにやるのがナイトメアだなあと思う。めっちゃくちゃ楽しかった。首が死んでいる、それはそう。おまえらすげえな!ってよみくんが引いてて笑った。ほんとにこの人たちのこと大好きだ。それはそれとして1日目のセトリが聴けなかったことへの未練はありまくるけど。

次は咲人バ!

水仕事のしすぎで手の皮膚がつっぱっている。連れは昨日も今日も仕事で家を空けているし、料理は昨日あらかた済ませたので、昨日のふたり宴の名残を片付けてしまったら時間がぽっかりと空いた。そうすると不思議と何かを書こうかなという気持ちにはなるので、やはり自分に足りていないのは時間なのかもしれない。

2024年は、人とよく話した年だった。友人たちとはよく遊んだし、長年沙汰のなかった相手とひさしぶりに約束を取り付けて食事をしに行ったりもしたし、何よりいまだかつてないほどに会社の人間と飲む機会が多かった。これは若手の面倒を見る中堅・次期管理職としての立場が明確になってきたからで、かつての上司が「こういうところじゃないと皆の生の声が聞けないから飲み会には行くようにしてるんだ」と語っていたのがよくわかる。同じ組織でも、違うプロジェクトにいれば、日々の仕事ぶりはまったく見えない。私の見えないところで後輩たちが悩んでいないか、どんなことにつまづきを感じているか、もちろん業務時間中の面談だって毎月実施するのだけど、そういうフォーマルな場では出てこない声を吸い上げるには、カジュアルな場が有効なのは事実だ。誰かが酒や場の雰囲気の力を借りてようやく口にできるようなことがあるとき、自分が、それを聞ける場所にいないわけにはいかない、と思う。この人はいつでも聞こうとしてくれる、という姿を見せたいと思ってきたから、積極的に参加するようにしてきた。それと同時に、管理職への昇進を視野に入れて、先輩や上司たちのあり方を観察しよう、助言をもらおうという意図もあった。

そういうことを考えて若手社員のことはかなり気にかけていたつもりだったのに、あろうことか年末になって同じプロジェクトの後輩社員を潰してしまった。潰してしまった、と言うとあまりに露悪的だが、心当たりがあっただけに、「手遅れ(=プロジェクト離脱)」になる前に救えなかったことに、責任を感じずにはいられない。

当たり前だが、関わりのあるすべての後輩を苦しみのないところに導けるほど万能ではない。そんなふうに思い上がるのは傲慢というものだし、苦しみのないことが正解とも限らない。何より、彼らは経験こそ少なくとも、自立して思考する一人の人間であり、そもそも私が導くとか教える対象としてみなすべきではない。それでも、その経験の差分で示せることはある。相手を思考する存在として尊重しつつ、自慰的な自分語りにもならない形で、相手がうまく受け止めやすい形で示すにはどうしたらいいか、というのを考えて、この一年振る舞ってきたつもりだったから、すくなくともそれがもっとも身近な相手に対してうまく働かなかったこと、私のおこないが欺瞞にしかならないこともある、という事実が、重い。なおのこと、自分がその後輩と同じ年次の頃に同じような状況で適応障害と診断されてダウンした経験があって、今後同じ目に遭う人を絶対に出したくないという思いで自ら若手と関わるポジションを希望してきただけに、もっと何かできなかったのか、と思わずにはいられない。

そう、心当たりはあった。ダウンする数週間前から、タスクが回らなくなってきたことにも、アウトプットの質が落ちつつあることにも気づいていた。1年目や2年目の、乾いたスポンジのような状態と違って、ある程度仕事のやり方がわかってきて、任せられる範囲も増えて自信もついて、仕事に対する信念、スタンスを自分なりに見つけ始めるのが3・4年目だ。科学実験教室の講師アルバイトをやっていた頃、まだ「学校」というシステムに不慣れで従順な小学1年生に比べて、2年生や3年生のほうがやんちゃになってきて散々困らされたのだが、同じことである。新入社員よりも意思が明確になる分、3年目以降ははっきり言って接しづらい。経験の長い立場からは未熟に見えることでも、当人にとっては最善・最上の結果だったりするからだ。それをどう伝えればいいか迷って、目の前の資料の出来という些末に対する指摘に終始して、その背後にあるタスクマネジメントやロジカルシンキングといったコアスキルに対する助言を避けてしまったせいで、助けを求めてもいい相手として認識してもらえる立場になれなかったのだろうと思う。

本質的な会話を避けていた自覚がある。避けていなければ、ここまで彼を追い込むことにならなかっただろうという確信がある。だからこそ責任を感じるのだ。相手に率直に指摘をする、という行為に対する抵抗感を手懐けないかぎり、この先また同じことが起きるだろうと思う。

相手に、「あなたの判断は間違っている(より良い方法がある)」と伝えることは、基本的にハレーションを生む行為である。表現にどれほど気を使ったところで、内容に否定が含まれる以上、受け手の性格や、言う側との関係性によっては、受け手の中に反発を招く。なおのこと、ロジカルシンキングやコミュニケーションといったコアスキルは(スキルなので向上させたり変化させたりできるものではあるが)、その人の人間性・アイデンティティと密接に接続する領域なので、スキル改善の提案であっても人格否定として受け取られる余地のあるものだ。仕事を前に進めることを至上命題とする立場においては*1、それを恐れていたらやっていけないのだが、私はとにかく他者に嫌われるのが怖い。正確に言うと、嫌われるのが怖いのではなく、嫌われた結果として相手が自分にネガティブな干渉をしてくるのが怖いのだ。それは相手から直接的に提示されるものとは限らず、「相手の気を損ねてしまったかもしれない」と不安をおぼえるだけでも「干渉」にあたる。心理的なパーソナルスペースが極端に広く、他者に心を乱されることへの拒絶感がすさまじく強いところに、今回のことにかぎらず対人関係の障害のほとんどが起因するように思う。言い換えれば、状況(他者)を自分の制御下に常に置いておきたいという支配欲ともいえる。相手が機嫌よくいてくれるうちは、物事は制御可能だから、私のコミュニケーションスタイルは、基本的に目の前の人間の気分を損ねないことが常に最優先される。資料に対する些末な指摘はできても、より人格に近いコアスキルに対する指摘ができないのはここに境界がある。

同じ傾向のある友人とこの話をしたときに、「相手を気持ちよくさせることを優先するがために自分が思ってもないことがぺらぺら口から出ていって、ある日臨界点を超えて、相手にはまったく理由がわからないまま関係を唐突に断つことになりがち」というあるあるで盛り上がったことがあるのだが、仕事とは別のところでも、現在進行系でそれをやりかけている。なお、仕事でかかわる相手の場合は関係を断つことはできないので、無難なおべっかにひたすら殉ずることになるわけで、そのことによる自己嫌悪もけっこうやばいところに来ている。差別的な発言、同意できない考えにNOを突きつけることができず曖昧に笑って場をごまかすことしかできない自分をみとめるのって、本当に死にたくなるのだ。

書けば書くほど、今自分の抱える問題のすべてが「他者に乱されたくない」という強迫的な感覚に起因しているのがよくわかる。本来、他者に乱されずに心の安寧を維持することは、私がありたい私を守るために必要なことだったはずなのに、愛したかった友人までも拒絶しようとして、差別にも抗えずにいることが、私の望む私であるはずがない。自家撞着にもほどがある。対症療法だし、あまり健全な方法とも思えないのだが、一度自分の心の安寧を取り戻さないと軌道修正もできないので、2025年はとりあえず人との関わりを最小限にしようと思う。2024年は私が死んだ年だった、と書いたけど、ほんとうはまだ死にたくないのだ。友人のところに戻れる私であるために、私が何を大事に思うか、何を守りたく、何を否定したいかを見つめ直さなくてはいけない。

 

もうひとつ、後輩に対して消極的なかかわりしか出来なかったのには、根深い問題がある。その後輩が男だった、ということだ。知り合った9月頃から言葉の端々に男尊女卑的な視点を感じ取っていたのもあるし、そこから間もない時期に、通勤中クソみたいな男にクソみたいなナンパをされて、かなり怖い思いをしたのが響いているのもあるかもしれない。ナンパ男と後輩はもちろん別人なのだが、両者に通底するセクシズムの匂いに反応して心が閉じていたのは間違いないと思う。これは反差別の信念に基づくものではなく、どちらかといえばミサンドリー起因である自覚があって、そのためにどうしたらいいのかわからず途方に暮れているところでもある。

思えば、学生時代にいたような、フェアにおたがいを扱える、友人とよべる間柄の男性が、周囲にほとんどいなくなってしまった。中学は女子校で、高校・大学も女子比率が高いうえに、人を等しく人として扱う教育観の強い場所だっただけに、幸いというか、私は自分の性別を意識させられることはほとんどなかった。会社に入って初めて、社会がいかに男女二元論的価値観に基づいている場所であるかを知ったとも言える。「女性だから」という理由で遭う出来事(悪いことにかぎらず)が増えたこと、それをフェミニズムの体系で説明できるようになってしまったばかりになおさら自分が女性であることを意識させられるようになったこと、ひいてはそれは女であることへの劣等感を生んだ。上司と部下のように、組織における明確な権力勾配が定められているときには、それにしたがったロールプレイをしていれば、それが私の信念に適うかどうかはさておき、その場を凌ぐことはできる。ところが、その勾配が曖昧になるとき、男性と接することへの恐怖心が無視できないものになる。相手が男女二元論的・男尊女卑的価値観の持ち主であると知れていればなおのことだ。私とその後輩は、先輩後輩という関係ではあれど、それは所詮年次の違いに過ぎず、プロジェクト上の立ち位置としては等しいものだった。「女だからどうせ侮られてるんだろうな」という不信があるから、深入りを避けてしまったんじゃないかという気がするのだ。

男の経験することを、私は理解できない。私の感覚を、男は理解できない。そういう諦観、あるいは拒絶。上司と部下であれば、それにしたがったロールプレイをしていれば良い、とは言ったものの、男性の上司たちに対してもこの感覚はある。仕事をするうえでの相談相手としては困っていないが、私が反差別を志向することも、それゆえにフェミニストであり、昇進に消極的であることも、それらがすべて私が「男性」ではなかったから、という根につながることも、この人たちには絶対にわからないのだろうと思う。女としてでもなく、男ではないものとしてでもなく、男みたいになるでもなく(けっきょく私がこの先当然目指すものとされる管理職の世界は、名誉男性的なふるまいが必要になるのである)、私が私として会社の中でこの先生きていく絵が描けない。行き詰まっている。そういう対話不可能性を感じてしまっていること、男性に対する不信感・嫌悪感を、どう解きほぐしていけばいいのかわからない。

2024年は、今までで一番よく働いた手応えがある年でもあった。根本的に、仕事をするのはやはり私は嫌いではないんだとも思う。ただ、それが信念と一致しないので苦しむ。その矛盾に耐えられず、いっそ反差別・反資本主義への信奉など捨ててしまおうかと、資本主義を飲み下して同化してしまうほうが楽じゃないかと、何度も何度も考えた。反資本主義は労働の肯定たりえず、ここをどう止揚するかが2025年の私の課題になるのだろうと思う。

2024年は、私が死んだ年だった。反差別者として生きるとはどういうことか、けっきょく今もわからずにいる。わからずにいることが苦しくて、考えるのをやめてしまった。デモからもすっかり足が遠のいてしまったし、寄付や署名への貢献もほとんどできておらず、他者との対話を避け続けている。対話を拒絶して実現できる反差別などないのに。連帯、という言葉の意味を、掴み直せるだろうか、いつか。他者を拒絶せずに生きる方法を見つけられるだろうか。

*1:私がそれを自身の至上命題としているわけではなく、ただそれを求められる立場であるということ。むしろそうまでして仕事を進めなくてはいけない、という前提に心底から納得していないので「まあいいか、ここで言わなくて仕事が止まってもどうでもいいし」と考える悪癖もある。私がそう思ったところで、実際のところ仕事を止めてはいけないという前提は資本主義の営利企業において絶対なので、けっきょく自分も割を食うのだが。

2024 → 2025

2024年

毎日はそれなりに楽しかったし、メキシコ旅行に行ってるし家も買ってるし入院もしてるし、大きなイベントには事欠かなかったわりに、自分にとってあまり大きな意味を感じられない1年だったような気がする。自分の中に巣食う空虚さと戦っていて、とうとう抗うのをやめてしまったような1年。私が死んだ年。

1月
  • 大晦日に連れと酔っぱらいすぎて年越しそばを食べはぐれ、元日の午後になってようやく蕎麦を食べて始まった日。昼間は良かったけど、能登の震災と飛行機事故が続いて、ずっと落ち込みながら過ごしていた。どうしてこんな悲しい目に遭わないといけない人がいるのだろう。
  • 高校の同窓会で懐かしい顔にたくさん再会した。学年の8割近い参加率だったからすごい。担任の教員と話せなかったのが心残り。
  • 現場初めはG4Y幕張。FIREが楽しすぎ。ŹOOĻってライブがうまい。
  • ハイカステに行ったりしていた。これまだ今年なんだ。好きなキャストも多くて楽しかった。
  • 連れの実家にお邪魔しに行く。婚姻こそしていないが、自分が「嫁」であることを感じる。犬がかわいい。
2月
  • 大雪が降った。連れと近所の駐車場で真新しい足跡をつけて、雪合戦をして遊んだ。
  • 劇場版ハイキュー!!をみたり、友人とデモに行ったりしていた。この頃はまだデモに行けていた。
3月
  • 友人と貝料理を食べに行ったら、数日後にノロウイルスと思われる胃腸炎で数日苦しむ羽目に。そのせいで友人たちとの秩父旅行にも参加できず。
  • 3/20 ジノフイファンコンでZepp羽田に。ペン卒を確信した日だった。
  • 親友と西湖にキャンプに行く。昼は悪天候で凍え死にそうになりながらテント設営したけど、夕方にはすっかり晴れて冴え冴えと気持ちの良い時間をすごした。薪ストーブって最高だ。朝はあちこちに霜がおりてきらきらと美しい世界だった。
  • SEVENTENで久しぶりのソウル。楽しかった。好きだった女の子と終演後「楽しかった~!」とどちらからともなくハグをした瞬間が忘れられない。それくらい楽しかった。April Showerで空に浮かぶ宝石の美しさがずっと目に焼き付いている。
4月
  • 連れと有給とって花見がてらピクニック。サンドイッチをたくさん作った。
  • 劇団四季『美女と野獣』@舞浜 終演後友人と葛西臨海公園で花見をした。
  • 友人とランチのあと、あまりの気候の良さにコーヒーをテイクアウトして近くの公園を探して日向ぼっこしながらおしゃべりした日。汗ばむほどの陽気、舞い上がる花吹雪。人があまりいない、良い公園だった。
  • 薄ミュを観ていた。好きな俳優の主演舞台だけど、山南編がさ、よすぎたから……。
  • 交際再開2年記念。初めてのデートのときと同じく上野の藪蕎麦で飲んで、国立博物館を見に行った。
  • 友人が参加する短歌と日本画の展示『ロスト・イン・トランスレーション2』を友人たちと見に行った。
ゴールデンウィーク:メキシコ11泊13日
5月
  • SVT FOLLOW AGAIN to JAPAN 大阪長居ヤンマースタジアム/横浜日産スタジアム 大阪は席が近すぎて、Highlightのムビステでちょうどホシくんとジュンくんが目の前で踊っていて、呼吸の仕方を忘れるんじゃないかってくらい泣いていた。
  • 2月で離任したプロジェクトに、アドバイザー的な立場で短期間戻ることに。プロジェクトメンバーががらりと変わり、優秀な後輩に対する接し方に試行錯誤する日々が始まる。PMにめちゃくちゃ飲みに連れてってもらう。
6月
  • - 友人と国立新美術館『遠距離現在』へ。
    - メアBirthday Live月間。今年はるかさん、咲人さん、Ni~yaさんと6月組は全部行った。るかバと咲人バのセトリ最高だったなあ。
    - 全然そんなつもりはなかったのに、母に内見だけでもと唆されて行った物件が思いのほかよくて、真剣に家の購入を考え始める。
7月
  • 新しいプロジェクト。専門領域に戻れて全能感に浸る間もなく、優秀すぎる後輩に劣等感をばりばりに刺激されて凹み続ける。
  • 悩みつつも家の購入を決め、ローンの準備やらお金の工面やら、苦手な書類仕事をめちゃくちゃがんばる。
  • 友人夫婦と花火大会に行く。近くて圧巻。
  • 友人たちと東京都現代美術館『翻訳できないわたしの言葉』展に。よかった。
  • モリミュコン。シアターH、絶妙に行きづらい。
  • 劇団四季『ゴーストアンドレディ』ぼろぼろ泣いた。
8月
  • 近所の祭りで盆踊りを連れと踊った。
  • 熊谷の花火大会、初めて自分で浴衣を着付けた。暑かったけど屋台料理もたくさん満喫して、一番夏を感じた日かも。
  • とうとう家を購入、そして2日後に引っ越し。
9月
  • 友人の結婚式。家父長制に抗わんとする友人らしい誓いの言葉に胸を打たれて式の序盤から泣く。4次会まで同級生たちと話し込んだ。昔好きだった男に服がよく似合っていると褒められたのが嬉しかった。
  • キ上の空論『緑園にて祈るその子が獣』 嫌いな脚本だった。
  • ナイトメア天下再暴走@日比谷野外大音楽堂 何もかもほんとうに最高だった…咲人さんのピックもとれた。
  • 両親を家に呼んでもてなし。
  • 転んで肝臓割れてまるまる1週間入院。本は読み放題ゲームはし放題、食事は勝手に出てくるし、誰とも喋らなくていいし、最高の入院生活だった。
10月
  • 友人たちとサンリオピューロランドに行った。
  • 久々の高校の友人と会って、フェミニズムとの関わり方について喋る。前提となる知識を共有できる相手との会話ってこんなにも楽か。
  • マーティン・マクドナー作、小川絵梨子演出『ピローマン』@新国立劇場 連れと楽しみにしていた日。
  • カルカソンヌにはまって連れとしょっちゅう遊んでいた。
  • 友人夫婦を招いてホームパーティー。なんかめちゃくちゃ飲んだ。
11月
  • 寝ても覚めても仕事のことを考えている。
  • スマホの通信容量を増やしたのでアイドルの動画を通勤中に観られるようになり、ドルオタに戻ってきた。
  • いくらの醤油漬けを自分で作った。美味しすぎてすごい勢いで消えた。
  • 友人とジビエを食べに行ったり、別の友人と米の美味しい定食屋に行ったりもした。
  • ナイトメア Ultimate Circus@横浜BAY HALL 雨で寒かったことと、ステージがめちゃくちゃ見づらかったことばかり記憶に残っている。天下再暴走が楽しすぎたから仕方がないね。でも懐かしい曲を聴けて良かった。
12月
  • 寝ても覚めても仕事のことを考えている。
  • オーブンを買った。
  • SVT RIGHT HERE 東京ドーム 2days
  • 翼の創世記
  • 大学のサークルの先輩夫婦とご近所会。
  • 引越し後の実家に初訪問。曽祖父の切手コレクションなどを見せてもらう。でかいチェスボードをもらって帰る。
  • ナイトメア Ultimate Circusでライブ納め
  • 年末、うまいもの三昧

こうして振り返ってみるとよくわかるけど、ただ楽しさに興じているだけで、それについて語る言葉など今の私は持たない。特に7月以降、新しいプロジェクトに入って、仕事がべらぼうにできる後輩に劣等感を刺激され続け負けたくないと必死になっているうちにどんどん時間が過ぎていって、私の中から言葉はどんどん失われていった。能力主義に侵されてしまったら、それに抗う思考すら持てなくなる。自分の矛盾に、欺瞞に、耐えられないから、資本主義に迎合したそこらへんのつまんなくて愚かな人間のひとりとして、私がもっとも軽蔑する類の人間として埋没することを受け入れ始めてしまった。語る言葉を持たない人間など存在していないことと変わらないから、私は今年ほんとうに死んだのだと思う。

 

ベスト本

  1. トルストイ『光あるうち光の中を歩め』
  2. レイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』
  3. 田崎礼『レーエンデ国物語 2 月と太陽』
  4. 高野秀行『イラク水滸伝』
  5. 三浦しをん『ののはな通信』

本はほんとうに良い作品にたくさん出会えて嬉しかった。レーエンデは私の愛する友人たちと分かち合いたいなあと思う。ののはな通信は、だいぶ前に友人に勧めてもらって積読になっていたのだが、入院して時間がたっぷりあるときにふと思い出して、連れに図書館で借りてきてもらった。

ベスト映画

  1. マイ・エレメント
  2. ポトフ - 美食家と料理人 -
  3. フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
  4. たんぽぽ
  5. 関心領域

本数は当社比まあまあ観てるはずなんだけど、印象に残ったものが少ない。

ベスト現場

  1. NIGHTMARE 天下再暴走 @ 日比谷野外大音楽堂(9/16)
  2. SVT FOLLOW AGAIN to JAPAN @ 大阪長居ヤンマースタジアム(5/18)
  3. SVT FOLLOW AGAIN to INCHEON @ 仁川アシアド主競技場(3/30)
  4. NIGHTMARE Birthday Live 2024 咲人
  5. NIGHTMARE Birthday Live 2024 RUKA

ナイトメアの現場によく行ったなあ。現場納めはメアの冬ツオーラスでした。そして2025年の現場初めもナイトメア。25周年に向けてもっと愛していきたい。

ベスト舞台

  1. 劇団四季『ゴーストアンドレディ』
  2. 翼の創世記
  3. ピローマン

去年のモリミュがあまりにも自分にとって大きすぎて、何を観ても見劣りしちゃう感じだったのもあり、今年はまったくといっていいほど舞台を見なかった、ので5選もできず。マクドナーの舞台はすごく楽しみにしていたので行けてよかった。

ベストご飯屋さん

  • 手作り餃子の店 吉春(国領)
  • nope(千歳烏山)
  • つきのや(阿佐ヶ谷)
  • 風乗りメリー(下北沢)
  • サエキ飯店(目黒)
  • MAEN sake pairing restaurant(恵比寿)
  • ひとひら(学芸大学前)

大衆居酒屋もちょっと良いお店も。載せてないけど、今年前半の大阪出張の時期に上司にいろいろと美味しいところに連れて行ってもらったのも楽しかった。自分の食に対する執着を再確認した年だった。仕事をして眠るだけの日々の中で、食だけはゆるがぬ光になってくれていると思う。

ベスト・バイ


  1. まあこれでしょう。前の家もかなり気に入っていたし、連れと正式に同居して間もなかったのもあって引っ越す気などさらさらなかったはずで、思いもよらない出来事だった。中古だったので購入を決めてから引っ越しまでの期間がかなり短く、怒涛のように過ぎていって、感覚としては「気がついたら自分のものになっていた」みたいな感じ。これまでで一番真剣にお金のことを考えた。人生のクエストをひとつ消化した感じがあるけど、子どもを持つつもりのない自分にはもう大きなライフイベントがないんだなあと思うとちょっと不安な気もする。でも買ってほんとうに良かった。住んでみて気になるところはちょこちょこ出てくるけど工夫でどうにかなる範囲だし、自分好みにインテリアを時間をかけて選べたのも良かった。借り物ではなく自分の家、という感じがする。窓側に大きな建物がなく、空が大きく開けているのと、夜が静かなのが特にお気に入り。
  2. AROMATICAのヘアオイル
    髪の乾燥がひどく、でもあんまり重めの質感のものは嫌で探していたときに出会った。いい匂いなんだけどずっと香り続けているわけではないのも使いやすくて好き。あまりに良かったので友人の誕生日にも同じものを贈った。
  3. メキシコで買ったタイル
    市場で見つけたもの。ほんとうは小さなタイルがたくさん散りばめられたでっかい姿見がめっちゃくちゃ可愛かったのだが、さすがに持って帰れないので、せめてもの選択。後日、親がトルコ土産で買ってきたタイルが、同じ店で買ったのかと思うほど雰囲気が似ていたのには笑った。主にコースターとして使っている。
  4. AFTERNOONTEAの無重力リュック
    後半になってPCを2台持ちする生活になったので、さすがに肩掛け鞄に限界を感じて買った。シンプルで気に入っている。もともと使っていた鞄は皮だったので、ハート型のプログレスプライドフラッグのピンバッジと、"I STAND WITH PALESTINE" の缶バッジを着けて通勤できるようになったのが良かった。せめてもの意思表示。
  5. SHARP ウォーターオーブンヘルシオ
    クリスマスなんかに凝った料理を作るのにどうしてもほしくて、ブラックフライデーセールのときに買った。信念に反してブラックフライデーセールを利用してしまったことへの自己嫌悪はいまだありつつ、ほんとうに買ってよかった!連れがクリスマスに作ってくれたシェパーズパイが信じられないくらい美味しかった。

総じて良い一年だったとは思うんだけど。2023年、ムビナナにあれだけ影響を受けて、善くあろうとすることを諦めずに生きたいと思えていただけに、ただ日々を淡々とこなすだけのがらんどうな自分が怖い。何より、たった1年でこうも変われてしまうことが。

 

2025年

  • 今年こそ資格とる
  • 昇進
  • だらだら仕事しない、どんなに遅くても20時に切り上げる
  • duolingoで韓国語やる
  • ピラティスをサボらない
  • 家計簿つける、予算オーバーしない
  • 自炊の幅を広げる、お菓子を作る
  • 土曜日に予定を入れない
  • 人と会う予定を最小限にする
  • 文章を書くことにきちんと時間を割く
  • 風呂、歯磨き、スキンケアをさぼらない
  • 映画と本、セブンティーンとナイトメア
  • デモに行く、虐殺や差別に抵抗するためにできることを無理せずやる
  • 腕に刻んだHuman Rightsに恥じない生き方をしたい

241111-1117

  • 241111
    • 昼 トースト
    • アイナナシャッフル企画を読んだ。
      • Chameleon Chillの「グループ内の喧嘩をどう解決するか」というトーク、すごいよかった。大和が話し合いの力を信じられるようになったのってすごいことだ。「本当の自分」じゃなくて「誰かに嫌われない自分」というの、今の私はまだそんな感じだなあとぐっさりくる。
      • 一織パズルゲームなんか時間の無駄って思ってそうなのにパズルゲームやんの!?って思ったらツムツムだった(納得)
      • チャーハンにスパイシーな味付けしがちなトウマくんも萌えたけど、それを龍にずーるっぽいって言われて喜ぶトウマくんが愛しかった
    • 連れと買い物。ポッキーを買う。あと鶏レバーがかなり安く売っていたので、思い切って買ってみた。どうする?買う?と逡巡していた私たちの横から、3パックくらいためらわずに買い物かごに放りこんでいった強者がいた。
    • ほぼ連れにやってもらって筋子を仕込んだ!お湯でほぐす時に塩水にし忘れたから、たぶんいくつか浸透圧ではじけさせている。それでも出来上がった見た目はそれっぽい感じになっていた。一晩漬ける。
    • 夜 鶏肉のトマト煮込み
    • 映画『オーケストラ』前半
  • 241112
    • 出社。連れは終日休みで、レバーパテを作っておいてくれた。下処理がかなり大変だったらしい。手作りなんてそう日持ちしないだろうが、何せ600gもあるので大量にできてしまい、親におすそわけを打診する。
    • 昼 鶏とさつまいものクリームパスタ w/ 同僚
    • 夜 壺ニラをのっけた豚骨ラーメン、鶏ハツと長葱の炒め物、レバーパテとバゲット
      • 鶏ハツは連れ作。塩加減が絶妙で最高、ビールが進みまくる。
    • 映画『オーケストラ』後半
      • 楽器をやりたくなる。頭の中でチャイコフスキーが止まらない
  • 241113
    • 朝の仕事を終えた連れが体調悪いと言いながら帰宅してきて、どんどん熱があがっていった。
    • 昼 いくらしらす丼、ちぎった大葉を添えて。いくら、正月まで冷凍しようかと思ったけど、あまりに美味すぎて秒でなくなりそう。
    • 夕方、父が家までレバーパテを受け取りに来る。ついでに連れのためのポカリを買ってきてもらった。こういうときに家が近いのはありがたい。栗むし羊羹とほうじ茶をもらった。
    • 夜 トマト煮込みの残り、蕪の葉としらすのふりかけ、食べるラー油冷奴
    • 深夜3時まで仕事してしまった。うつされては困るので、ソファで寝た。寝心地は悪くない。
  • 241114
    • 深夜3時まで作った資料は、会議の時間切れでほとんど出番がなかった。来週に向けた貯金と思えばいいのだが、だったらこんなにがんばらなくてもよかった、とは思う。
    • ピラティスにやっと行けた。
      • 今回行けなかったら真剣にやめようと思っていたのでほっとしている。
      • あいかわらず胸式呼吸には慣れないながらも、すこしずつ体の動かし方がわかってきた気がする。狙った筋肉に負荷を与えることができているという手応えは気持ちがいい。
    • 夜 たらこパスタ
  • 241115
    • 昼 いくらしらす丼、たらこもちょっと。
    • 夜 今月末で退職する同僚の送別会
  • 241116
    • 午前中に買い物。
    • 昼 鶏レバーペーストのトースト
    • 夜 半年ぶりに会う友人とジビエ料理を食べに。兎、猪、鹿、雉など。そういえば熊を食べ忘れている。お互い大きなライフイベントのあった半年で、キャッチアップすることに事欠かなかった。でもなんだか仕事の話ばかりしていた気がする。仕事のスタイルやスタンスが近くて話しやすいこともあるけれど、それだけ今の自分の生活においてそこの比重が大きいということか。6時間くらい話していたけどあいかわらず時間は足りなかった。
    • 連れが豚丼を食べたいというので、家を出る前に作っておいたのだが、いたく喜んでもらえてよかった。
    • 三島由紀夫『夏子の冒険』を読み終える。抗いようもなく、この人の書く美しい文章のことが大好きである。その生涯の終え方くらいは知っていて、その思想がかなり違うところにありそうだという認識はありつつ、そういう人から生まれるものにどうしようもなく惹かれるというアンビバレンスを直視する勇気がなかったのだが、もう正面から受け止めようという気持ちになってきた。
  • 241117
    • ブランチ 鶏レバーペーストのトースト
    • 免許証の住所変更をしに、免許センターまで。薄手のセーター1枚だったけど汗ばむくらいで、11月中旬とは思えない気温だ。帰りのバスは冷房が効いていた。帰りに化粧水とヘアオイルを買った。クルエルティフリーではあるけど、なかなか石油由来の成分を完全に排除するのは難しい。
    • 三島由紀夫のWikipediaをひたすら読んでいた。彼と私の違いは、美しさを「日本」という限定した範囲に見出すか、ひろく「人間」に見出すか、というところにあるのではないかと思った。思ったよりも遠くないところにいる人だと思ったし、私が彼の文章に惹かれることの説明があっさりついた。もっと読んでみたい。
    • 遅めの昼 昨日の豚丼
      • たしかにかなり美味しかった。とろとろの玉葱は最高。
    • おやつ 栗蒸し羊羹とほうじ茶
      • 父がわざわざほうじ茶もセットでくれた意味がわかる。羊羹の甘さとほうじ茶の香ばしい苦さの相性が良い。 
    • 高野秀行『イラク水滸伝』読了。
      • 『アヘン王国潜入記』 『イスラム飲酒紀行』に続いて3作目だが、今のところ一番好きかもしれない。この行動力と調査力、文章力を併せ持つのは、つくづく稀有な人だと思う。ものすごくおもしろかった。
      • いかにアメリカという国がこの土地を破壊したのか、その横暴さを初めてちゃんと実感して、言葉が出ない。
      • 「ブリコラージュ」という言葉をこれで知った。緻密な計画を練ってから行動するのではなく、とにかくその場であるものでやってみる。だめだったらその時考える。アジャイルとも違う。もっと奔放でもっと柔軟。効率は悪いだろう。でも効率が良いことをいいものとするのはそもそもが資本主義的で、西洋的な価値観だ。そこに与しない生き方があることになんだか元気をもらったような気がする。
      • 私はこれまで、辺境各地の旅で、本来、自然の中で生きてきた人たちが急速に町や道路や車に呼び寄せられる光景を見てきた。そしてそれを『文明の重力』と名づけた。よほどのことがないと逆らえない力である。
      • 単純な技術という意味だけでなく、文明化は啓蒙主義・植民地主義と切り離せないと思っている。たとえば私が信奉する人権の概念は、西洋的な価値観の産物だ。それが奪ってきたものを考える。
      • だから、文明の重力は、均一化する力でもある。伝統は薄められ、文化的な多様性は失われる。
    • 夜 青椒肉絲、青菜の中華スープ(豆腐、木耳、溶き卵)
      • 先週友人夫婦にふるまったパエリアに使ったパプリカの残りを使ったら彩りがよくて良かった。
      • 青梗菜は上湯で食べるのがもっとも美味いのではないか、と思いたくなるような。
    • 兵庫県知事が再選したらしい。
      • 人を自死に追い込んだだけでなく、公益通報制度を踏みにじったその人である。そういう人に投票する行為は、すなわち法治国家そのものへの否定であり侮辱だろう。どうして、と思いたいけど、わかっている。人権と法について学ぶ土壌のない社会が衆愚政治に陥るのは、水が低きに流れるようなものである。ポピュリズムはけっして対岸の火事などではない。
    • 就寝前に荒川洋司『文学は実学である』を読み始めた。
      • 表題に惹かれて、何も知らずに手にとったまま積読になっていたものだけど、なんとなく鼻につく文体、たぶんあんまり好きじゃない。まあでも読んでみる。
      • 連れと離れた空間で寝ると、眠くなるまで本を読むことができていい。こういう時間がずっと必要だった。

2024/10/12-18

1012

親友の結婚式で早起きする連れに合わせて7時頃起床。スーツ姿が物珍しくてたくさん写真をとったけど、いつものラフな格好のほうが好きだなとも思う。でもふだん見ない姿って新鮮で楽しい。連れが出ていったあとは、ひととおり家事をすませる。昨晩の皿を食洗機に入れ、生ゴミを片付けてシンクとコンロを磨き、洗濯機を2回まわして干し、掃除機もかけて、トイレと洗面所も掃除して、朝食もしっかりとったのに、友人たちとの待ち合わせの15分前に着いた。ちょっと自分じゃないみたいで怖い。

サンリオピューロランドは3年前に好きだった女の子と訪れて以来だ。テーマパークにいる人間というのはたいがい幸せそうな顔をしているものだが、客だけでなく館内の世界そのものに人を傷つける意匠(武器とか)がないことにずいぶん気持ちをやわらげてもらったような気がする。

パレードはちょうどボートライドに並んでいる途中で、直接見ることは叶わず、聞こえてくる音と照明で雰囲気だけ味わっていたけど、それでも「悪役」でさえ排除しようとしない「思いやり」に満ちたテーマ性は伝わってきた。一緒に並んでいた友人に、知恵の木は、世界中の人が仲良く、思いやりをもって暮らせるようにと願って植えられたものなんだと教えてもらって、平和への祈りが「知恵」と名付けられていることに胸を打たれてしまった。そう、知恵とは、人が人と共に生きていくためのものであるはずだよな、と思う。人を殺すために、蹴落とすためにつかわれる知に恵みなどない。

ボートライドも、下り坂が控えているのを見て、えっこれもしや落ちる!?心の準備が!と焦っていたらゆるやかに下るだけで、みんなで拍子抜けして笑った。そういうところも優しい世界だった。

ふらふらと歩き回って、ときどきアトラクションを楽しみつつ、レストランで他愛のない会話に興じていたらあっというまに閉園時間になった。どうもテーマパークというところはがんばらないといけない、楽しみ尽くさないと損をする場所のように思っていたけれど、こういう気負いのない穏やかな楽しみ方もできると知れて嬉しい。次行くことがあれば、パレードを正面から見てみたい。揃いのカチューシャを着けて遊ぶ友だちなんてこの年になるまでずっといなかったから、ここまで生きてきてよかったなと思う。別れがたくて入った近くのファミレスで、けっきょく3時間くらい話し込んだのも楽しかった。

連れが朝に帰ると連絡を寄越してきたのをいいことに、溜めていた日記を書いているうちに午前2時をまわり、そろそろ寝ようかと思い始めた矢先、連れから酔った調子の電話がかかってきた。あろうことか、今日結婚式の主役だったはずの新郎その人を連れ帰っていいかという。新婦のほうはいいのかと思いつつ、かまわないとこたえると、午前3時すぎにふたりで帰ってきた。新郎とは私も同窓で、演劇でかかわったこともあるし、学生時代(以前連れと交際していたとき)には大曲で一緒に花火を観たこともあるくらいの、顔見知りというにはやや親しい仲ではあるが、いまだに自分自身の友人というよりも「連れの友人」の感覚が強く、それがすこしさみしいときもある。ただ、ふたりの会話を聞いていると敵わねえなあ、と思う。ああいう友人を持てる連れのことが羨ましいし、自分は男ではなく、だからそこから疎外される存在であることをつくづく感じる。新郎もふくめ、同じ男子寮の出身者である仲間のことを、連れは「家族」と呼ぶ。そこには諍いも食い違いもあり、同じ寮でなければ関係が始まることも、続くこともなかったであろう間柄だ。愛憎、というにふさわしいそれは、すくなくとも私の知るような好意をベースにした友人関係とは異なるものに見える。「高度に発達したホモソーシャルはBLと区別がつかない」とは友人の言葉であるが、彼らの観察を経て得たのは、なるほどその言葉が真実であるという実感だった(連れ自身、酔うごとに「俺、あいつに惚れてんのかなあ」などとたびたび口にする)。自分が女であるがゆえにけっして手にすることのできなかったホモソーシャル性を、こうして間近に観察できることには、薄暗い喜びがあるなと思いながら、1時間ほど酔っ払いどもの話に付き合っていた。

1013

午前7時ごろに新郎を見送り、二日酔いで起き上がれない連れを置いて、祖母の卒寿を祝いに行く。ほんとうは私が施設まで運転するはずだったが、さすがに寝不足なので親にまかせることにした。祖母の好物の鰻を包んでもらって土産に持っていき、面会室でみんなで食べた。祖母は血色がよく元気そうに見えた。90歳ということは、亡くなったときの祖父と同じ歳である。

就職してからというもの、顔を合わせるたびに結婚のことを尋ねられてきたので、いい加減観念して同棲していることは少し前に伝えたのだが、それで満足してくれると思ったのは甘かったらしい。「いつかはちゃんとするんでしょう?」と言う、その「ちゃんと」とは法的に婚姻することを差しているみたいだった。「優しくていい人だよ」とか「向こうのご家族にもご挨拶はしているし、いい人たちだよ」とか「相手もこっちの両親に何度も会っているよ」とか法的な婚姻以外で安心してもらえそうなことを言ってみたり写真を見せたりといろいろ試みのだが、祖母の中では法律婚以外は幸せになったとは定義づけられないらしかった。連れの父親の勤務先が名だたる大企業であることまで持ち出して(私の名誉のためにいうが、これを言い出したのは母である)、ようやく「それなら大丈夫かしら」としぶしぶ納得する様子を見せられたのも嫌だった。私が婚姻しないのは主に同性婚と夫婦別姓の実現されていない差別的な制度に与したくないことと、家制度=家父長制が前提となった戸籍制度が嫌いであることが大きいが、私たちが私たちだけの意志によって一緒にいることを(そしてあるいは、一緒にいるのをやめることを)選べる状態であることに意味がある、というのが私と連れが意見の一致を見るところでもある。法律婚によって家制度に組み込まれること、すなわち私と連れふたりの話ではなくなることを、私たちはふたりとも拒んでこの形を選んでいる(言わずもがな、私たちの在り方は選択の結果であり、「選ぶ」余地をゆるされているのは、私と連れがたまたま異性の組み合わせだからである。戸籍制度なんてキモいもんは今すぐやめちまえと思ってはいるが、それは異性どうし以外の人たちを選択肢から疎外することを肯定する理由にはならない)。だから私の愛する人の価値が、その父親の所属によって図られることが心底悔しかった。私の幸せを願うと言うなら、私が愛し、信じた人と共にいるということ以外の何を重んじる必要があるのか、なぜ私の意思と、私のいう「素敵な人である」という評価のみでは安心の根拠たりえず、その父親の勤務先では安心できるのか、心底わからないが、理解できないという点ではおたがいさまである。家制度とはそういうものなんであろう。それは旧社会によってもたらされた価値観であり、祖母にとやかく言ってもはじまらない。わかる気もない代わりに、わかってほしい気もない。「幸せでいてほしい」という祈りだけはありがたく受けとめるが、その方法を決めるのは私である。

なお、母親は祖母の前では、話を簡単にするために私と連れのあり方を「結婚」と呼んだ。あ、こいつ端折りやがったな、と思った。将来も一緒にいる意思を持って一緒に暮らし、そのことをおたがいの家族や友人、職場の人間などにも認識されている、という点では、結婚の特徴を満たしているということもできるのだろうし、母が祖母とのコミュニケーションを円滑にするために意図的に選んだ言葉だとわかっているからわざわざ揚げ足をとろうとも思わないが、なんとなく軽んじられたような気分にはなる。

昼すぎに祖母と別れ、海の方の友人を尋ねに行くという両親とも駅で別れて(60を過ぎてもこの人たちは私よりよほど社交的で活動的である)、電車でことこと帰った。一日横になっていた連れはようやく二日酔いが抜けたらしく、さすがに体を動かしたいというので、買い物がてら散歩に出た。数十分歩き続けているうちに川に突き当たったが、ちょうどそれがマジックアワーと呼ばれる暮れなずむ時間帯で、土手の上を行き交うランナーやサイクリストのシルエットがくっきりと橙の背景に映えて、息を飲むほど美しかった。狙ったわけではなかったから、ほとんど奇跡だね、と言いながら、その橙がすっかり紺に飲み込まれるまで川沿いをひたすら歩いていた。

日が落ちてからも歩き続けて、気づけば2時間近く経っていた。さすがにおなかが減って近くのラーメン屋に入る。よく並んでいる人を見かけるので期待していたのだが、もう来なくてもいいかな……という感じだった。悪くはないんだけど、チャーシューが脂っぽいのはけっこう苦手。一度ひとりで来た連れ曰く、前回はもっと脂身が少なかったそうなので、チャーシューガチャである。

夜はゲームをするほどの元気もなく、かといって映画を観てしまうと時間がすぎてしまうことがもったいなく思えて、ふたりでなんとなくテレビを見ていた。日付が変わってから始まったEテレの『地球ドラマチック“約束”の菜園 ~虫と野菜のハーモニー~』が思いのほかおもしろく最後まで見てしまった。映像の制作はフランスとドイツで、そのあたりにあるのだろう無農薬のハーブガーデンをめぐる植物と昆虫の生命のやりとりが美しい映像だった。映画だと観ているあいだは会話しないけど、テレビはふたりでわいわい言い合えるのが良い。そのあとも寝るのが惜しくてぐだぐだしているうちに、今度は『運転席からの風景』 という番組に遭遇した。ナレーションもなく、時折入る字幕以外は、電車の先頭につけたカメラの映像と、停車駅の周辺の風景を淡々と流すだけの不思議な番組だった。この日は京浜工業地帯を走るJR鶴見線が舞台で、知らないままではきっと訪れることのなかったであろう土地の風景が、そこで生活する人々の息遣いを感じさせながらただ存在しているのが、すごくすごくよかった。ガタンゴトンという単調な音を聴いているうちに眠くなって、終点の鶴見駅までたどりつくのを見届けて眠った。静かな夜だった。

1014

引っ越しを終えて、とにかく段ボールだけは早く処分したくて、配置なんか考えずに棚に適当に本を突っ込んだせいで、入り切らなかったやつらが床に積まれたまま1ヶ月が経っていた。そろそろ資格の勉強をしないといけないが、部屋が散らかっているとそちらに気を取られて集中できないので、今日こそやると決めていた。気合いを入れて手をつけた結果、見えていた未来だったけど、けっきょく一度入れていたものも全部出す羽目になり、いっときは身動きもままならないほどの状態になったものの、5時間近くかけてついに収拾をつけた。見違えるように床が広い。部屋から勉強しろと聞こえるような気がして、これはこれですこし落ち着かない。片付けているあいだじゅう、開けた窓から金木犀の匂いがむんと流れ込んできていた。

夜は冬瓜と鶏の煮物、南瓜の煮つけ、蓮根と人参のきんぴら、豆腐となめこの味噌汁、わかめご飯。冬瓜はこのあいだおつとめ品になっていて、はじめから鶏肉と煮るつもりで買ってあったのだが、帰ってきた連れは、最近冬瓜が食べたいと思っていたのだと驚いた様子だった。きんぴらはいつもの薄切りではなく、歯ごたえが残るような大きめの切り方にしたら、これが美味しかった。次もこれでつくろう。

1015

いつだかの飲み会でふたりきりになったタイミングで、「きりこさんは結婚しないんですか?」と何か聞きたげな顔で話しかけてきた後輩の左手の薬指に、真新しそうな指輪が光っているのが目に留まって、やはりねと思うなどする。あたりまえだけど、別に触れたりはしない。

20時退勤。今日は連れが夕飯を作ってくれるので、間食したい気持ちをおさえて、コンビニから一番遠いエレベータに乗った。待っていたのは秋刀魚の塩焼き、とろろ、栗ご飯!それと昨日の残りの冬瓜と鶏肉の煮物。秋刀魚はこのあいだよりもさらに脂がのっていて美味しかった。栗を剥くのはだいぶ苦労したらしい。はじめて連れに作ってもらった食事も秋の献立だったことを思い出す。食後は『少女革命ウテナ』を見始めたのだけど、美味しい食事をがっつきすぎたせいか血糖値が急激に上がりすぎたらしく、すさまじい睡魔に襲われてそのまま眠ってしまった。

1016

20時すぎに仕事を終えて、明日の友人との食事の店を見繕って、すこし体を動かしたくてトレーニングバイクを漕ぎ始めたまではよかったのだが、30分ほどで終わると思って見はじめたゴセが50分あったことが敗因だった。けっきょく最後まで見てしまって、気が付いたら22時近かった。夕飯を作っておこうと思ったのに、また間に合わないまま連れが帰宅。だめだなあ。私は週5・10時間労働もやれちゃう頑健な体を持っているけど、それって全然大丈夫ってことではない。心が死んでいる。

23時くらいに重い腰をあげて夕飯を作り始めた。今夜は肉じゃが。あとは昨日の残りの冬瓜と鶏の煮物(鶏はもうないが)、南瓜の煮つけ。作り置きがあるってほんとうに便利だ。選挙の話を連れとちょっとしたけど、いろいろ話せるほど自分の考えがかたまっていなくて、あんまり弾まなかった。そりゃあ政治信条はかなりはっきりしているから選ぼうと思えば選べるだろうし、選挙に行かないということもまずないんだけど、どこまで社会に絶望し続ければいいのかわかんなくて考えるのをやめてしまっているところは、正直ある。食べ終わったときにはとっくに12時半になっていた。シャワーを浴びて就寝。

1017

出社。天気のことをあまり思い出せない。雨は降っていなかったと思う。長丁場の会議を終え、18時半に退社して、同期と落ち合う。同期の新卒入社4人のうち、今となっては残っているのは彼女と私だけである。その彼女も所属がまったく違うので、研修を終えてからはめっきり会う機会が減り、気がついたら、会うのはこの日が2年ぶり以上だったらしい。もともと気兼ねなく話せる相手だったが、それにしても思っていた以上に楽しかった。これは入社当時から薄々自覚があったことだけど、私はずっと彼女のことを下に見たがる節があったと思う。入社したのが4月ではなかったこともあって、新卒の4人以外にも会社員経験のあるキャリア入社組も一緒に研修を受けていた。ぼろぼろに荒んで大学院から逃げ出し、ずっと暗い地底にうずくまって、このまま社会に適合できないのかもしれないと怯える日々を過ごしてから間もない頃だ。スタート地点の違う人たちと並べられて評価されるなかで、せめて同期の中では自分の価値を証明しないといけない、と躍起になる気持ちがたしかにあった。そこから丸七年がたって、まだ優秀な後輩に劣等感をおぼえたり、若手にはできる人に思われたいなんて見栄を張りたがっちゃったりするのも完全にやめられてはいないとはいえ、それなりに長いこと会社員をやって、やっていけるという手応えはただの実感に変わり、今はそういう気負いはだいぶ抜けてきたと思う。「なんでがんばらないといけないんだろうね」という話をしていたら、「あなたがそう思えるようになったことが私は嬉しい」と鷹揚な笑顔を向けられて、なんと懐の深い人だろうと思った。中学受験のときから今にいたるまで、現在進行系で能力主義に晒され続け、優秀であることを志向するように社会と親が仕向けた以上、私が人に優劣を見出そうとする悪癖から完璧に逃れることはたぶんできない。できないけど、それに左右されずに目の前の相手との会話を楽しむことはできるようになった。この人と話すのってこんなに楽しかったのか、と思った。それを見逃し続けていた自分の愚かさが悔しいけど、「北海道とか一緒に行こうよ」という彼女の誘いを、この人と行くなら悪くないなと思えるようになったことがすごく嬉しかった。

1018

仕事中、飲み物をとりにいこうとしてキッチンに行ったら、残りの栗で連れが甘露煮を作っているところだった。ちょうど出来たてを食べさせてくれて、これが棚ぼたというやつ。冷たい甘露煮はお菓子でよく出会うけれど、噛みしめることもできないほどにまだ熱いやつを食べたのは初めてだ。きっと蜜に長いこと漬けて冷えたほうが甘みは染みるのだろうが、かえって栗本来の味が際立ってすごく美味しかった。昼は連れが昨日買ってきたらしい安売りのカレーパン(美味しかった)と、残り物の炒飯。午後はさっぱり仕事がはかどらなくて、夕方気分転換に1回だけと始めたゲームに3時間を溶かして、そんなのやる前からわかってるのにね。自分のあほさ加減に落ち込んで、とりかえすように連れが帰宅する22時過ぎまでパソコンの前にいたけど、いまいち自分の作りたい資料がうまくイメージできなくて、ただ座っているだけの時間のほうが多くてもっと落ち込んだ。連れはすっかりそういう私の扱いにすっかり長けてきており、「とりあえず酒を飲めばいいんじゃない?」と軽口を叩いてさっさと肉じゃがと栗ご飯を温めはじめた。解決になってるんだかなってないんだかわからない軽やかさに気が抜けて笑ってしまった。救われている。

2024/10/10

昨日とはうってかわって秋らしい晴れた空だった。出社の日。自分のメインの担当会議は昨日終わらせているから、日中は軽い気持ちで過ごせたのだが、夕方になって面倒ごとが持ち上がり、予定よりだいぶ会議がのびた。おかげで、終わらせようと思っていた作業はなにひとつ進まなかったうえに、楽しみにしていたライブには40分ほど遅刻する羽目になった。愛する時間のために労働をしているのに、労働のせいで愛する時間を奪われるんじゃ本末転倒だよ、とくさくさした気持ちになりながら会場に向かっていた。でも、階段を降りて、バーカウンターでドリンクを受け取って(いつもだったら迷わずアルコールにするのだが、帰ってから仕事をする予定だったからコーラにした。酒というのは、ここから先は労働と切り離された世界であることの祝福であり赦しなので)、重たい扉をあけて会場に入ったら、ちょうど曲が終わるところで、その次に始まったのは、一番聴きたかった新曲『死亡遊戯』だった。それならば受け入れよう、と思った。咲人さんは私にとって必要な言葉をくれる人だから、きっと最初に聴くのがこの曲だったのは、こうなるべくしてのことだったのだろうと。

咲人さんのライブは昨年の9月ぶりだったけど、やっぱり水の中みたいだ、と今日も思った。空間を満たす音に身を預けることは、水に潜ることに似ていると思う。潜るといっても、意志を持って水をかいて水底を目指すのではなく、重力と浮力のあいまに自らを投げ出して漂わせていたら、いつのまにか足の爪先がやわらかな砂に触れていた、みたいな感じ。波にたゆたうみたいに音に合わせて体を揺らしていると、細胞を構成する成分が、すこしずつ、確実に憂鬱から心地よさに置き換わっていく。スモークを焚かれたステージに差す照明の光はマリンスノウみたいでもあったし、そう思うと前の方で頭を振っている人たちの髪は、その透過した光の中でゆらゆらと揺れる海藻みたいにも見えて、ちょっとおかしかった。途中から入って、人もまばらな後ろの隅っこのほうにいて、熱の中心地からは少し離れていたから、すこし遠くの景色を眺めているような感覚があったのかもしれない。でもその遠さはけっして隔たりではなくて、押し寄せてくるうねりは、たしかに空間を共有している実感があった。

入ったところからのセトリ

  • Ganesa - Electric Sitar Suite: I -
  • 死亡遊戯
  • 嗜好品
  • ヰタ・セクスアリス~がらん~Tokyo Underworld~Mercy Killing
  • Crook
  • ジムノペディア

En.

  • Halcyon
  • 名状し難いほど有り余る邪気
  • Korokke Soba
  • スターゲイザー
  • DAWN

 

アンコール終わってわりとすぐに会場を出てしまったんだけど、ダブルアンコで『名状~』をもう一度やってたみたい。惜しい気持ちもありつつ、きっと『DAWN』が最後だったほうが、このときの私には合っていたような気がするから良いのかも。これまで繰り返し聴いてきたはずの歌の詞が、突如として意味を持って胸に迫ってくる感覚って、コンサートやライブに行くごとに、その時々で違う曲でたびたび味わってきたけれど、今日は『DAWN』がそれだった。序盤の「長い旅の果て  手にした後悔  それは夢の更新料」って言葉が胸のど真ん中に飛び込んできて、涙腺がかっと熱を持って、気がついたら泣いていた。去年はムビナナの『Pieces of The World』の「砂漠になったオアシスもいつか戻れる  澄んだ水は隠れただけ」という詞に救われた一年だったけど、このときの『DAWN』もまた似たような希望を抱かせてくれるフレーズだった。人を愛せる私でいたいし、善くあろうと努力できる私でありたい。それが私の夢だったはずなのに、このところそこから遠ざかりつつある自分に失望し続けていたし、それに抗うことも思うようにできないことがゆるせなかった。自分が乾いて、愛情深さも信念も失ったがらんどうに思えて憎かった。でも、この後悔が、自責が、自分のありたい自分を取り戻すための代償なのだとしたら、まだ大丈夫なのかもしれない。更新料を払うべき時が来ているだけで、夢が消えて実現不可能なものになってしまったわけではないんだと思えたことがほんとうに嬉しかった。咲人さん自身にとっても大事な曲だと前置きされたことも。咲人さんの作る曲が好きだ、と思いながら帰路についた。

夕飯は昨日のカレーうどんに使った豚肉の残りと、古くなりかけのキムチで豚キムチ丼。にんにくを効かせたからか、なんだか元気の出る味になった。昨日作ったものの食べなかった茄子とピーマンの煮浸しは良い感じに浸かって、いい箸休めになった。

2024/10/2

9時ぎりぎりまで寝ていた。昨日で入社から丸7年が経っていたこと、今日同僚に言われるまで忘れていた。8年目らしい。言い逃れのできない中堅の域である。物分かりの良さにポテンシャルを見出して評価されていた分はそろそろ食いつぶしている。良い評価をされたい、という呪いからは以前より逃れてきている気もするけれど、完全にその土俵から降りることができたわけではないし、昇進という目に見える成果を手にしないかぎり、この先も自分に失望し続けるのだろうと思うと暗澹とした気持ちになる。

昼食は昨日残したピザをあっためて食べた。コーヒーがうまく淹れられた気がする。

20時までには仕事を切り上げようと思っていたのに、けっきょく21時半過ぎまでかかってしまったし、それでも片付けたかった作業がまだまるまるひとつ残っている。連れの帰宅を待って、一緒に夕飯を作った。本当は作って帰りを待っていたいのだが、そんな気力はなかったし、ふたりで作るのも楽しいから。大根のカニカマ卵あんかけ、胡瓜の漬物、小松菜とお麩の味噌汁、焼き鮭の混ぜご飯。美味しかった!味噌汁はこのあいだの組み合わせが気に入って同じのをまた作ってしまったけど、湯がいて刻んで菜飯みたいに焼鮭といっしょに混ぜ込んでもよかったね、と話した。2355をひさしぶりに観た。これを観ると夜が来たなあという気分になれるから好き。

2024/10/1

10月!本来なら出社の日だが、病み上がりを理由に今週はリモート。8時過ぎに起き出す。入院中、毎日しっかり朝食をとっていたら、全然お腹が減らなくて間食をしようとも思わなかったので、朝食をきちんととる習慣をつけようかなと思って、グラノーラとヨーグルトを食べた。昼は昨日の残りの味噌汁にお麩を足して、胡瓜のマリネも食べた。一昨日漬けたときより味がしっかり染みて美味しい。それだけだとすこし足りなくて、夕方になって煎餅をばりばり貪ってしまった。病院よりも夕食の時間が遅いので、仕方ないといえばそう。昨日中だるみの時間を減らしたいと思ったそばから、15時までの会議を終えてベッドに倒れこんでしまい、1時間ほど眠ってしまった。体力が落ちているのかもしれない。その後、夕方に会議が立て込んだせいもあって作業の時間がなかなかとれず、けっきょく作業を終えたのは22時近かった。病み上がりの退勤時間ではない。

コンビニへの用事ついでに、連れを駅まで迎えに行って、そのまま近所をしばらく散歩した。つい先日開店したばかりの量販店もひやかした。すさまじい量の商品と、カラフルなポップの森をさまよったせいで、情報量の多さにちょっと酔ったけど、楽しかった。同じようにあてもなく訪れたとおぼしき客で店内は混んでいて、みんな楽しそうで良かった。ウイスキーが安くなっていたので購入。

散歩しているうちにすっかり食事を用意する気力は失せてしまい、めぼしい店も見つからなかったのでピザをとった。深夜のピザ、背徳。『ダンジョン飯』を2話分観ながら食べた。

入院中に読み返していたまほやく、21章だけ残して退院してそのままになっていたのも読み終えた。通して読んだのは初読の4年前ぶりなので、ずいぶん忘れているところがあって新鮮に没入できてよかった。昔は思わなかったはずなのに、今回はオズの寡黙の重さがすごくすごく胸に染みた。そういえば、『陳情令』の藍湛に通ずるものがあるかもしれない。誰かを想うことに、必ずしも言葉は必要ないのだということ。