SEVENTEEN "FOLLOW AGAIN to Incheon" 推参記

3月30日午後2時過ぎ、ソウルに到着。道中は沢木耕太郎の『天路の旅人』を読み進めていた。成田空港に向かう特急の窓から、空が白く煙っているのを見ていたが、ソウルは一段と白さが濃い。黄砂のひどい日らしい。まっすぐ会場に向かい、チケットもつつがなく受け取ってから、先に到着していた好きだった女の子と落ち合う。もともと彼女と知り合ったアカウントは、今ではすっかり動かしていないが、当時の相互フォロワーも彼女と一緒にいて、数年ぶりに再会したりもした。

日中は歩いていれば上着がいらないくらいに暖かったが、アイドルたちが前夜からしつこいくらいに「暖かい服装を!」とファンクラブに投稿していただけあって、会場に入って開演を待っているうちにどんどん気温が下がっていった。隣にいた日本人ファンが寒そうだったので、余っていたホッカイロを分けてあげたりした。でも、始まった瞬間に寒さは吹き飛んだ。文字どおり、そんなことを忘れてしまうくらい、最初から最後まで楽しいコンサートだった。

ホシくんがいつも言う、「僕たちが最高で最後のアイドルになります」という言葉を、この日も思いかえしていた。ほんとうに、この人たちしかいないと、コンサートに来るたびに思わされる。ほかに好きな人もいるし、四六時中彼らのことを想っているわけじゃないのに、彼らを前にしたら、もうこれ以上ないってほどに満たされてしまう。これ以上を望むべくもない。

SUPERでのオープニング、"FOLLOW" のときと演出は変わっていたけど、それでもこの人たちが世界で一番かっこいい!という思いに貫かれる感覚に違いはなかった。13人揃った姿をひさしぶりに観ることができて、スンチョルくんの厚みのある声が聞こえた瞬間、わっと泣いてしまった。やっぱりこの人がいなくちゃ。13人じゃなきゃ。野外会場だけあって、花火や火柱の演出の規模も大きくて興奮を掻き立てられて、そこから続く DON QUIXOTEとCLAPはほんとうに血液が沸騰しているんじゃないかと思った。CLAP のホシくんの眼光の鋭さ、5年経った今もあいかわらずで、つい視線が惹きつけられてしまう。

MCを挟んでウルシパ、FML、Rock with Youと続く。セブンティーンが誰かに惹かれることを歌う曲っていくつもある。そこに描かれる感情に恋愛という名付けをすることもできようが、私にとっては、そのどれもが、夢見がちな言い方をすれば、私と彼らのあいだに存在する感情を描くものだ。そしてその言葉たちは何よりもコンサートで歌われるとき、まさにその瞬間に私が彼らに抱く感情であり、そしてきっと彼らがコンサートでファンに対して抱く感情として生きたものになる。RwYで "So, 너의 모든 감정 내가 들을 수 있게 해줘(きみのすべての感情を僕に聞かせてくれ)" と歌う彼らを見ながら、今ほんとうに楽しくて幸せだと思うこの気持ちが伝わってほしいと願っていた。

ユニットステージは、最新アルバムの曲から1曲ずつ増えていた。ボカチがYawnをやった時点で期待はしていたけれど、それでもパフォチでBack 2 Backのイントロが流れ始めた瞬間は喜びを抑えられなくて悲鳴をあげてしまった。ジュンくんのこと、好きになってもう丸8年が経つのに、まだいくらでも私のことを魅せ続けてくる。ずっと、踊るジュンくんが信じられないくらいかっこよくて、ぼろぼろ泣いていた。まだジュンくんがかっこよくて泣けるんだなあって感慨深かった。ヒポチはスンチョルくんの思い切り格好をつけた表情がとんでもなくかっこよくて大騒ぎしてしまった。Monsterもすっごく楽しかった!

HOME;RUNからの祭はあいかわらずはちゃめちゃに楽しかったし、何よりウマゲシンをやっとこの目で見られたのが嬉しかった。ジュンくんが歌うサビの "행복은 바로 지금이야(幸せはまさに今だよ)" で、本当にそのとおりだなあ、今が幸せだなあって思ってまた泣いていた。

April ShowerとAll My Loveの演出は、もう、ずるいとしかいいようがないや。野外を最大限に活かして、全力で泣かせに来ていた。コンサートって、どうしたってファンがステージの上にいるアイドルを観る場になってしまうけれど、ファンとアイドルが同じものを見上げるという場を作ってくれたことがすごく嬉しかった。花火大会とか、花見とか、生活においてまじわることのない人たちが同じものを見て同じ時間を共有するとき、そこに集った人間って対等な感じがして好きなんだけど、このときもそうだったと思う。セブンティーンと私たちが、同じものを見て、一緒に泣いたり笑ったりしていた瞬間が宝物だった。

イマセカをやってくれたのも良かったし(振り付けが大好き)、大好きなRun to Youがまた聴けたのも嬉しくてたまらなかった。アンコールにふさわしい曲だなあと思う。"너의 시간과 나의 시간이 마주하는 날 안아 줄 거야(僕の時間ときみの時間がまじわる日にきみを抱きしめてあげるんだ)" って詞がずっとずっと大好きだ。コンサートは彼らの時間と私の時間がまじわる日で、こんなにも心を暖かく包まれている。アイドルとファンはどうしたって遠い間柄で、コンサートはやがて終わるし、いつも隣にいられるわけじゃない。でもきみを探し続けてまた会いに行くよ、と言ってくれることが、どれほど心強いことか。"찾아가면 되지, 조금 멀면 어때(探しに行けば良いんだ、ちょっと遠いくらいがなんだ)" って私も思ってるし、彼らも思ってくれているんだと信じさせてくれること、なんと稀有な人たちだろう。カチガヨもつくづく見透かされているような歌だと思う。目の前が暗いような気がして、霧のような曇った日々の中に、まさに今の私もいるけど、セブンティーンこそが私の羅針盤だと、彼らの音楽を聴くと思える。

Seventeenth Heavenがリリースされて、初めてHeadlinerを聴いたとき、これもまた彼らがファンを歌った曲だと思ったから、この曲がはじまったときにホシくんが「僕たちのHeadlinerは皆さんです」と言ってくれたことがすごく嬉しかった。"모든 사랑을 건네는 이 밤 아름다워라(すべての愛を渡すこの夜 美しいな)" って歌ってくれることがうれしい。コンサートが愛を渡す場所だと(そしてそれは一方通行ではなく)いう思いを共有できていることが。

無限アジュナイスを終えてへとへとになりながら、終演後好きだった女の子と再会した。おたがいの顔を見た瞬間に、ふたりして同時に「たっのしかった~!!!」と叫んで抱き合ってしまった。心からほとばしったような、言わずにはいられない言葉だった。この気持ちが褪せないうちに共有できる相手がいることがすごく嬉しかった。

ホテルまでの電車の中で、「これ以上の幸せがこの世にあるのかな」と私が言ったら、彼女が「ないよ」と即答したので笑ったけど、そう、こんなに幸せなことってほかにない。セブンティーンのことが大好きだし、ずっと帰るべき場所で居続けてくれることがありがたい。

2024/4/9

あいかわらず暇なので手を抜きながらほどほどに仕事をする。日中はひどい雨だった。気圧のせいか、終始眠い。昼食は担々麺のカップラーメンを炒飯にアレンジしたもの。夕食は鰤と鯵のフライ、パプリカとピーマンと茄子のファルシ、ほうれん草とじゃが芋のポタージュ、じゃがいものガレット。今日は全休の連れが料理当番である。母から、友人たちとの食事会に欠員が出たから来ないかと昨夜誘いがあったが、連れが料理を作ってくれる日だからと断って楽しみにしていた。自分で作って食べるのにも満足感はあるが、人に作ってもらったものでしかえられない幸福感というのも、たしかにある。どれも美味しかった。

食後はすこし時間をあけて、近所のファミリーレストランまでパフェを食べに行った。なんでもない日の贅沢。駅前の桜は昼間の風雨で幾分疲れたような顔をしていた。葉桜になりつつある。閉店間際だったが、甘いものにはコーヒーがほしいよねとドリンクバーを頼んだ。頼んだからにはと貧乏性を発揮して2杯飲んだら、ふたりしてその後寝付けなくなって、日付が変わる頃には布団に入っていたはずなのに、ぐだぐだとおしゃべりに興じていたら午前3時近くなっていた。こういう夜が何より楽しい。

2024/4/8

会議がないのをいいことに、10時すぎまで眠る。雨予報だったが、曇っている。昼前の会議が始まるまでに、十数ページだけ残っていた恩田陸の『木洩れ日に泳ぐ魚』を読み終えた。大学時代、学校の帰り道に立ち寄った古本屋でなんとなく手にとって、そのときに読んでいるはずなのだが、ほんとうに読んだのか疑わしいほどに記憶が抜け落ちている。当時の自分には響くものがなかったのかもしれない。今回だって琴線に触れたというほどでもないのだけど、おもしろいと思えたことは確かだし、そのおもしろさはあの頃の自分にはわからなかった類のものだろうとも思う。

僕は今感じている自己嫌悪が単なるアリバイ作りに過ぎないこともちゃんと分かっているのだった。僕の計算高い部分が、ここで自己嫌悪を感じておくべきだと判断しているので、僕は自己嫌悪を感じているふりをしているだけなのだ。そうすることで、世間や他人に対する免罪符を手に入れたと安堵しているに過ぎない。
 本当の僕は、罪悪感も自己嫌悪も感じていない。
 何も感じていない──そう、何も。たぶん。

自分のことだなあ、と苦い気持ちで読んだ。自分のこういうずるさを直視できるようになったのはずいぶん最近のことだ。

正しいふるまい、こうしておけば世間に顔向けできるというふるまいを、私は知っている。何がずるいって、その正しさは私の信念にもとづいているというよりも打算的で、「それが正しいことだとされているから」、より正確に言うならば「それが正しいことだとされるコミュニティ内で嫌われたくないから」採用されるのである。

誰かと関わることや、外に向けて言葉を発するということは、いつだってそのふるまいに従うということで、そうしているうちに私が感じていたはずのものは汚く間違っているものとして覆い隠されて、なかったことになる。日記にしても、今はすっかり辞めてしまった創作にしても、自分に嘘をついたことはない。私が私でいるために書くんだから、嘘なんか書く意味がない。だが、嘘はつかずとも、外に出すために整形した時点で、私は私を削ぎ落としている。それは部分的であれ、自分の否定を伴っている。社会に、他者と生きている以上、そのふるまいから自由になることはできないし、なるべきでもない。でも、それを続けているうちに、コーティングするまえの自分は救いようのない、誰ともかかわるべきではない人間であるような気がしてくる。その閉塞感のせいで、私の表現するもの、ひいては私の存在が価値あるものだと信じられなくなっていく。

ところで、読んでいるあいだは、部屋の情景がくっきりと浮かんでいたわけではなかったのに、だいぶ前に読んだという連れの「男女が部屋で二人でひたすら喋る話だったよね」という言葉で、ぱっと舞台で演じられている様子が目に浮かんだ。どうして思いつかなかったのだろうと思うくらい、舞台向きの作品だと思った。二人芝居で観てみたい。

それにしても、きょうだい間の恋愛・性愛というのは、どうしてこうもタブー視されているのだろう。かつて、まだ性行為と生殖が切り離せなかった頃の世界にあっては、遺伝的な疾患リスクから忌避されていたことはわかるけれど、避妊ができるようになった今の世界でそれらは別ものだから、別にセックスくらいしたっていいのではないかという気がするし、感情的な結びつきならなおのこといけない理由がよくわからない。

昼食はインスタントの葱にんにくラーメンに、ごま油で炒めた豚肉とキャベツを具にして食べた。夕飯は連れが帰宅してから作りはじめたので遅くなってしまい、『終末トレイン、どこへ行く』の2話を観たかったのに間に合わなかった。献立は茄子と豚肉の甘味噌炒め、新玉葱とマッシュルームとズッキーニの塩胡椒炒め、新玉葱のコンソメスープ。どれも美味しかったのだけど、最後にスープに粉チーズを振るのを忘れてしまったのが痛恨。食後は『葬送のフリーレン』と『ダンジョン飯』を1話ずつ観て、残っていたマシュマロでスモアをまた作って食べていたら、寝るのは2時近くなってしまった。

2024/4/7

正午、友人と落ち合う。快晴、汗ばむほどの陽気で、せっかく出番だと思って着てきたトレンチコートはけっきょく早々に脱いでしまった。舞浜駅は、テーマパークに向かう浮かれた顔つきの人ばかりでのどかだ。私たちはそこには加わらずに舞浜アンフィシアターへ。劇団四季『美女と野獣』を観た。『強いぞ、ガストン』は見応えがあって楽しかったし、ベルのドレスはため息が出るくらい美しかったし、達郎さんのビーストは愛嬌があってコミカルで愛しかったけど、全体としてはちょっと乗り切れなかったというか、冷めた目で見てしまったような気がする。でも、物語の創り手が人間でなくなっても、ライヴ性とか、肉体を要する表現はこの先もなくならないだろうなあ、と思いながら観ていた。ベルの黄色いドレスを着ている子がたくさんいて愛しかった。

終演後は一駅移動して、コンビニで缶ビールを買って、葛西臨海公園で花見をした。まわりがレジャーシートを引いて楽しんでいるなか、無計画な私たちは大学の頃と同じように地面に直接寝転んでいた。満開にはあと一歩というところだったけれど、寝転んで見上げると、青空を背景にした桜の枝が視界いっぱいに広がって気持ちが良かった。

気づけば友人との付き合いは15年目を数える。アイドルこそ彼女に教えてもらったが、それ以外に重なるものは多くなく、仲良くしているのがずっと不思議だった。相手も私のことを一番仲の良い相手だとは思っていないはずだが、なかなかどうして、疎遠になって立ち消えることもなく、ほそぼそと関係が続いている。ただ、今日話していてふと思ったのは、良くも悪くも現実的で皮肉屋で、現状に漠然とした不満はありつつも、何かと言い訳をつけて行動を起こせずにいる後ろ向きなところが案外そっくりなのかもしれないということだった。もっとも彼女のほうがよほど活動的で意志の強い人なので、私と並べるのは申し訳ないような気もするのだが、ことに自分に対する諦念を、お互いに咎めることなく受容できるような気がするのが居心地がいいのかもしれない。

メキシコのガイドブックを買いに本屋に寄ったついでに、ほかにも10冊ほど買った。読みたかったからというよりは義務感に駆られて買ってしまったものもあって、まあまあな金額をつかったわりにちょっと満足感が薄い。必要だと思うからゆっくり読むけども。

夜は連れの発案で部屋の電気は点けず、モロッコランプの光だけで過ごしていた。にんにくとトマトを擦って塩を振ったバゲットと、以前私が親友とのキャンプで余らせて持って帰ってきたマシュマロをコンロの火で炙って作ったスモアを食べる。室内キャンプである。夕食もそのあとなにか作るつもりだったのだが、案外それで満腹になってしまった。

夜11時頃、友人たちとメキシコの旅程相談で1時間ほど通話。何もかも任せきりにしてしまっているのだが、ようやくガイドブックを手に入れたので、ようやくすこしは貢献できるはずだ。気づけば今月の話になっていてびっくりする。

記録:2024-Mar

森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』

佐々木隆治『カール・マルクス ー「資本主義」と闘った社会思想家』

レイ・ブラッドベリ『二人がここにいる不思議』

平山夢明『ダイナー』

梨木香歩『家守綺譚』

沢木耕太郎『天路の旅人』

漫画

九井諒子『ダンジョン飯』3巻

映画

ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!

Barbie

ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦

ダンジョンズ&ドラゴンズ

花束みたいな恋をした

ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー

君たちはどう生きるか

ドラマ・アニメ

葬送のフリーレン

ブルーロック 1~22話

SHIROBAKO 1~14話

舞台・コンサート・ライブ

ナイトメア柩Birthday Live(配信)

劇団四季 Jesus Christ Superstar Jerusalem ver.

JINHO & FUI FanCon "Spring Picnic" @Zepp Haneda

SEVENTEEN FOLLOW AGAIN to Incheon(Day1現地・Day2配信)

Sexy Zone ラストライブ

 

これ以外に親友と泊まりでキャンプしてたし、ちょっと予定を詰めすぎた月だった。暖かくなってきて顕著に活動的になっている。

2024/4/5

 冴えない空。午前中は昇進のために必要なeラーニングを進めていた。
 昼休み、近所に新しくできたピラティススタジオの体験レッスンに行く。直前になって億劫になってしまい、よほどキャンセルしようかと思ったが、連れがちゃんと尻を叩いてくれて、家を出るのに成功した。30分のレッスンで、終わったときには物足りなく感じたが、夜になって腿裏に筋肉痛が出てきたので、けっこう効いていたらしい。(辞めてからだいぶ経つとはいえ)慣れ親しんだヨガと呼吸法が正反対なのでやりにくかったけど、精神的な作用というよりは、物理的に体に負荷をかけたい今の私にはいいのかもしれない。人気らしくすでに新規入会は受付停止中だというので、入会待ちのリストに登録してもらった。
 昼食は、連れが蕎麦をつくって待ってくれていた。手製の麺つゆに刻み海苔と煎り胡麻をたっぷり。蕎麦湯は、蕎麦屋で飲むものよりもずっと濃くて、麺つゆに溶いたらすごく美味しかった。
 午後はまた新入社員と面談をし、来週の打ち合わせに必要な資料を作って、上司と週次のミーティングをして、19時すぎに切り上げた。
 夕飯は手間のかからない献立に決めていたので、連れの帰りを待ちながら、『SHIROBAKO』の残りを一息に観た。最初から最後までかなりいろんなエピソードを詰め込んだハイカロリーな作品だったけど、きれいに終わって、気持ちのいいカタルシス。なかなか仕事が決まらず腐っていたしずかが、最後の最後で『サンジョ』の新キャラクターに抜擢されて、それをアフレコ現場で初めて知った宮森が、しずかのアフレコ中に静かに泣くシーンがすごくすごく好きだった。りーちゃんの「物語が必要なんす」っていう言葉がずっと頭に残っている。物語に共感とかほしくないけど、でもなんとなくりーちゃんのことはずっと重ねて観てしまっていた気がする。「一番怖いのは脚本家になれないこと」と言い切る彼女と、書こうともせずに腐っている私とでは重なりようがないのだけど。私は……物語が必要な人間だと自分のことを思ってきたけれど、でも、あいかわらず自分の中に書きたいものはずっとないままだ。観たり読んだりすることをやめることはないだろうけど、それらは私の中にとどまることなく、排泄物と一緒に体の外に流れ出ているような気がする。ざるみたいだ。あんなに書きたいものがあふれてとまらなかった頃ってどうなっていたんだろう。
 仕事柄、この頃は生成AIについて勉強しているのだが、知れば知るほど、この先人間のつくる物語はどうなってしまうのだろう、と考えてしまって浮かない気分だ。コンテンツ飽和の時代だ、コンピュータが物語を、絵や動画を作れるようになってしまった以上、人間に創らせていたらコスパがもう見合わないだろう。『SHIROBAKO』でもCG技術に対して複雑な思いを抱くアニメーターの心境が描かれていたけれど、今目にしている現象はたぶん、それの比じゃない変化だ。どんなに優れた作品を機械が生み出せるようになったところで、人間が創作をやめることはないだろうけど、職として立ち行かなくなる人は出てくるだろうと思う。あの技術をもてはやせるのは物語を必要としない人間なんだろう、とどこか鼻白んだ気持ちになってしまう。
 自分が人間の作ったものとそうでないものを見分ける審美眼を持っていると思い上がれたらいいのだけど、たぶん、この先、AIが作ったものに熱中したりすることもあるんだろうな、という諦めもある。でも、物語そのものの後ろにある、「書きたい」「作りたい」という人間の欲望の匂いを忘れずにいたいものだと思う。それがいのちだと思っているので。
 夕飯は、塩鮭と青梗菜のおかか蒸し、トマトと卵の炒め物、蕎麦湯の残りを使った豆腐とわかめの味噌汁。このところ胃に負担の大きい食事が続いていたので、薄味にほっとした。

2024/4/4

所属組織に配属された新入社員と、朝から立て続けに個人面談をしていた。みんな前向きで真面目だ。真面目すぎるくらいに。

昼食は納豆ご飯。夕方になって腹痛がひどくなり、夕食は作る元気がなかったので、『SHIROBAKO』を観ながら連れの帰りを待つ。閉店時間がその時々で変わるので、いつ行っても振られっぱなしだった徒歩30秒の距離にある居酒屋に1年半ぶりくらいにようやく入れた。体調もあいまって落ち込み気味だったのだが、おいしいものをたっぷり食べたらだいぶ元気が湧いた。甘海老の醤油漬けが最高だった。明日が平日でなければもっと飲んだくれていたところである。