散文

2023/7/31

昼食は連れがカルボナーラを作ってくれた。 // 生理前のはずだが、調子は悪くない。仕事で飛んできたタスクをそれなりにタイムリーに打ち返せていて、それだけでも自己嫌悪に陥らなくてすむ。仕事を終えたあと、ぼうっとインターネットを漂っていたら近所の…

陽光受ける鏡であれ

夜、通常上映のムビナナDay2。もう何度目だっけな。数をこなせば偉いわけでもないし、そんな義務を自分に課すつもりはない。そうじゃなくて、何度目かもわからなくなるくらいに観て、それでもまだ観たくて気持ちがうずいている、そういう情熱が自分の中にな…

中和する分子でありたい

体は疲れていたから眠ろうと思えばできただろうが、どうにも寝たい気分になれずに深夜まで起きていた日、数日前から話題になっていた泥ノ田犬彦『君と宇宙を歩くために』をようやく読んだ。ずっと読みたいと思いながら、私の大事な人たちが登場人物たちにみ…

好き語り

そこそこ大きな仕事をひとつ終えてだいぶ肩の荷が降りたので、このところ聴けていなかったジノの月次カバー企画にようやく向き合える心持ちになって、久しぶりに聴いたら好きの奔流に飲み込まれたので、勢いで過去の曲を片っ端から聴き直している。私が好き…

できる、する、しない

昨日、私の世界には自分しかいないと書いたことをすこし後悔している。ああいうふうに強く言い切ってしまうことは、ほんとうは私の世界にいてほしい人をわざわざ追い出す行為にほかならないからだ。なにも孤独にみずから浸りにいきたいわけじゃない。大事に…

陽のあたる道で(今年のふりかえりと新年に向けて)

またひとつ、年が明ける。私は年末年始が好き。それは一年に終わりがあって、いくら今年がだめだったり、苦しかったりしても、新しい一年を誰もが迎えることができることが希望だと思うから。暦というのは、自分の連続性というままならなさから目をそらす装…

而立の暁

私は、自分に翻弄されてきた。世界でも他者でもなく、自分をもっとも苦しめるのも、喜ばせるのも自分だった。だから自分について書き続けてきたし、書けば書くほど、自分を言葉で定義しようとすればするほど、自分というものが掴みどころのないものに思えて…

無題

五月の連休が明けてから、余韻に浸る暇もなく忙殺されていた日々がようやく落ち着きを見せつつある。一時期は何をしていても胸に重石が載っているかのような息苦しさがあったのだが、それがだいぶ軽くなってきた。業務量そのものが落ち着いてきたのもあるが…

メイク・ア・ウィッシュ

十連休をもくろんでいたものの、会議を避けられずにあいにくの七連休。それにしても一週間まるまる休みだなんて、考えただけでわくわくする。もっとも、感染症の流行がいまだ看過できない状況であることにかわりはないし、そうでなくとも人出の多いハイシー…

日常茶飯:1月・2月

写真が残ってる日だけの自炊記録。あとの日は何を食べて生きていたのだったかしらね。 1/4夜 豆苗のタイ風炒め、春巻き(惣菜)、豆腐となめこの味噌汁、親子丼 1/7昼 七草粥(レトルト) 1/15夜 豚肉と大根の煮物、塩鱈と豆腐と水菜のスープ 1/24夜 豆苗と…

無題2

酒を飲んでへんな時間にソファで寝落ちていたら、布団に入ってから一睡もできなかった。睡眠不足がずんと頭に重さをもたらしている感覚はあるのに、睡魔はいっこうにやってこないのだから参る。仕方なく二次創作をあれこれと読み漁っているうちに、空が白ん…

無題

本を読んで、ゲームをやって、テレビを見て、そうして時間がすぎていく。何をしていても間違っているような気がする。いや、違うな。おまえはこれまでだよ、という声がやまないのだ。これ以上、何をしたって無駄だよ、という声。生きていても無駄だよ。言い…

陽ざしの中へ(今年のふりかえりと新年に向けて)

年の瀬の空気が濃い。ふといい年だったなあ、と思ったので、年の瀬らしく今年をふりかえってみる。記事の題は、今年もっとも聴いたアルバムのひとつである、ミュージカル『ノートルダムの鐘』のいちばん好きな曲から。閉ざされた塔から明るい陽ざしの中へ、…

日常茶飯:11月

私が言葉にこだわるのは、言葉は個人からしか生み出せないものだから、というところにあるのかもしれない。そう思い至ったきっかけは、インターネットで見かけた、言葉が無力化されていくことに対する危機感に言及する声である。あまりふだん好んでやらない…

悪夢を見ていたいんだ(はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」)

はてなブログ10周年特別お題で「好きな◯◯10選」というのがあったので書いてみる。しぼりきれなくて11選になってしまったけれど、愛するものについて書くのは楽しい。 ナイトメア、というバンドを好きになったのは十四かそこらのことだ。当時交際していた年上…

脱・ぎゅうづめ

先日読んでいた谷川俊太郎の『ひとり暮らし』というエッセイ集に、「ゆとりとはまず何よりも空間のことである」という一文があった。 ラッシュアワーの満員電車のように、心がぎゅうづめになっていてはゆとりはもてないだろう。心にぎゅうづめになっているも…

違和感の輪郭

自分がただのいれものにすぎないのでは、という恐怖にさいなまれて長い。否、いれものにすぎないのだろう、誰しも。それは必ずしも忌むべきことでもおそれるべきことでもない。すこしまえに流行った「神様が〇〇をつくるとき」というネットミームのように、…

答え合わせ

ヒプノシスマイクにからめとられた。Netflixが今月末に配信終了だよ!というので、安易な気持ちでアニメに手を出したのが九月上旬のこと。私の主戦場まほやくの推しであるオーエンの声を務める浅沼晋太郎と、好きな声の斉藤壮馬が出ているというところに興味…

怒りについて

怒りは熱いうちに形にしておかなくてはいけない。もっとも、これが怒りなのか悲しさなのか悔しさなのかは判然としない。私が知っているのは、感情というのは理性に劣るものでも、軽んじるべきものでもないということだ。私がそういう紅々とした炎を今内側に…

たましいの輝き

数日前に27になり、そのことについて思いを巡らせる間もなく、年が明けていた。27という数字にも、2020年が終わったことにも、これといって感慨があるわけではないのだけれど、こういうときでもなければ立ち止まってかえりみることもないだろう。世界はとつ…

無題

知らない番組に出演していたひとが亡くなったという知らせを見かけた。それにまつわるすべてがグロテスクだった。ハッシュタグがくっついた哀悼の言葉、「一番好きだったのに」とか「そこまで好きじゃなかったけど」とか好意の程度が付加された哀悼の言葉、…

愛する手段

最近書かないの、と尋ねられて、自分の文章を待ってくれるひとがいることの嬉しさを久しぶりに感じてちょっと泣きそうになった。創作をしていた頃から、誰かのために書くわけではない、私はいつだって私のためだけに書いている、そういうスタンスを失わない…

生きているんだ、愛せるか

日頃、あらゆる鎖を自分にかけている。それは自分がどう生きたいかという信念に基づいた、対外的なものである場合もあるけれど(たとえば差別を容認しないだとか、他者を断罪しないだとか)、もっと個人的なものであることが多い。漢字表記にする文字と、ひ…

液晶、生活の交点

生きるって、なんだったか。こんな生き方をしたかったわけではない、とその感覚ばかりを毎日やり過ごしているけれど、どんなに風に生きたかったのかはもう忘れた。 25歳。結婚とか、出産とか、はたまた社長になっていたりとか。とっくに言葉をかわさなくなっ…

塗りかえて世界

金曜の夜、飲み会を終え、片付く気配のない仕事をどう週末のあいだに殺そうか考えているうちに、最寄り駅についていた。先月末に閉業した惣菜屋の建物はいつの間にかすっかり取り壊されていて、建物と建物のあいだにぽかりと居心地の悪い、唐突な空白が生ま…

夜が明けて春

日付が変わった。多くのひとにとっては新しい一年のはじまりのようだ。私にとっては次の一週間、次の一ヶ月のはじまりに過ぎないけれど、周囲のどこか心もとない空気に感化されて、少しばかりうしろを振り返ってみることにする。ちょうど2年前、大学院を退学…

津波の映像が流れます

あの日から8年、とかいって、先週は特集を見ては毎朝泣いていたのに、今日になってみたらあっさりと2時46分は過ぎていった。その瞬間だけ、パソコンのキーボードを打つ手を止めて、目を閉じて祈ってみた。あたりは、その前までと寸分たがわず仕事の話でざわ…

労働の燃料

2年ぶりくらいに、学生時代の後輩に会った。けっして関わりが深かったわけでもなくて、でも誰よりも色んな話を聞いてもらった相手だ。口数が多いわけじゃないけれどぽつりぽつりと話す彼に引っ張り出されるように、やっぱりこの日も気がついたらいろいろな話…

女 #1

自分のことをフェミニストであると認識したのは、ごく最近のことだ。それまでは、自覚せずとも生きていける世界にいた。「私」であるよりも前に「女」として見られることは、私の生きてきた世界ではあたりまえではなかった。だけど、一歩ユートピアの外に出…

一年の計は本日にあり

去年は年のはじめに目標を立てることはしなかった。だって、生きるつもりがなかったし。でも、もう死ぬのはやめにしたので、2019年の夢を見てみるのもいいんじゃないかと思って書いてみる。機を逸した感じはあるけれど、まだ10ヶ月残っているし、いいよね。…