女 #1

自分のことをフェミニストであると認識したのは、ごく最近のことだ。それまでは、自覚せずとも生きていける世界にいた。「私」であるよりも前に「女」として見られることは、私の生きてきた世界ではあたりまえではなかった。だけど、一歩ユートピアの外に出てみてよくわかった。名前を持つ、ほかの誰とも違う唯一無二の存在としての個人であるよりもまえに、私が彼らの目には「女」として映る、ということを。

ここ最近、自分が他者の目には紛れもなく「女」として映っていることを思い知る機会が幾度か立て続けにあって、どうしても割り切れない気持ちがあって書いてみる。The personal is political(個人的なことは政治的なこと)というのはフェミニズムを語るうえで欠かせないフレーズだけれど、これは社会がどうとか日本がどうとか世界がどうとかみたいなマクロの話なんかじゃなくて、私の話であり、私が毎日顔を合わせる上司や同僚の話であるのだ、というのを身をもって実感している。


3週間ほど前、髪を染めた。なんとなく鬱屈していた日々が続いていたのを取っ払いたくて、思い切って金に近いところまで脱色して、そこにグレーを入れてもらった。染めたのは2年ぶりで、この行為は思った以上に自分の中にポジティブな変化をもたらすことになったので、この話はまたどこかで書きたい。とにかく、光に透かすときらきらと光るのがすごく気に入って嬉しかったのだけど、それなりの規模の企業に勤める身にしてはちょっと冒険しすぎただろうかと少し不安もあった。ところが、翌日出社したら、会社の人には案外何も言われなかった。ほっとしたけれど、ちょっぴりさみしいような気持ちにもなった。

髪、染めたんですね、と声をかけてくれた数少ない人間のひとりが、同じチームの同僚だった。同じチームとはいえ、普段あまり関わりがある相手ではなかったのだけど、良いですねと続けられた言葉がお世辞をいっているようには感じなかったから、私も嬉しくて素直にありがとうございますと言った。でも、その直後、その同僚の横に座っていたマネージャーが、「Aさん、だめだよ、そういうのはセクハラになっちゃうから」と茶化した。同僚は「え~、今のもだめですか?」と困ったような顔をして、それからすみません、と私に謝った。悲しくなった。今の、だめじゃないです、ぜんぜん。そう思った。なんでですか、嬉しかったですよと慌ててフォローしたものの、軽薄な冗談のようにしか聞こえなかった気がして、今もやっぱり悔しい。

その同僚と、偶然社内の売店で会ったことがある。その時、チョコレートとマフィンを手にしていた私を見て、「太っちゃわないですか?」と無邪気に尋ねた彼は、すぐに口元を引き締めて、ごめん、こういうのもセクハラになっちゃいますよねとまた謝った。たしかにちょっとデリカシーのない問いかけだな、とは思った。その問いの裏には、たぶん「女性は太ることを気にする生き物だ」みたいな性別二元論に基づいたステレオタイプだとか、あるいは「太らないほうが良い」みたいなルッキズム的価値観があるんじゃないかと感じたから(たぶん彼は自覚していないだろうけれど)、良い気持ちはしなかった。だけど、そこに悪意がないことも明白だった。どんなコミュニケーションであれ、そのつもりがなかった、は傷つける側の言い訳としてはゆるされないものだと思うけれど、すくなくとも彼が私と会話の糸口を見つけようとしてくれたことも、私を不愉快にさせるつもりがなかったことも私は感じたから、真摯なひとだなとも思った。あとから、彼がずっと運動を続けてきた人であること、最近は筋トレにハマっていることを知って、あの問いにはきっとその文脈もあったんだろうなと思って腑に落ちたところもあった。

数日後、たまたま帰宅のタイミングが重なって、その同僚と途中まで一緒に帰った。そのときにも彼は、私の髪をほめたことをマネージャーにセクハラといわれたことを気にしていて、ごめんね、俺、考えの足りないところがあるからと弁解するような口ぶりをしていた。何を言えばいいかわかんなくなっちゃいますね、天気の話くらいしかできなくなっちゃうなあというつぶやきに、そうですよね、と私も同意した。セクハラ、という言葉が、男と女の分断を明確にしているように感じて、すごく嫌だった。私は女で、彼は男で、そこに埋められない溝みたいなものがあるのだと、やけに力を持ったカタカナ4文字が声高に主張しすぎたせいで、私たちの会話がこんなにも腫れ物を扱うような、均衡を失ったぎこちないものになってしまうのが悲しかった。たしかに、太っちゃわないですか?の問いかけはいささか軽率だったし、そういうので彼がいうところの「考えの足りなさ」に頷けなくもなかったけれど、でも、髪色を褒めてくれたことは、私は嬉しかったのだ。ほんとうに嬉しかったのだ。何をいえばいいかわかんなくなっちゃいますねが、男性の発言を抑圧する女性に対する不満、というようなニュアンスじゃなくて、純粋にどう会話すればいいのかわからないことにもどかしさを感じているような素朴なぼやきに聞こえたのは、私が彼を好意的に解釈しすぎているから、なのかもしれないけど。

何度も何度もこの出来事を反芻しながら、「そういうのはセクハラになっちゃうから」、という言葉を、私は絶対にゆるさない、と思った。たしかに他者の容姿だなんて、わざわざ言及する必要もない事柄だ。とくに、仕事の付き合いだけの相手であればなおさら。それでも、「これを言ったらセクハラになる」みたいなのはあまりに短絡的だ。思考放棄だ。自分はセクハラに気を使ってますよ、人権意識ありますよとアピールしたいのか知らないけれど、それなら逆効果だ。そんなのはぜんぜん、気を遣えていることにならない。女性はこれを言ったらセクハラだと感じる、だなんて浅慮な正解に甘んじようとすること自体、目の前の「私」を蔑ろにする行為だ。私に向き合わずに「女」として雑にくくって扱うことの方がよっぽど侮辱だ。染めたんですね、良いと思いますという彼の言葉を、私は嬉しいと思った。ほかの女性が同じことを言われてどう思うかは、私は知らない。知ったこっちゃない。だってその人と私は違う人間なんだから。髪色を変えたことを指摘されてセクハラだと思う人もいるだろうし、思わない人もいる。それだけの話なのに、どうして男と女の話にされちゃうんだろうか。悔しい。

私はフェミニストだ。でも、「女性の」権利を勝ち取ることを目的に声をあげるわけじゃない。これまでの男性優遇社会を精算するための女性優遇社会を正当化したりもしない。ただ、性別なんて概念が古くてダサいのだと、個人を説明するうえでまったく不必要なんだと信じているだけだ。男だからとか女だからだとかのたまう社会なんか平成と一緒に終わってくれ、どうか、どうか。私はフェミニストだ。でもそれは、私が女だからではない。フェミニズムは女の戦いじゃない、私の戦いで、「セクハラ」に言葉を封じられてしまう彼の戦いでもあるべきだと思う。女としての私ではなく、人間としての私を見ろ、と叫びたい気持ちをひとつずつ言葉にしていく。#1とタイトルにつけたのは、2も3も4もあるからだ。世界、ちょっとずつでも変われよと願いながら書く。