津波の映像が流れます

あの日から8年、とかいって、先週は特集を見ては毎朝泣いていたのに、今日になってみたらあっさりと2時46分は過ぎていった。その瞬間だけ、パソコンのキーボードを打つ手を止めて、目を閉じて祈ってみた。あたりは、その前までと寸分たがわず仕事の話でざわついていた。誰も思い出していないみたいだった。祈ることに意味があるのかはわからない。祈るよりも、目の前の仕事をすこしでも進めることのほうが大事なのかもしれない。祈りを祈りで終わらせないだけの強さがほしいと思い続けて、8年も経ってしまった。普段はつかわないYahooの検索窓に3.11とだけ打ち込む。どこかの校舎の時計の針が津波の来た時間のまま錆ついて、時を刻むことを忘れてしまった絵がふっと瞼の裏に浮かんではすぐに消える。

津波の映像そのものも怖いけれど、津波の映像が流れるときに表示される「津波の映像が流れます」というテロップのほうが、私には怖い。そういう表示をしなくちゃいけないほど、忘れたくても消えてくれない瞬間を焼き付けられてしまった人たちがたくさんいることが、ただ痛くてたまらない。もう、仮設住宅に住んでいた人も追い出されるのだとニュースでやっていた。それを見ながら悔しくて泣いた。その悔しさをどこにぶつければいいのかわからないのに、私の話でもないのに、痛かった。大きな理不尽の前に、どうしようもできないことが悔しい。理不尽だ。なにもかも理不尽だ。ただふつうに暮らしていただけの人たちが、突然波に全部生活を攫われてしまうことも、生き延びた先で心無い言葉を浴びせられることも、戻りたくても戻れない故郷に焦がれることも、全部理不尽で残酷だ。神様なんか、信じてられるかよ、と思う。むしろ、信じたいのかもしれない。だってそうじゃなきゃ誰を憎めばいいのかわからない。

美容院にいて、生乾きの髪の毛のままショッピングモールの駐車場で震えていたこと。風邪をひかないようにと自分のパーカーを貸してくれた美容師さん。携帯電話は美容院の貴重品入れに残したままで、このまま人混みに飲まれて母親と会えなかったらどうしようと不安だったこと。花粉混じりの乾いた空気と不気味なくらい黄色い空。やっべえ、アトラクションみたいで楽しかったんだけど!と強がっていた少年。父親が帰ってこられなかった夜。混雑する道を母親と車に乗って迎えに行って、父親が電車でたまたま会話したら近所だったからと、見知らぬ人も一緒に乗せて帰ったこと。電気を使わないようにと蝋燭で過ごした夜。電気の消えた街。日に日に目の下の隈が濃くなっていく首相。ツイッターにあふれかえる救援物資や救助を求める声、被害を伝える言葉、励ましの言葉、それをリツイートする幾万もの善意。流れていく情報、情報、情報。はじめは非日常にどこか興奮めいたものを覚えていたのに、事の大きさがわかるにつれて一瞬でもそんなものを感じた自分に対する罪悪感で潰れそうになったこと。ニュースを見たくない、と泣いて母にテレビを消してもらったこと。さも当然のことのように被災地にボランティアに参加しに行った同級生たち、偽善になりやしないかと足がすくんで踏み出せなかった私。いまだに何もできなかったことに対する罪悪感があって、でもこれだって奢りなんじゃないかと思っている。善と偽善の違いについて。放射線量を示す虹色の地図。黒煙をもくもくと吐いて燃える石油コンビナートの映像。黒い雨が降る、なんて根も葉もないチェーンメールが高校の部活のメーリングリストで後輩からまわってきて、そんなものに騙されるなと怒ったこと。何が正しいのか、誰も見えなくなってしまった世界。そう、あの頃はラインなんかなかったのだ。8年前の世界を、私はもう忘れ始めている。ポスト3.11の時代を生きる私たち。時がたつにつれてだんだんと24時間テレビみたいな感動ポルノっぽさを滲ませるようになっていった震災報道。きれいな話に仕立て上げられるようになるのに、8年という時間はじゅうぶんらしい。

ほんとうは、こんなふうに言葉に残すのもずっと躊躇っていた。私の言葉もまた、美しいものに見せかけるだけの自己満足になるんじゃないかと思っていたから、書けなかった。だけど、確実に忘れている。忘れたっていいのかもしれない。でも、なかったことにはできない。あのとき感じた痛みも、今感じている痛みも、消すことはできない。だから書く。

8年という時間について、ちゃんと考えたことはあっただろうか。世界の理不尽さに打ち勝つことはできなくても、すこしでもあらがうために、私は何ができるだろう。痛い。