IMFACT Live Tour Tokyo 参戦記

行き場のない感情が暴れまわって、先週の水曜日は帰宅してからずっとため息ばかりついていた。吐息にのせてどうにか体の外に逃がそうとするんだけど、それまでのことを思い出しちゃってうまくいかなくて、そうだこういう時のために言葉があるんじゃんと思って縋り付くようにevernoteをたちあげた。感情の振幅が広いのは悪いことじゃないと思っているけど、体力は奪われる。その感情が負のものであれ、正のものであれ、だ。ライブが終わって一週間も経つというのに、なおも彼らのことばかり考えていて、こんなはずじゃなかったんだけど。こんなに、好きになるはずじゃなかったんだけど。

相変わらずそこそこ残業とかしていて、自分が仕事できないことを白日の下に晒しているみたいでダサいなあと思いはするんだけど、だからといってばりばり片付けるほど有能じゃないのも事実だし、そんな無理をしたところで終わらないものは終わらない。やることなんていくらでも湧いて出てくるから、定時とかいう概念はあんまりうちの会社にはない。大好きだったはずのアイドルにこれっぽっちも力を割けないまま、疲れたなあと思っているあいだに毎日が過ぎていくみたいな感じで、こんなはずじゃなかったと思いながら抗うこともできなかった。そういうところに、毎日きっかり午後五時半には終わる3日間の社外研修と、彼らのライブの日程が重なっていたのは、ほんとうにもう運命のいたずらかもしれない。

チケットをとった時、ほんとに楽しみでわくわくしていたライブだった。去年いろんな公演に散々行った代償なのか、いつしかライブがやや惰性的なものになっていたのは確かで、だからこんなにわくわくしているのは随分久しぶりに思えてちょっぴり悲しくなったけれど、とにかく楽しみだった。まあ、それだってけっこうすぐに仕事に飲み込まれてしまっていたのだけど。月曜になっても、火曜の昼休みにチケットを発券しに行ったときも、「ああ、今日ライブなんだっけ」くらいの他人事感だった。だけど、研修が終わって屋外に出たら、まだ陽が落ちきっていなかった。久しぶりに夕暮れの空気をちゃんと肺に満たして、それでやっと、今からライブに行くんだって嬉しくなって渋谷に向かった。

ラブホテルがひしめく街にある、はじめて行くグループの現場は、今まで行ってきた現場とは全然ファン層が違った。それにちょっと気圧されてしまって、日頃ひとり行動に抵抗がある方ではない(むしろ好む)私にしては珍しいことに、友人が早く現れてくれるようにと、半分くらい祈るような気持ちでいた。ライブハウスの前の一番人口密度が高いところを遠巻きに眺めつつ、コンビニで買ったホットドッグを無言で口に押し込みながら開場を待っていた。

その友人があれよあれよとこのグループに足をとられていく様子は、ツイッターで遠巻きにずっと見ていた。自分まで攫われるつもりはなかったのだが、あまりにも楽しそうなものだからすこしばかり興味を惹かれて、いくつか曲を聴いてみたら好みだった。5人しかいないからメンバーもすぐに覚えた。それでも、ライブは絶対楽しいよと受け合う友人を疑うわけじゃなかったけど、ライブに行こうと思うには、まだあと一歩足りなかった。

けれど、突き落とされるのは、そこからそう遠い未来の話じゃなかった。友人に勧められたそのグループの曲をYouTubeでバックグラウンドで流していたところだった。曲がひとつ終わって、自動再生で次に移る。広告を飛ばすのが面倒でそのままにして、15秒の雑音に耐えて一瞬の空白ののち、耳に飛び込んできた尖った音のイントロは、それまでに聴いたことのなかった曲だった。

私は音楽については運命の出会いみたいなものを信じていて、つまりその曲が好きかどうかというのはだいたい一音目でわかると思っている。そういう意味で、その音は間違いなく、私の心臓の真ん中を突いたのだった。だけど、あ、好きなやつかも、と思う間もなく、重なった声の方に一瞬で心を奪われた。息の割合が多い、繊細な声。なんだこれ、と混乱しながら画面を切り替えて、美しい横顔をもつ青年が歌う姿に、視覚まで奪われて、もうどうしようもなかった。あ、この人のことが好きだ。そうはっきりと心に刻みつけて、5回ぶっ続けで同じ曲を繰り返して聴いて、それから迷わずに公演のチケットを買った。

開場まで感じていた心許なさは、薄暗いライブハウスに入ると幾分落ち着いた。その場にいる人間がそれぞれ抱く、そのあとに控える時間にむけた期待が溶けたざわめきは心地よくて好きだ。600円と引き換えに手に入れたハイネケンは開演前に余裕で飲み終わってしまったけど、仕事終わりにライブハウスに来て酒を飲める人生なら、会社員になったのも悪くなかったなとか思っていた。べつにアルコールがことさらに好きなわけではなくて、ただ、音楽を楽しむ空間に、酒という嗜好品があることが大事なのだ。仕事やらなんやらかんやら、自分の意のままにならないものたちのことは、もう考えなくていい時間なのだ、という確信を与えてくれる。楽しむぞ、という私の心を強化してくれる感じがする。

そのうちに照明が落ちて、BGMの音量がぐんとあがった。そこから先、もうとっくに記憶がない。初っ端から怒涛のように降ってくるタイトル曲に体を揺らしてるうちに全部どうでもよくなっちゃって、なんか、なんだっけ、もうとにかく、はちゃめちゃに楽しかったんだ。

はじまる直前、友人に言われた「音源よりうまいから!」の言葉はほんとうにそのとおりで、生の歌声がこんなにも「良い」ものであることは知っていたつもりだったのに、なんだか長いこと忘れていたような気がした。それくらい、生身の彼らのパフォーマンスは圧倒的で、あんまりに楽しくて、終演してから明日も行く、と友人に宣言した。行けないはずだったのだけど、行かないという選択肢はもうあるはずもなかった。会社の予定をなかったことにして、結局水曜の18時も、同じように渋谷にいた。

ああそうだ、ライブってこういうものだったな。だから私、ライブが好きなんだよな。生活にかまけて忘れかけていたものを、彼らはいとも簡単に蘇らせた。乾いていたのだ、と初めてはっきりと自覚した。音楽って、音を楽しむものだって、文字通りのシンプルな意味だった。彼らのパフォーマンスは、そのことをよくわかっている人たちのそれだったと思う。

もっと書きたかったことはいろいろあるんだ。ただでさえそう広くはない舞台がともすれば小さすぎると思うほどに、ひらりと身を翻すテホくんの踊り方が、とんでもなく好きだったこと。ウンジェのメンバーに向ける視線の柔らかさ。ジェオプの歌に対する矜持がびりびりと伝わってきたこと、ゆるぎのない信頼を示してくれる人だと思ったこと。重量感と疾走感に満ちた、生の良さを存分に活かしたラップをするジアンくん。サンくんが暗転したあとにくるりとターンしていたこと。LollipopとTension Upで息が切れるほど飛び跳ねたこと。サンくんのソロは、私が好きになった曲をアレンジしたものだった。そのことに私は気付かなくて、ただ舞台の真ん中で冷たい光を放つスタンドマイクにもしかして彼だろうか、でもまだジェオプのソロも残っているし、と期待していいのかわからないまま突っ立っていたのだけど、それまでほかの子の隣にいた友人が、すすすといたずらっぽい顔で私のそばに寄ってきて、それでああ彼が来るんだってわかったらばかみたいに鼓動が早まったこと。サンくんの宙に伸びた指先が綺麗だったこと。曲を終えて、こっちはまっすぐ立っていられないくらいに心を奪われてるっていうのに、当の本人はあっけらかんとして、「ありがとうございました~」と余韻を断ち切るように飾らない口調で礼を残して舞台から消えていったこと。サンくん、サンくん。初めてのライブだし、楽しむぞ、くらいの心づもりでいたのに、気づけばサンくんばかり目で追っていたこと。刹那を追うごとに見せる表情が、歌う声が、笑い方が、ぜんぶ新鮮で、なんにも知らないのに、なんにも知らないから好きで、それがすごく幸せで楽しかったこと。ウンジェが言っていた、お金を稼ぎたいとかより、自分の音楽で幸せになるひとがひとりでもいればいいんだって言葉に、ほんとうは大声でここにいるよって叫びたかったこと。私は、まだ彼らのことを何もしらなくて、でも、それでも確かに彼らの紡ぐ音で幸せをもらった人間のひとりだった。

水曜の終演後は次のライブの予定がないことにけっこうどんよりしていたが、ちょうど1週間が経った昨日、5月にライブがあると発表があった。このときよりも今の方がずっと好きで、好きな曲も増えた。絶対たのしいに決まっているから、今から楽しみにしている。