日常茶飯:11月

私が言葉にこだわるのは、言葉は個人からしか生み出せないものだから、というところにあるのかもしれない。そう思い至ったきっかけは、インターネットで見かけた、言葉が無力化されていくことに対する危機感に言及する声である。あまりふだん好んでやらないのだけど、これはそのとおりだと思ったので引用する。

生み出された言葉は、発した本人の指先や口先を離れた瞬間からひとり歩きして、集団を感化するちからを持ちゆく危ういものだけれど、生み出すことだけは、ひとりしかできない。子どもに母親がいるように。誰にでも紡げる羅列であっても、使い古された表現でも、言葉が言葉として(再)生産されるとき、そこにはかならずひとりの人間がいる。私が書くことは私の存在証明だ、ということはこれまでも幾度か言ってきたけれど、私が、今ここに存在する、ということを明らかにしておくことは、ひいては全体主義に抗うことたりうるのではないか、と最近考える。

劇場版PSYCHO-PASSで人がばかすか死ぬのを観ていて、戦争は人間を集団化させるための装置なのだ、ということを考えていた。個人が集団より重んじられる社会というのを、人間はこれまであまり経験してきていない。それは個人主義が新しい概念だからだと思っていたけれど、個人主義が集団の衰退にしかつながらないがゆえに淘汰されていったにすぎないのではないか、とふと気がついた。個人をいくら殺しても、戦争をしてそこで生き残る人間がいるかぎり、集団の保存は達成される。たぶん調べれば著名なひとが同じようなことをとうの昔に言っているだろう。というか、伊藤計劃虐殺器官』を読み返すほうが良さそう。

だから、個人を埋没させ人権を蔑ろにするファシズム国家こと2021年の日本にあって、個々人が生きていることをつまびらかにすること、日常茶飯的な存在証明こそ、大事にすべきものなんじゃないか。このところ、とにかく記録する、言葉に、文字に、自分の生活を残すことをより重んじるようにしているのには、そういう意図もある。それくらいなら私にもできるのだから。

やや話をでかくしすぎたきらいはあるけれど、そういうわけで、10月にもやっていた食事の記録を、文字通りの日常茶飯事と改題して続ける。今後続くかはわからないけれど。

11月もよく食べた。ひとり暮らしをして四年が経つが、いっこうに料理が上達した実感がなくて(まともに作っていなかったのだから当然といえばそうだ)、自分は料理が苦手なんだとずっと思っていたけれど、空間と時間があればわりとできることはある、というのがわかってよかった。食事に手間をかけると自分がととのう感じがして良い。

11月2日(夜)

蕪の味噌汁、蕪の葉の菜飯。昼食にホットケーキを焼きすぎたので、夜は軽め。あまった蕪の葉はじゃこと炒めてふりかけをつくった。

11月3日(夜)

干した蕪をオリーブオイルと塩で炒めたもの、蓮根と人参のきんぴら、蕪の味噌汁。蕪づくし。蕪は昼のうちに切って金属バットのうえに放置しておいたもので、そうすると甘みが強くなっておいしいというのをどこかで読んでからずっとやりたかった。でも、もうすこし干す時間が長くてもよかった気がする。

11月4日(夜)

カオマンガイ。こんなにかんたんに作れるものだなんて思っていなかった。わざわざこれだけのためにナンプラーと長ねぎを買いに行ったけれど、その甲斐はじゅうぶんにあった。パクチーを買い忘れたのが痛恨のミス。炊飯器からたちのぼる香りだけでいくらでもビールが飲めてしまう。メニューにあわせてシンハーでタイに気持ちを飛ばした。

11月8日(夜)

たった数日調理しなかっただけで、しばらく食事をしていなかったように感じた。数ヶ月前まではそれがあたりまえだったのに。今週は出張の予定があるので、なるべく冷蔵庫をあけたくて、いろいろ作ってしまった。ほうれん草のタイ風おひたし、トマトと卵の塩炒め、ポトフ、蓮根と人参のきんぴら(残り)。ほうれん草は、カオマンガイのたれの残りと和えたのだけど、目論んだとおりにおいしくてにんまりした。青島ビール

11月15日(夜)

カオマンガイ、人参のラペ。出張とか外食が続いて久しぶりの自炊。この日はちゃんとパクチーも買って、味は悪くなかったものの、むね肉で作ったのでぱさぱさしてしまった。もも肉にしておくべきだったと後悔した。

11月16日(昼)

鮭と牛蒡と舞茸の炊き込みご飯、蕪と豚肉の味噌汁、卵と搾菜と舞茸の中華炒め。『昨日何食べた?』を読んだ元恋人が触発されて、1巻のメニューを再現してくれたもの。漫画では卵と筍の中華炒めだったから、すこしアレンジがはいっているけれど、それはそれは美味しかった。昼からこんな美味いもん食っていいのか。

11月17日(昼)

だいぶまえに作った蕪の葉とじゃこのふりかけがそろそろ古くなってしまったので、消費のために炒飯にした。それと人参のラペ。

11月17日(夜)

人参のラペ、豚バラ大根、中華風(?)スープ。スープは、あまったパクチーをつかいきりたくて母に相談をしたら提案してくれたもの。

11月18日(夜)

スープの残り。

11月19日(昼)

担々麺。余っていた豚ひき肉をそぼろにして、サッポロ塩ラーメンに辣油をたらして、茹でた青梗菜を添えて担々麺風。味噌ラーメンならもっとそれらしくなったろうが、あいにく塩しかなかった。たまごに火が通りすぎてしまったのが惜しいが最高だった。

11月19日(夜)

人参のラペ、豚バラ大根、炊き込みご飯、トマトと搾菜のかきたまスープ。

11月20日(夜)

水炊き、蕪の塩麴漬け。手羽元が安くなっていたので。でもやっぱり鍋物はひとりだと侘しい。

11月23日(夜)

肉じゃが、水菜と白菜と春雨の中華スープ、蕪の塩麴漬け、鮭と舞茸と牛蒡の炊き込みご飯。

11月26日(夜)

好きだった女の子が泊まりに来てくれた。胡麻豆乳鍋、〆はうどん。

11月28日(昼)

外食だが、美味しかったので。中目黒の笄軒にて、旧友と数年ぶりに会って食事をした。チキンライスのかわりにナポリタンがふわりとした卵の内側にいる、オムライスならぬオムリターノというものを食した。幸いでした。

11月28日(夜)

肉じゃが、豆腐としめじの味噌汁、蕪の塩麴漬け、鮭と舞茸と牛蒡の炊き込みご飯。味噌汁以外は残りもの。

11月29日(夜)

豆腐としめじの味噌汁、それから元恋人のつくった蕪と舞茸と豚肉の炒め物、蒟蒻と里芋の煮ころがし。蕪は炒めるときに砂糖と塩をまちがえたらしいのだが(仕事をしている時に台所から「あー!」と叫びが聞こえたのはそういうわけだったらしい)、そうは思えないほど美味しかった。本心なのだが、それを言うとお世辞だろう、というように顔をしかめられた。もうすこしわかりやすい容器に買い換えようかしら。

さあ師走です。仕事も佳境なので、この生活を維持できるのか戦々恐々としているけれど、生きてゆきたい。