2021/12/9

もう気取った文章とか書けないし推敲する元気もないのでつぶやきよろしく浮かんだままに書きなぐる。全然こんな文章を書いている場合じゃないんだけどキャッシュ消去みたいな感じに近い。質の良い睡眠がろくにとれていないので再起動ができていない。これは自分にも非があるけど。布団に入ってから二次創作読み始めるのがいけない。寝ろよ。でも一日にそれくらいの楽しみがあったっていいじゃないですか。なんで寝食以外のすべてを仕事にささげなきゃいけない?うそ、ドラマとか見てるけど。でも罪悪感にかられながら見るドラマってぜんぜんよくない。じゃあ見るなよという話ではないです。

今までも夜遅くまで仕事をすることはあったけれど、とくに在宅になってからは自分の怠惰ゆえにそういう状況を招いていた部分が大きかったから、まだ仕方ないと思えた。だけど今回はそれとは異なる。同僚の子どもが体調を崩して、入院することになった。配偶者の事情もあって、同僚がつきっきりで病院にいる必要があって、日中はまったく仕事ができない。その分の仕事は、残った人間で引き受けるしかない。彼は何度も謝ったけど、謝ってほしくはないんだ。彼も、彼の子どもも何一つ悪くはない。8時間週5勤務は家のことをやってくれる妻(あえてこの書き方)がいる前提だよねってツッコミはよくなされるようになってきたと思うけど、企業がそこに甘えるの、マジでやめろよと思う。人間は案外すぐに体調崩したり、周りの人間の事情で働けなくなったりする。40時間あるいはそれ以上働けてあたりまえで仕事を組むのってリスクマネジメントとしておしまいじゃないですか?その一方で、いざという時のために人材を余剰にかかえておく、みたいなことが企業としてできないのもわかる。そんなことをしていたら立ち行かない。いきなり代替要員を補充できたとして、私のやっている業務は属人的な部分が多く、いきなり即戦力になることはほとんど期待できない。部品が欠けたから取り換える、みたいにはいかないのが現実だ。こういうのってどうするのが正解なんだろうね、と思う。

なんか書きたい。息がしたい。つぶやきで思考をこまぎれにしてどうにか息継ぎをしていて、そういうば自分が泳げないことを思い出した。ずっと水の中にいるみたいな感じ。どんどん思考力が奪われていくのがわかる。シモーヌ・ヴェイユの工場日記を思い出す。労働は全体主義と相性がいい。

たぶんこんなぐちゃぐちゃを残しておくのは耐えられないのであとで消す。年末にはぜんぶ終わっているはず。死なない。死なない。