無題

知らない番組に出演していたひとが亡くなったという知らせを見かけた。それにまつわるすべてがグロテスクだった。ハッシュタグがくっついた哀悼の言葉、「一番好きだったのに」とか「そこまで好きじゃなかったけど」とか好意の程度が付加された哀悼の言葉、哀悼の意と見せかけた自分語り、血走った目で犯人を叩きのめそうとする正義のひとびと、ぜんぶ気持ち悪い。

周囲でも見ていた人は少なくなかった。日頃嫌悪を示す範囲が似ている人でも楽しんでいるのは知っていたので、食わず嫌いなだけで、案外見てみたら自分も楽しめるのかもしれないと考えたこともあるけれど、けっきょく拒否感が勝った。バスに乗り込んで旅をする番組にしても、ひとりの高スペック男性を十数人の女性で奪い合う番組にしてもそうだけど、倫理的に正しくないと感じているし、ああいうものを面白いといえる人間になりたくない。あくまで私にとっての倫理観の表明なので、他者について糾弾する意図ではないです。

実在する人間の人生を、画面の外から面白がるというその構図は、ものすごく暴力的でグロテスクだ。アイドルを消費する立場だからこそ、その不均衡については考えざるを得ない。音楽やパフォーマンスだけではなく、存在そのものをコンテンツとして消費するからだ。それでもファンと彼らの関係を維持できる砦は、彼らが職業としてアイドルをやっているというところにあると思う。私が消費する彼らはある種の創作であり偶像であって、彼ら自身ではないし、そのことに、ファンも、彼ら自身も救いを見いだせると思っている。でも、素人恋愛バラエティに出演する「素人」は、そうじゃない。台本も脚本も創作もない(ということにしている)生身の人間がそのままコンテンツになること、それってものすごくおそろしいことに思える。(もちろん、アイドルであっても、その偶像と自身の境界がとても曖昧であるために苦しむことがあるのも現実だし、そこを軽視したいわけではない)

エンターテイメントというのは、人を楽しませるために人が創意工夫を凝らしたもののことをいうのであってほしい。それがお笑いだったり、音楽だったり、演劇だったり、映画だったり、小説だったりする。でも、人間の人生そのものが、人を楽しませるために使われるのは、それは、やっぱりゆるしてはいけないもののような気がする。というか、それって創作の放棄であり、エンターテイメントに対する冒涜じゃないか、という気もする。

あの番組の人気が出始めた頃から抱えていた違和感ではあったけれど、ここまで言葉に落とし込んだことはなかった。このタイミングで言うのは後出しジャンケンみたいだし、結果的に彼女に死に意義を持たせようとする行為になってしまうので、生きている者の傲慢だとも思うけれど、ああいう類のコンテンツがなくなることを、ほんとうに、切に望んでいる。

これを言うことが誠実なのかどうかわからないけれど、ご冥福をお祈りします。