陽のあたる道で(今年のふりかえりと新年に向けて)

またひとつ、年が明ける。私は年末年始が好き。それは一年に終わりがあって、いくら今年がだめだったり、苦しかったりしても、新しい一年を誰もが迎えることができることが希望だと思うから。暦というのは、自分の連続性というままならなさから目をそらす装置としての役割があると思っている。子どもの頃から自分が連続する存在であることが気持ち悪くて、幾度も過去のリセットを試みては失敗してきた。そういう人間にとって、暦のうえでの自分を「過去」として切り離し、現在と一線を画すことができるのは、救いでもあるのだ。

年末年始は、あらゆる家族主義的なふるまいが紐づけられる季節だ。「伝統」の想定する生き方は画一的で、それゆえ排他的だ。それに苦しむ人たちが多くいることを知っている。家族と過ごすべき、という規範を拡張し、希釈し、ただ誰もが新しい一年を迎える時として過ごせればいいと思う。もちろん、新たな年に希望を持たなくてはいけないわけでもないけれど。

新たな私の一年を迎えるために、2022年を過去に昇華する試みをば。

1月:すごい勢いで本を読んでいた。資格の勉強もちゃんとしていた。初めて2.5次元舞台を見た。
2月:戦争がはじまる。滝澤さんのことを好きになる。
3月:キルケゴールを読んでいた。元恋人と上野で酔った拍子に交際の再開を口走る。
4月:元恋人が恋人になった。ボランティアをはじめた。滝澤さんのソロイベが楽しかった。
5月:仕事が忙しかったらしい。あまり記憶がないけど、キルケゴールの編訳本がすごく良かった。
6月:あらゆる物語の過食状態でしんどかった時期。魔道祖師/陳情令、美しい彼、ノートルダムの鐘。メアの誕生日ライブにも行ってた。
7月:髪を切ったけどちょっぴり後悔した。『劇場版レヴュースタァライト』を見まくっていた。セブンティーン再熱。
8月:ヒプステ名古屋遠征。タトゥーを彫る。セクゾのアリーナツアーに行って好きになる。親友とデイキャンプ。
9月:ペンタゴンの接触で3年ぶりにジノに会い、フォロワーとも久しぶりに再会。
10月:ツイッターをやめてみる。コロナ感染。海外に出ることを夢想してみたりする。
11月:久保田さんを好きになる。薄桜鬼をはじめて幕末の勉強をする。いろんな人と会う。セブチドーム。
12月:仕事をがんばった。セクゾドーム。タトゥーが増える。

こうして日記などを読み返しつつあらためて振りかえると、まあいろいろあったなという気分にもなるのだが、どうにも空虚な一年だった印象が強い。つらくなかったからそう思うのだろうか。生きてゆくことが苦にならなくなって、惰性でなんとかできるようになって、その分、残された時間の長さに辟易している時間が多くなった。山を越えれば万事うまくいくと思っていた。そこからのほうが長いのだと、今平坦な道の入り口に立ってみて気づく。真っ直ぐな、単調な道が一筋、自分の前に続いていることの絶望感にどう折り合いをつけるか。同級生や近い世代の人間がばたばたと結婚とか出産とかしているのを傍目に見てきて、まあなんか、なるほどなと思う。この先このまま生きていくのかという感覚を抱え続けるのって、けっこう耐え難いので。だいぶ意地の悪い見方だという自覚はある。

仕事は、かなり調子がよかったと思う。資格取得のような目に見えるステップアップをできていないのが惜しいところだけど、主業務の遂行スキルという意味では、チームの主要戦力になりつつある実感がある。ただ、ちょっと活力を仕事に持っていかれすぎかなあ。仕事と自分を切り離せなくなってきている。一概にそれが悪いとも思わないけれど。労働はアイデンティティの要素たりうる、ということを受け入れられるようになった年でもあるかもしれない。受け入れざるをえなくなってきた、というべきか。単なる労働としてではなく、自分を構成する要素として仕事を見つめ直さねばいけないような気がしている。資本主義に侵蝕されていくように思えて怯えていたけれど、なんのことはない、資本主義も能力主義もずっと前から私の中にあったもので、まずそれをみとめないことには何もはじまらない。

とはいえ本も漫画もよく読んだし、アニメも映画もよく見て、舞台にもたくさん行ったし、会いたい人にもたくさん会えた。とくに良い本に多く出会えたことはうれしい。かなり充実した年であったことに違いはないのだが、総じてあきらかに過食気味なのが反省点。

フェミニズムと意識的に距離をおいて、自分の哲学的・政治学的な軸をゼロから再構築することを試みた年でもある。まだ何も見えていないし、正直、現実から目をそらしているだけのような気がして後ろめたい。でも、この山を越えないかぎり、この先自分に納得して生きてゆくことができないだろうという確信があるから、根気よく向き合ってやるしかない。キルケゴールとバタイユという相反するふたりの思想家を知ることができたのは、間違いなく2022年いちばん良かったことのひとつ。

連れと交際を再開して、自分のセクシュアリティに対峙せざるをえなくなってきたのもかなり大きな変化で、ここは思想の面よりもさらに直視できていない部分。

印象に残ったものたち。

小説
  • レイ・ブラッドベリ『華氏451度』
  • アーシュラ・K・ル=グウィン『ラウィーニア』
  • ヴィクトル・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』
  • 多和田葉子『地球にちりばめられて』
  • 遠藤周作『深い河』
  • ブッツァーティ『タタール人の砂漠』
小説以外
  • エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』
  • セーレン・キルケゴール『死に至る病』
  • セーレン・キェルケゴール『キェルケゴールの日記 哲学と信仰のあいだ』
  • 淡野安太郎『哲学思想史 問題の展開を中心として』
  • アンドレ・ジッド『ソヴィエト旅行記』
  • 梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』
  • 酒井健『バタイユ入門』
映画

映画好きの連れの影響で、私にしてはよく観たほう。映画の楽しみ方はいまだによくわからないけど。

  • ANOTHER ROUND
  • 劇場版  少女☆歌劇  レヴュースタァライト
  • 佐々木、イン、マイマイン
  • T-34 レジェンド・オブ・ウォー
ドラマ・アニメ

それなりに観ているはずなのに、空腹に耐えかねてがっついてしまったからか、印象の薄いものが多くて悲しい。もっと味わいてえな。

  • 陳情令
  • 美しい彼
  • Orange is the new black S1~7
  • 平家物語
  • TIGER&BUNNY
  • 宇宙よりも遠い場所
  • 万聖街
コンサート・舞台

配信や円盤などでもかなりいろいろ観てはいるのだけど、やはり自分の目で観たものがいちばん残るのだなと再確認。

  • 滝澤諒 Solo Event『49692』
  • 劇団四季『ノートルダムの鐘』
  • ヒプノシスマイク Rule the Stage Rep Live side F.P.
  • HAKU-MYU LIVE 3
  • SEVENTEEN JAPAN DOME TOUR "BE THE SUN"
  • NIGHTMARE "I'm with you"
  • Sexy Zone ドームツアー "ザ・ハイライト"

 

うん、やっぱり欲張りすぎだ。次はもうすこし慎ましく、ひとつひとつを味わえるようになりたい。2023年の目標。あとは、なんとかしてこの閉塞感を打破したいものだ。

このところ興味を持って、自分の指針となりうるのではないかと期待を寄せているコミュニタリアニズムの根幹を成す考え方のひとつに、「人間は誰もが文脈を持った生き物である」というものがある。好むと好まざるとにかかわらず、生まれ育った場所、その土地の価値観や文化からまるきり逃れることは誰にもできない、人間は生まれながらにタブラ・ラサではない(近年よく話題になる「親ガチャ」という言葉も、この考えにもとづいたものかも)。リベラリズムにありがちな、価値観や文化、歴史、過去に個人はあらがうことができる、という人間の理性への過信を拒否し、能力主義・資本主義と親和性の高い個人主義を懐疑する。世界から独立した個人ではなく、歴史、過去をもった世界の中の個人として人間をとらえて、その人のコミュニティを重んじる。その延長で、ナショナリズム(排外主義と同一ではない)や組織・集団への帰属意識も肯定するし、家族という最小コミュニティにも意義を見出す。それでいて、伝統を重んじる保守とはみずからを区別する。その違いは、コミュニタリアニズムは価値観・文化の変化を許容するところにあるのではないか、というのが今の私の理解だ。冒頭で規範の拡張と希釈について書いたように、既存の規範を否定・破壊し抗う形ではなく、よりインクルーシブな規範へと変質させる、私はそういうゆるやかな革命を志向していたいのかもしれない。甘いかもしれないけれど、三十を目前にして、自分のいのちの有限性をより意識するようになってきた今、実現できる革命のことをもっと考えなくてはいけないと思うようになっている。どう生きるか、を考えるのをやめない一年にしたい。