而立の暁

 私は、自分に翻弄されてきた。世界でも他者でもなく、自分をもっとも苦しめるのも、喜ばせるのも自分だった。だから自分について書き続けてきたし、書けば書くほど、自分を言葉で定義しようとすればするほど、自分というものが掴みどころのないものに思えておそろしくなった。それでも、言葉にすることに手を抜いてはこなかったはずだし、その時々で自分の現在地を見定める試みをしてきた結果、自分の目に何が映っているのか、自分が何を考えたいと思っているのかについては、すこしずつ見えるようになってきた。これはその棚卸しである。

・性自認を疑うということ、あるいは疑わないということ
・「私は女である」と「私は男ではない」の違い
・バイセクシャルとパンセクシャルの言葉の使い分け
・恋愛と性愛は別個の概念か
・友情とは何か、口頭契約をともなわないすべての関係性について
・恋愛関係=親密さではない
・婚姻関係の多機能性、性的接触と出産と親密さの混同
・愛と放任(無関心)の違いはどこにあるか
・ライフプランニングとその方法論としての結婚
・選択肢が減ることで得るもの、失うもの
・常に満点を求め/求められ続けることの不健全さ、狭隘さ
・脅しとしての「信頼」、好きを理屈以外で正当化できない世界
・倫理感と欲望のはざま
・親の老化をどう受容するか
・「かわいい」という言葉の暴力性
・内面化した優生思想
・性格は労働に影響される
・労働は悪なのか
・複雑化しすぎた世界、標準がふえすぎた世界、こぼれ落ちる人の増える世界
・総括して自分の政治性をどう位置付けるか
・加齢について
・長い時間、多くの人が正だと信じてきた価値観の大ちゃぶ台がえしをやろうとしていることへの左派の自覚のたりなさ(主語がでけえ)、一例として選択的夫婦別姓について
・ツイッターのスピード感と論破の文化、反射的に反応を打ち返すことが是とされる世界の危険性
・誰かを好きでいること、推すこと、生身の人間を追いかけること

 同じようなテーマについてもっと深く、丁寧な言語化・理論化に取り組んできた先人たちなどいくらでもいる。自分の考えることに独創性があるなどと夢を見るような年齢ではない。それでも、私が、私のために、私の言葉で書かなければ気がすまない。これは、そういう強烈な自己愛である。そうすることでしか、自分が存在することをゆるされる人間であるという確信を得られないと思っている。
 ここに挙げたのは、すべて友人たちとの日常会話で出てきたトピックである。傲慢かつ独善的で、けっして簡単とはいえないいとなみを一緒にやろうとしてくれる友人たちに恵まれている(そうやってぐちゃぐちゃしている私のことが好きだと言ってくれる人さえいる)ことは、いまだ自分の存在を首肯できずにいる私が生き続けることを志向していられる理由に違いない。

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず 。

 あと十年ほどで惑わされることがなくなるとは思えないし、学をまともに志したのもここ最近のことだが、すくなくとも、二十九を目前にして自分の足で立つ努力ができるところに来たとは思えるようになった気がする。