2024/4/5

 冴えない空。午前中は昇進のために必要なeラーニングを進めていた。
 昼休み、近所に新しくできたピラティススタジオの体験レッスンに行く。直前になって億劫になってしまい、よほどキャンセルしようかと思ったが、連れがちゃんと尻を叩いてくれて、家を出るのに成功した。30分のレッスンで、終わったときには物足りなく感じたが、夜になって腿裏に筋肉痛が出てきたので、けっこう効いていたらしい。(辞めてからだいぶ経つとはいえ)慣れ親しんだヨガと呼吸法が正反対なのでやりにくかったけど、精神的な作用というよりは、物理的に体に負荷をかけたい今の私にはいいのかもしれない。人気らしくすでに新規入会は受付停止中だというので、入会待ちのリストに登録してもらった。
 昼食は、連れが蕎麦をつくって待ってくれていた。手製の麺つゆに刻み海苔と煎り胡麻をたっぷり。蕎麦湯は、蕎麦屋で飲むものよりもずっと濃くて、麺つゆに溶いたらすごく美味しかった。
 午後はまた新入社員と面談をし、来週の打ち合わせに必要な資料を作って、上司と週次のミーティングをして、19時すぎに切り上げた。
 夕飯は手間のかからない献立に決めていたので、連れの帰りを待ちながら、『SHIROBAKO』の残りを一息に観た。最初から最後までかなりいろんなエピソードを詰め込んだハイカロリーな作品だったけど、きれいに終わって、気持ちのいいカタルシス。なかなか仕事が決まらず腐っていたしずかが、最後の最後で『サンジョ』の新キャラクターに抜擢されて、それをアフレコ現場で初めて知った宮森が、しずかのアフレコ中に静かに泣くシーンがすごくすごく好きだった。りーちゃんの「物語が必要なんす」っていう言葉がずっと頭に残っている。物語に共感とかほしくないけど、でもなんとなくりーちゃんのことはずっと重ねて観てしまっていた気がする。「一番怖いのは脚本家になれないこと」と言い切る彼女と、書こうともせずに腐っている私とでは重なりようがないのだけど。私は……物語が必要な人間だと自分のことを思ってきたけれど、でも、あいかわらず自分の中に書きたいものはずっとないままだ。観たり読んだりすることをやめることはないだろうけど、それらは私の中にとどまることなく、排泄物と一緒に体の外に流れ出ているような気がする。ざるみたいだ。あんなに書きたいものがあふれてとまらなかった頃ってどうなっていたんだろう。
 仕事柄、この頃は生成AIについて勉強しているのだが、知れば知るほど、この先人間のつくる物語はどうなってしまうのだろう、と考えてしまって浮かない気分だ。コンテンツ飽和の時代だ、コンピュータが物語を、絵や動画を作れるようになってしまった以上、人間に創らせていたらコスパがもう見合わないだろう。『SHIROBAKO』でもCG技術に対して複雑な思いを抱くアニメーターの心境が描かれていたけれど、今目にしている現象はたぶん、それの比じゃない変化だ。どんなに優れた作品を機械が生み出せるようになったところで、人間が創作をやめることはないだろうけど、職として立ち行かなくなる人は出てくるだろうと思う。あの技術をもてはやせるのは物語を必要としない人間なんだろう、とどこか鼻白んだ気持ちになってしまう。
 自分が人間の作ったものとそうでないものを見分ける審美眼を持っていると思い上がれたらいいのだけど、たぶん、この先、AIが作ったものに熱中したりすることもあるんだろうな、という諦めもある。でも、物語そのものの後ろにある、「書きたい」「作りたい」という人間の欲望の匂いを忘れずにいたいものだと思う。それがいのちだと思っているので。
 夕飯は、塩鮭と青梗菜のおかか蒸し、トマトと卵の炒め物、蕎麦湯の残りを使った豆腐とわかめの味噌汁。このところ胃に負担の大きい食事が続いていたので、薄味にほっとした。