5月6日(木)夏の花の香

連休が終わった。もっと気持ちが腐るかなと思っていたけれど、会議詰めなうえにクライアントからばんばん電話かかってくるわ、メールもチャットも溜まってるわで腐っているような余裕もあんまりなかった。連休明け初日にしては、まあ、頑張ったんじゃないですか。自分でそう思えるのは珍しい。

あいかわらず地獄みたいな国に生きている。安保法制が可決したときのことをおぼえている。大学四年の夏だ。大学院の入試を二週間後に控えていながら、勉強そっちのけで国会議事堂前に向かって、コンビニでネットプリントのポスターを印刷した、夏の日のことをおぼえている。もみくちゃになりながら声を張り上げて、喉が枯れゆく感覚をおぼえている。FIGHT FOR LIBERTYと書かれたA3版のポスターは、今もまだ家にある。道を埋め尽くすひとに圧倒されたことをおぼえている。こんなにも意思を同じくするひとびとがいるならば、あるいは届くかもしれない、と錯覚したことをおぼえている。それだけに、可決の報道におぼえた無力感は凄まじかった。あのときと同じ感覚を、六年経った今もまた味わっている。何も変わらなかった。何も良くならなかった。何も良くなりはしない。どこから絶望すればよいだろう。どこまで絶望すればよいだろう。毎日そう考える。根拠も合理性も持ち合わせない、政治そのものが反主知主義的なふるまいをやめないこの国で、どうすれば希望を持ち続けることができるだろう。目も当てられなくて、怒る気すら削がれる。それではいけないのに。

当時、私の周囲でそのデモに参加していた人間はすくなくなかった。それを弱っちいやつらの遠吠えだと、本気で変えたいと思うならもっと頭をつかえとあざ笑っていたひともいた。彼に対する怒りを、私は今も新鮮に思い出せる(そのひとと親しかったひとが最近になって維新の旗を掲げて政界に入った。なるほど、と思った)。今や、この国全体が彼のような悪意のある蔑みをもって私の希望を奪い取ろうとしてくるように感じる。その思惑通り、もう立ち上がれない、と思ってしまうときもある。でも、今は国会前には行けなくたって、六年前あそこで感じた熱はけっして偽物なんかじゃなかったはずだ。あのとき感じた、私はひとりじゃないのだという気持ちを、私はおぼえている。一緒に怒るひとたちがこんなにもいるんだというのはまちがいなく希望だった。世界にとっては違ったかもしれないけれど、私にとってあのデモはぜったいに無意味なんかじゃなかったのだ。あの時感じた光があるから、私はまだ信じていたい。こんなことをして何になる、と頭の中で響く自分の声を叩き潰しながら、祈りをひそませた怒りの言葉にハッシュタグをそえてインターネットの海に流す。入管法改悪に反対します。国民投票法改正案採決に反対します。

昨日買った食材は冷蔵庫にあったけれど、自炊をする元気はなくて、けっきょく九時過ぎにスーパーに買いに出た。閉店まで一時間弱の店内はいつもの数段閑散としていて、惣菜には割引のシールがたくさん貼られていた。割引シールを貼られても誰の目にも触れることもなく捨てられゆくそれらのことを考えたら、むしょうに泣きたくなった。数年前までは道端に落ちているハンカチやキーホルダーにも泣いてしまうことがあったけれど、それらに対しておぼえるのと同じ類のさみしさが突然押し寄せてきて、あまり直視しないようにしながら適当に目についたサラダだけ買って逃げるように店を出た。

連休のことを書き記しておく。前半は実家に戻っていた。両親と一緒にテレビを観て、母の料理をあてに三人で酒を飲んでいた。ひとりぐらしをはじめてめっきり飲まなくなった私と対照的に、両親はよく食べるしよく飲む。もうすこし死なないでいてくれたらうれしい。

五月一日、親友と食事をした。数年前から酔っ払うたびに冗談のように話していたシェアハウスをする企みについて本格的に相談をした。するならお互いの仕事が一段落する夏以降。そのひととは高校卒業後もつかずはなれずの関係でうまくやってきたから、ひとつ屋根の下で暮らして毎日顔を合わせる仲になったときにどうなってしまうのかが怖くて、まだすこし迷っている。仲悪くなりたくないよねというところは一致している。私は私を信用していない。他者と共同生活を送るに足る人間ではない。

五月二日、夜に元恋人の家に行った。ピザを注文して、届くまでのあいだ、近くの線路沿いのベンチで夜風を浴びながらビールを飲んだ。日本酒とビールとウイスキーを飲んで、ピザを食べながら部屋を暗くしてまどマギを観て、漫画とアニメの話をして眠った。翌朝は七時半に起きて(私も元恋人も超がつく夜型なので、画期的な早起きである)、前の晩に買い込んだ食材でひたすらサンドイッチを作った。ツナと胡瓜の、たまご、ベーコンレタストマト、スモークサーモンとクリームチーズ、ピーナツバターアンドジェリー、生クリームとみかん。それと酒をもって近所の公園に行く。サンドイッチをあほほど作って食べたい、とは元恋人の発案である。三、四時間ほど、草の上で昼寝をしたり、ゲームをしたり、園内を歩き回って花を見つけたりしていた。知り合って七年、交際を終えて四年。交際していた期間は一年にも満たなくて、交際を終えてからの付き合いのほうがずっと長い。大学時代の共通の友人には「おまえら、まだ連絡とるんだ」と驚かれる。よりを戻さないのか、という意味合いを含んだ問いかけに、私が肯定を返すことはない。今後恋愛関係になることはないし、なんならたぶん恋愛関係であったこともない。元恋人のことはずっと何もわからないし、あまりわかろうとも思わない。好きだなと思うものがわずかに重なっているだけの、かぎりなく他人。会話が途切れることはほとんどないけれど、私たちはお互いについて語る言葉をあまりにも持たなさすぎるんだな、と思った。久しぶりに陽光をおもいきり体に浴びて心地よかった。疲れていたらしく、その日帰宅してからはあっという間に眠りに落ちた。

最後の二日は、なんとなく仕事への不安が頭を離れず、気が休まらないまま本を読んだり漫画を読んだりアニメを観たりして終わった。

仕事はあいかわらず借金の利息ばかり返しているみたいで、すこしも息をつけない。祝日だったぶんの仕事量が塵と消えてなくなってくれるわけでもないから、ないほうがましだとも思う。それでも、良い連休ではあった。あと一日越えればまた休日。

夜の匂いがよくて、ひさしぶりに煙草を吸いにベランダに出た。真夜中の公園で悪友たちと花見をしたときにライターを失くしてそのままになっていたから、ひと月ぶりだ。空気にはもう栗の花の青臭さが混じっている。