5月9日(日)西へゆかん

働きつづけるかぎり、この呼吸を重くさまたげる重石から自由になるときは来ないのだろうか。山場まであとひと月を切って、今が追い込みの時期だからことさらに忙しいというのはある。いつもいつもこんなふうではない。石はその時々によって大きくなったり小さくなったりする。その石を小さくする技術も多少は身につけたし、実際そのおかげでこのところの忙しさのわりに調子が大きく崩れていない。それでも、そいつは消えることはない。勤めはじめて千三百日ほど、仕事のことを気に留めずに過ごすことのできた日を数えたら、きっと片手の指で足りてしまう。

気付けば二十七歳も半分を過ぎた。明日こそ、今日こそ死のう、と呼吸にひとしく思っていたのはほんの二、三年前のことだ。私はもうとっくに死んでいるはずだった。こんな歳まで生きるつもりではなかった。そのたびに死にそびれて、そのうちに死ぬのはやめたから、今もこうして文章を書いている。ところが、二十五になるところまでしか道を描いていなかったものだから、その先はいまだに途切れたままだ。死ぬのをやめたからといって、自動的にぱっと視界が晴れて進むべき道が見えてくるなんてはずはなかった。自分の未来を引き受ける、と言ったわりには、自分の生命が連綿とこの先も続くことに対する身体感覚が薄いから、私はまだ、自分が遠くない将来死ぬことを前提に日々をやり過ごしているように思う。だからこそ、こんな馬鹿みたいに長過ぎる労働時間にも、カップラーメンと惣菜が中心の質の悪い食事にも耐えることができているのかもしれない。だけど、だって、私は死ぬのをやめたのだ。死ぬのをやめたということは、事故とか病気とかに見舞われないかぎりは未来が続いてゆくということで、未来があるということは、死ぬまで日銭を稼いで生きていかなくてはいけないということだ。ということは、ほかでもない私がこの環境を力づくで変えようとしないかぎり、死ぬまで労働に追われて、幸福のともなわない、腹を満たすだけの食事で命をつないでゆくことになる。それで気がついたら終点でした、なんてね。そんなことのために、死ぬのをやめたんだったか。

このあいだ、たまたま一人暮らしという言葉を変換しそこねて、ひとりぐらし、と開いたままにしてしまったことがあった。見慣れない並びに一瞬意味を捉えそこねて、それから頭のなかで漢字に変換したところで、暮らすと暮れるが同じ字であることに思い至った。ああ暮れてゆくのだな、今この瞬間も陽がかたむくように、暮れているのだな、私のいのちは。そう思った。こんな生活、夜の帳が降りる東の地平線に向かってずんずん歩いているようなものじゃないか。西へ。西へ向かわなくては。