2022/7/29

起き抜けにはっとするような青が目に入って、それだけで眠気がすこし退いた感じがした。夏空。昼食は昨日作った、ポン酢と砂糖とごま油で和えたトマトを素麺にのせて食べたら美味しかった。仕事を終えて、筋トレをして、昨日の残り物で夕食をとって、シャワーを浴びて、語学と資格の勉強をして、友人に薦められた韓国ドラマを観ているうちに日付が変わっていた。午後六時を過ぎたあたりからの時間の流れの速さ、いつも納得がいかない。

日記を書くのをしばらくやめていた。というか、メモ書き程度に残してはいたけれど、文章を整えることを放棄していた。理由はいくつかある。ひとつは、仕事の同僚以外に、生活の中で接点のある人間が連れしかいないこと。これは書かないことというよりは、書いたものをインターネットに流さないことの理由。文章にするというのはいつだって暴力で、他者について書くときにはとりわけ気をつけないとならない。これは他者と私の関係がどんなものであれ同じことだけど、こと交際相手についてためらわれるのは、ほかの関係性よりも閉じたものだからだろうか。他者が存在しなければ文章は書けないのに、相手が存在するから文章を書けない。その狭間で迷っているというか、自分の中で許容できる線が曖昧でもやもやしている。

書けずにいたもうひとつの理由は単純で、自分の書くものが全然おもしろくないこと。文章はあいかわらず好きだが、読んでいてクソつまんねえなコイツ、と思う。おもしろい人間になりたかった。好きな文章を書く人の日記に、同僚にむかついた話が書いてあって、なんとなく羨ましさをおぼえた。腹がたつことはすくないほうがいい、それはそうだけど、最近の自分が退屈に思えて仕方がないのは、けっきょく無味無臭だからだなと思う。脱色された生活。社会への怒り、他者への理不尽に対する怒り、そういうものは忘れずにいたいけれど、それは「私の」怒りではない。怒るべきものが先にあるから、怒ろうとする。それは感情ではなく、私の倫理に照らして意図的に想起されるものであり、すなわち理性だ。そうじゃなくて、内側から湧き上がるものが欠落している。このところ『少女歌劇レヴュースタァライト』で真矢クロに気持ちを持っていかれているのは、真矢が理性でコーティングしていたものを、クロディーヌが剥いでいくその様がまぶしいからだろう。もうすこし砕けてみたほうがいいのだろうか。丁寧に漂白された文章からはえぐみが抜けてしまうから。ふだんからこんなかっちりした言葉で物事を思考しているわけじゃないしなあ。生ものの感じが足りない。