2023/3/26

午前11時前に起きる。コーヒーをいれてトーストと昨日のクラムチャウダーの残り。身支度をして資格試験を受けにテストセンターへ。受験するのが面倒で先延ばしにしているうちに5年くらい経っていて、当然勉強していたテキストも5年前のものである。どうやら試験範囲が変わっていたらしく身に覚えのない問題もあってひやひやしたが、まあまあの結果で合格していたのでほっとした。持っていても何の自慢にもならない易しい試験ではあるが、生活のなかで勉強する意思を保てずに挫折してばかりだった自分にとっては、テキストを開いて勉強をするという行為に対するリハビリになったのが何よりも良かった。なんだ、私その気になれば勉強を続けられるじゃん、という自己肯定をできるのはかなり大きい。好きな俳優も、かねてからとりたかった資格を先日の舞台を終えたあとの期間で取得したと話していて、そこに近づけたような気がするし。

そのあとの約束まで時間があったので、カフェに入って本を読んでいた。友人に借りた『薄桜鬼』のノベライズをちょうど読み切った。ミュージカルは気付けば再来週に迫っている。楽しみ。

夜は会社の同期ふたりと1年ぶりに食事だった。ふたりともすでに転職して別の会社にいるが、入社タイミングがずれているせいで同期の知り合いがすくない私にとって、仕事の話を気兼ねなくできる貴重な相手である。といっても話題の半分ちかくは先日の野球の話で、試合を観ていない私はいろいろとふたりから教えてもらっていた。楽しそうに語ってくれるのを聴いているのはおもしろい。

スポーツに興味がないというより、いろんな過去が積み重なった結果である。学生の時から体育の授業がとにかく苦痛だったこと、地獄を見た大学院時代の所属専攻が運動科学分野だったこと、そこで出会った差別主義者たちにいわゆる体育会系の人々が多かったせいでスポーツをする人への苦手意識が植え付けられてしまったこと(人間を属性でくくることそのものが差別への加担の端緒なので、ここで強固に作られてしまった偏見をいずれ解けたらとは思うし、連れがその助けになってくれていると思う)、国際試合においては国旗を背負うみたいな意味づけにどうにもナショナリズムを感じてしまって抵抗感があること。なにより、天邪鬼な性格をしているせいで周囲が熱狂の渦に飲み込まれているのを見るとかえって遠ざけたくなってしまうこともある。ただ、連れがいつかのサッカーのときに「どっちが勝つかはどうでもいい、きれいな攻めが見たいんだ」と話していたのを聞いて、そういう楽しみ方もあるのかと思って以来、もしかしたら私にもスポーツを楽しむということができるのかもしれない、とちょっと思いつつある。楽しめるはずのものに、過去の諸々のせいで心を閉ざしてしまっているのだとしたら、それはやっぱり惜しいことだ。連れと違って運動音痴なうえに知識に疎い私にスポーツの戦術や技術の妙が理解できるかは別としても、監督の選手の采配のやり方、人材の使い方は仕事にもつうじることが多いのだと同期が熱っぽく語っていて、そういう立場で見るのもおもしろそうだなあと思ったのもある。

その大学院時代、研究室の教員や先輩たちに幾度か球場に連れて行ってもらったこともあるし、その先輩の伝手でビールの売り子のアルバイトを紹介してもらって数カ月ほどやっていたこともある。大学院の人たちは今でも思い出したくないくらいに大嫌いだし、売り子の仕事もルッキズムにまみれていて物申したくなることはたくさんあったのだが、生きてきたなかでもっとも暗い期間だった大学院時代にあっても、不思議と球場にまつわる記憶は悪いものとしては残っていない。記憶補正もあるかもしれないけれど、私がコンサートやライヴを楽しいと感じるように、目の前で繰り広げられる展開を楽しみに人が集う光景が、たぶんけっこう好きだったのだろうと思う。暑くなったら連れを誘って球場に行ってみるのもいいかもしれない。