血をもって書け

 

首の後ろかどこかに、スイッチがあればいいと思う。そうしたら私は毎日、午前8時半、会社のビルのエレベータに乗るたびにそのスイッチをぱちりと点けるのに。それからデスクに座ってノートパソコンを開き、メールを確認する。会議に出て、上司と当たり障りのない会話をしながら昼食をとり、資料をまとめて、定時を少し過ぎたら、飲み終えたカフェラテの容器を捨て、机に鍵をかける。社員カードをセキュリティーゲートにタッチしたら、またぱちり。閉じていた感覚が開いて、妙に赤みがかった月とか、膨らみ始めた木蓮の蕾とかにうきうきしながら帰途につく。そんな風に、できたらいいのに。

 

文章が書けなくなった。小説だけじゃない。というか、書かなくても平気になってしまった、というのが正しいのだと思う。それがすごく嫌だ。自分が死んでいくみたいで。

少し前までは、書かずにはいられなかった。寝ることも食べることもそっちのけで、文章を書くことしか考えていなかった。大学院を逃げ出してから働き始めるまでの約1年の間に綴った文章は一体どれほどだろうと思い立って、過去のブログの記事や書いた小説をざっくり足してみたら、25万字を越えていた。言語化するのに時間がかかるタイプだし、これがけっして多い数字だとは思わないけれど、それにしても必死だった。

書くという行為は、病んでいないとできない。同じように文章を書く友人と、以前話したことだ。彼の表現を借りるならば、世界との不協和があるから書くのだ。言葉をもってして、自分と世界との間隙を埋めようと躍起になるのだ。自分を世界に繋ぎ止めておくために、書かなくてはいけないのだ。私が惹かれる文章を書く人の多くは、同じようにどこか世界からずれている。溶媒たる社会にすんなり溶け込めない人たちの綴る文章は切実で、鋭くて、美しい。ニーチェがいうところの、”血をもって綴られた” 言葉たちだ。

生きることは、ずっと苦しかった。死にたい、と思い続けてきた。「普通の」「ちゃんとした」社会の構成員として生きることができないのは、しんどかった。私は弱くて、あらゆるものに簡単に傷ついて、歩けなくなって、泣いて泣いて泣き喚いて、命を終えることを本気で望んでいた。そりゃあ、苦しかった。私はその苦しさを、書くことで癒やしていた、と言ったら大仰かもしれないけれど、でもそういうことだった。書いているときは気が楽になったのだから。

今振り返ってみると、そこから随分と遠くまで来たものだと思う。歩けるようになって、景色が変わっていくのが楽しくて、自分のことが好きになれたような気がして、見える世界は明るくなった。鬱がひどかった3年間を知っている人は、口々に「良かったね」という。良かったんだろう、と思う。私は今親元を離れて、自分の力で生活していて、毎日会社に行って働いているし、ご飯も作る。洗濯をして、掃除をする。ちゃんと、生きている。一人じゃ風呂に入ることも着替えることもできなかった頃から比べたら見事なものでしょう。私は「社会復帰」を果たしたんだ。良かった。

 

......本当に?

強くなった。確実に。悩むことがまったくなくなったわけではないにしても、受けるダメージは明らかに軽くなっている。生きやすくなったともいえる。でも、違和感は確かに私を苛んでいる。

ひたすら感覚を閉じて毎日をやり過ごしている。怒るな、悲しむな、傷つくな。些細なことにいちいち揺れていたら、すぐに壊れてしまうから。感じない、何も感じない。そうやって「ちゃんとした」社会の構成員をやるには、私の心の大事なものが犠牲になっている。便利なスイッチなんかついていない私は、感覚に蓋をして、それを開く術を失いつつある。

喩えて言うならば、指先の神経が少しずつ鈍くなっている感じ。触れているのかそうでないのかわからなくなっていく、確かに自分の体にくっついている手の一部であるはずなのに、それが自分のものだという感覚がどんどん失われていく。それと同じなのだ、自分の心の感覚が失われていくのだ。

花弁についた雫に触れることができるのも、痛みを感じることができるのも、ひとえに指が自分のものだからでしょう。痛みを感じなくなってしまうということは、その雫の冷たさも感じられなくなってしまうことと同義だ。そんなのは嫌だ。痛い方がずっとずっと良い。あの時苦しんでいた私は、確かに私だった。あの苦しみや恐怖は紛れもなく自分のもので、自分の感覚だった。

私が書くのをやめたところで、呼吸を止めたところで世界は変わらないんだからって思うけど、世界は変わらなくても私の世界は私の感覚を通してしか成り立っていないんだから私が感じてなくちゃいけないのに、わかんない、見えない、聞こえない、触れない。

誰の人生を生きているのか、わからないんだ。自分と同じ見た目の自分ではない誰かが、勝手に生活を回している感覚はずっとむかし、小学生の頃からあったけど、最近は、その誰かが私を乗っ取ろうとしているみたいだ。怖い。怖くてたまらない。私が飲み込まれていく。どうすればいい?