もういちど夢を見よう

よく、この時期にコンサートをやってくれたと思う。2月5日にカムバック、そこからコンサートまではわずか2週間ちょっと。音楽番組に日々出演する傍でこのコンサートの準備をしていたのかと思うと、想像を絶するようなスケジュールだ。

SEVENTEENというグループのことを知ったのは、2017年の2月初旬のことだった。あっという間に沼に落ち、その月にちょうど日本コンサートがあると知って慌ててチケットを探した。2017年2月21日は、私が彼らの姿をこの目で見た、初めての日だ。圧倒的なステージだった。ひとつひとつのパフォーマンスに込められた彼らの凄まじいまでの熱量に熱狂した。会場を震わせる空気、高揚感、神経をびりびりと焦がし焼き切ってしまうようなエネルギー。あのコンサートは、今映像を見返しても伝説だと思う。

そこから、ちょうど1年。日付まで一緒だったのは単なる偶然なのかどうかはさておき、私にとっては大事な記念日だった。

2016年の年末にBoom Boomでカムバックしてから2ヶ月弱ほど準備期間があった一年前、そして初のワールドツアーとして戻ってきた半年前。あまりにもタイトなスケジュールの間にねじ込まれた今回のコンサートは、それらと同じようには行かないのだろうな、というのは薄々予想していた。そして案の定というか、結論だけを先に言うならば、やっぱりあの時と同じような高揚感はなかった。だけど、それは決して悪い意味ではない。こんなコンサートがあるんだ、と新鮮な衝撃を愛おしく胸に抱いて、おとといと昨日を思い返している。

勝手な想像だけど、あのスケジュールの中で、コンサートを開催すると決めることに、彼ら自身も悩んだんじゃないかと思う。本当にそれでいいのか、できるのかって葛藤して、そのうえで俺たちはやるんだって覚悟を決めて来てくれたんだろう。それだけ日本のファンを愛してくれているんだと思ったら、嬉しくてたまらなかった。

日本デビューの日付が決定した以上、どうすることも出来なかったのだろう。そして、それを他でもないコンサートで、私たちファンの前で発表することを決めたのは、きっと彼ら自身だと思う。そういう人たちだ。だから、色々な制約がある中で、無理をしてでも日本に来てくれたのでしょう。目の下の隈がくっきりと疲れを主張している空港写真、メイクでも隠しきれていなかった荒れた肌。よく来てくれた、と思う。夏のさいたまスーパーアリーナでの、メンバーへのサプライズ企画の文言が「와줘서 고마워요(来てくれてありがとう)」だったのを思い出す。私たちがあのメッセージを掲げたとき、ホシくんは涙ぐんでいたけれど、あの時も、今も、ありがとうと言わなくちゃならないのは、私たちの方なんだよ。

結局、TEEN, AGEとDirector's Cutの収録曲はほとんどやらなかった。本国でも披露していないから、と誰かが言っていた。そういうものかと思いつつ、聴きたい曲がたくさんあったから少し残念ではあった。だけど、そのぶん、今までの曲をたくさんやってくれた。表情管理も、Still Lonelyも、もしかしたらもう聴けないかもしれないと諦めかけていたのに。初日、会場に入ってステージ構成を見たときに感じたものは、表情管理のイントロが流れ始めた瞬間はっきりと確信に変わった。ああ、これはファンのためのコンサートだ、って。圧倒的なパフォーマンスで言葉を失うほどに魅せてくれたのが去年だとしたら、今回は、13人とCARATの関係性をじっくりと確認できるような、穏やかで心地の良い空気が流れていた。

初日、Helloで緩んだ涙腺は、キデ日本語版で完全に決壊した。今までコンサートでサビをファンが歌う流れがあったから、日本語になっても私たちが歌えるように、音があまり変わらない言葉を選んでくれたんでしょう。今まで私たちと一緒に歌ってきたのは盛大な伏線だったんだろうか。それとも、彼らが綺麗だと言ってくれる私たちの歌声を思い出して、日本語にしようと決めてくれたのだろうか。ずるいよ、どこまでもずるい。思い出してまた泣いてしまう。顔をべちゃべちゃにして、音程の定まらない声で「来て」と歌いながら、彼らをすごく近くに感じた。つらかったら、来て、って言っていいんだって思ったら、なんだか赦されたような気持ちになった。いいよ、と応えてくれたスンチョルがすごくかっこよくて頼もしくて、涙が止まらなかった。

 

アイドルを追いかけるようになってから2年と少し。アイドルとファンの関係性ってなんだろう、とずっと考え続けて来た。あいにく私は彼らのいう「愛してる」を、ときめきと嬉しさを持って受け止めることのできる素直さは持ち合わせていない。彼らがファンを愛しているという、それが嘘だとは思わない。でも、結局は「CARAT」という箱を愛しているにすぎないじゃないか、とずっと思っていた。

だって、箱の中身は本当はずっと変わっているのに。箱から出ていってしまった人もいれば、新しく入ってくる人もいる。でも彼らからしたら同じなんじゃないのか。アイドルとファンって、そういう関係性にしかなれないんじゃないのか。そう思っていたから、「愛してる」という言葉はどうにも宙に浮いているように思えて、苦手だった。「私が」愛そうが、「他の誰かが」愛そうが、彼らの目には大した違いではないのでしょう。私たちが特別だと信じていたいこの関係って、案外もっとずっと脆くて細い糸で繋がっているだけなんでしょう。

だからファンでいることが時たま苦しくなる。自らをファンであると認めるとき、私は私であることを諦めなくてはならない。ファンであるということは、代替可能であるということだ。所詮はOne of themでしかないのだ。私にとって推しはこんなにも大切で、愛おしくて限りのない存在なのに、それは残酷なまでの一方通行だ。

そう、思っていた。昨日までは。

ジョンハンが昨日、最後のコメントで言っていた、「後ろの方の人までひとりひとりと目を合わせたかった」という言葉、それ自体はアイドルの常套句ではあるけど、ああこの人は本気でこれを言っている、と思った。本気で私たちひとりひとりと、CARATという枠組みじゃなく個人として向き合おうとしてくれている、と。スングァンもそうだ。学生も会社員も、カップルで来た方も、ってあの会場にいるひとりひとりが違う人間なんだってことをわかっていなければ、さらりとああは言えないだろう。

箱の中身が刻々と変わっていくことを、きっと彼らは承知している。セブンティーンイヤーを通してたしかにひとまわり大きくなった彼らから離れていった人も、私のように離れるとまではいかないにせよ一旦は熱が落ち着いた人も、それなりに見かけてきた。たぶん彼らはそのことに気が付いていて、そしてそのことに傷つくだけの柔らかさをまだ持っている。それでも離れていく人を引き止めることは彼らには出来ないから、道を決めたら進むことしかできないから、ずっと葛藤しながら、不安を押し込めながら、私たちの前に立とうとしているんじゃないか。昨日スンチョルが、「俺たちについてこい」ではなく、あくまで私たちに決断を委ねるように「SEVENTEENの夢に、ついてきてくれますか?」という言葉で尋ねたのは、そういうことだったのかもしれない、と思う。真剣な面持ちの後ろに見える緊張の色は、きっとテレビが入っていたからじゃない。生放送の収録のあとに公式があげた集合写真は、全員良い顔をしていた。日本のCARATが受け入れてくれて嬉しかったのかな、って都合の良い解釈をして嬉しくなった。

うん、正直に言おう。日本デビューの日がいつか来るであろうことはわかっていて、私はけっしてそれを待ち望んでいるタイプの人間ではなかった。だけど、スンチョルの、途轍もない覚悟が込められた表情がとんでもなくかっこよくて、あんな真剣な顔を見せられたら、ついていきたいと思わずにはいられなかった。日本でデビューすることを、夢だと言ってくれるんだ。アンコールVCRの、「CARATはぼくたちのみちしるべです」というホシくんのメッセージを思い返して、思わず込み上げるものがあった。きっと、ここまでこぎつけるのに、私たちには想像もつかないほど大変なことがたくさんあったんだろう。そのみちしるべになったのは、ほかでもない私たちなんだ。

韓国アイドルの日本デビューにたいして、一般的に否定的な声が少なからずあることを彼らがどれほど知っているのかはわからない。けれど少なくとも、彼らは、日本でデビューするということが大きな、重い決断であると思っている。そしてきっと、決断には痛みが伴うものだということも、よく知っているはずだ。だから、あんな真剣な発表だったんだろうと思う。痛みを甘んじて受けて、それでも彼らはこの道を選んでくれた。それどころか、それが彼らの夢なんだと言ってくれるんだ。夢みたいだ。嬉しくてたまらない。

「セブチを見ていると可哀想になる」と言っているひとを見かけたことがある。私の大事な人たちを憐れむような響きに、あまり良い気持ちはしなかった。その人がどういう意図でその言葉を発したのかはわからなかったけれど、彼らの生き様を否定されたような気がしたのだ。だけど、同時になんとなくわかるところもあって心に靄がかかった。なんというか、危ういのだ。自らにアイドルであることを徹底的に強いるうちに、消費されつくして飲み込まれてしまいそうだな、と思う時がたまにある。ファンに媚を売っている、と受け取る人がいてもおかしくはないだろうな、と。

でも、今なら言える。可哀想なんかじゃない。SEVENTEENらしく、という言葉が全てだ。世界で一番、かっこいいグループだ。

一生という言葉はきらいだ。確かなものを私は信用したくない。どうせ変わっていってしまうから、だったら永遠なんて信じないほうが楽だ。そうやって夢をみることなんてとうの昔にやめて、口癖のように死ぬことを望んで、逃げるようにただ毎日を生きるのが精一杯だった私が今、彼らの夢を一緒に見たいと思っている。一生好きでいられたらいいと願っている。アイドルオタクなんて、って思う人もいるでしょう。だけど、彼らは私の希望なんだ。

私はこのグループを応援していることを、心から誇りに思う。この人たちに出会えて、楽しくてわくわくして愛おしさに溢れる時間を一緒に過ごせることが何よりも幸せだ。

고맙다, 세븐틴.