愛に正しさなどあるものか

感情的になっている自覚はある。今、会社の昼休みだ。やらなくちゃいけないこともある。でも、どうしても書かずにはいられなかった。

見ず知らずの、とあるセブチファンの方の言葉がツイッターでたまたま流れてきた。セブチが大人になっていくことを寂しがるのは違う、置いて行かれたと思うな、というような呟きだった。まる12時間くらいのあいだにリツイートは60回近く、いいねは240を超えていた。

そういう風に思う人がいるのはわかる。私はその方がそう感じたことを真っ向から否定したいわけではない。たぶん、その方は、自分の好きなものを否定的に言われることが悲しかったのだろう。私だってセブチを馬鹿にされたらやっぱり悔しいし悲しいと思うから、その気持ちはものすごくわかるつもりだ。だけど、私は、その言葉にものすごく傷ついた。すごく、悲しかった。

三つ前の記事を読んでもらえばわかると思うけれど、Thanksで彼らがカムバックするまで、私のセブチに対する熱量は完全に落ち着いてしまっていた。もちろんそれはペンタゴンという別のグループによりエネルギーを割いていたからというのもあったけれど(掛け持ちができるほど器用な人間ではないのだ)、どうしても、「私が好きでいたいと願う彼ら」と「目の前にいる彼ら」がどこかで食い違ってしまったことも大きかった。

彼らは生きている。そりゃ、成長もするだろう。変わっていくだろう。それはどうしようもない。ファンが何を言おうと、悲しもうと喜ぼうと、彼らは彼ら自身のなりたい姿を目指していくのだろうし、それはすごく素敵なことで、かっこよくて、誇らしいことだ。だから、そこでひとりのファンが「こういう彼らを好きでいたい」と思うのは、たしかに、エゴと呼ばれて然るべきものなのかもしれない。

だけど、置いて行かれたと思うことも許されないんだろうか。それを寂しく思うことすら、私は許されないのか。どんな姿になっても彼らを変わらず愛し抜く、と強い気持ちで彼らを愛するあなたたちは素敵だ。でも、誰もがそうやって強くいられるわけじゃない。それは、あくまであなたの愛し方だ。たくさんある愛し方の、たったひとつだ。

物事には言い方というものがある。新曲が自分の気に食わなかっただけで「今回、微妙」と切り捨てる言葉を見るのは、私だって嫌だった。彼らが全身全霊を捧げて創り上げたものを蔑ろにするような言葉に腹が立ったこともある。だけど、その人にとって「微妙」だったのは、それはもう私やあなたや誰かにどうにかできたことではない、ただの現実だ。

彼らが生き物であるのと同じように、ファンもまた生き物だ。気持ちがずっと変わらないなんてこと、あるはずがない。

好きだからって全部を受け入れられるわけじゃないでしょう。好きな人が好きになった頃と変わってしまったら、あの頃はよかったと思うことだってあるでしょう。友人が自分を差し置いて遠くに行ってしまったら寂しくなるでしょう。同じところにいたかったと願いたくなることだってあるでしょう。

そしてそれは決して今の彼らを否定していることと同義じゃない、と私は思う。

そうだ、私は昔の彼らが好きだった。変わりゆく彼らに、焦って、ぐちゃぐちゃした感情を抱いて、でもやっぱり変わってしまった彼らもやっぱり好きだと思った。だから今もこうして追いかけているけれど、たぶんそれは本当に偶然だった。私が彼らを好きでいられることは奇跡みたいなものだ。それを当然のように扱われたくない。

大体、少年らしい天真爛漫さで私に幸せをもたらした彼らも、どこか翳りのある儚い美しさで私を魅了している今の彼らも、大人なのか子どもなのかなんて、誰がわかるというのか。ファンが理解できるなんて、それこそエゴだ。誰も彼らのことなんか見えちゃいないんだから、そこに正しいも間違いもないんじゃないのか。

たぶん私の彼らに対する愛はそんなに美しいものじゃない。だけど、彼らのことが好きだ。それは確かだし、誰にも違うなんて言わせない。あなたが純粋に素敵だと思うものを、寂しいと感じてしまう人もいる。それだけのことだ。どう思うのが正しいかとか、正しいファンの在り方がどうだとか、誰かが決められるものじゃない。

置いて行かれたと寂しく思った私は、認めよう、確かに幼稚だ。過ぎ去りし青春に拘泥し、取り戻すことの叶わない煌めきに焦がれて嘆く、哀れな人間だ。それでいい。なんと思われたっていい。私だってその感情がエゴだってことくらいわかっている。だけど、私は寂しいと感じたのだ。感じてしまったものは仕方ないじゃないか。それが間違っていると断罪されたようで、私の感覚を否定されたようで、なんだか、どうしようもなく悲しかった。

これを書くのは、怖かった。投稿するのも、すごく怖い。手が震えている。まとまらない走り書きだ。呟いた方を責めたいわけじゃないんだ。だけど、いろんな気持ちがあって、いろんな愛があって、それの何がいけないんだ、って思う。