おめでとう

高校時代の親友の誕生日だ。めっきり連絡をとらなくなってしまった今でも、こういうのは忘れないらしい。もう、彼が親友という言葉を聞いて思い浮かべる相手は私じゃないんだろう。あの時は変わらないと信じていたものは、こんなにも簡単に別れてしまう。誕生日を祝うことももうない。それでいい。いいんだっけ。本当に?

過去の人間関係は過去のもの、と割り切って切り捨ててきたのは、ずっと死ぬ準備をしていたからだ。私のことを思い出す人が減るように、本当に死ぬと決めたときに私が思い出す顔が減るように。所属していたコミュニティから関わりを減らして、高校や大学時代に仲が良かった友人たちが未だに集まるのを見て覚える感情を無視して、私ひとりだけその輪の中から抜け落ちていくことに慣れようとした。そのうち誘われる回数が減ってゆくごとに安堵していた。またひとつ未練がなくなった、って。

自分で選んで断ち切ってきたくせに、今さら惜しくなっている。たった5文字を送るだけのことに、私の指はさっきからキーボードの上を泳いでいる。点滅する縦棒が「う」を飲み込み、「と」を飲み込み、「お」まですっかり平らげてから、またおめでとうを吐き出す。

でも、こうして繋ぎ止めたところで高校時代と同じ関係に戻ることはない。それがまた辛いんだろうなとわかっているから、いっそこのまま薄れたままでいる方がいいんじゃないかと思って、結局何も送らずにメッセージアプリを閉じる。もう私と彼の人生の線は交わらない。そんなの、よくあることでしょう。

ひとりで生きていくことを選んだはずなのに、今さら愛されたいなんて、愛される努力もしないでさ。

祝う時間は、まだ14時間残されている。