恋の翼を失ったので

恋とよぶにはいささか未熟な感情を、この数ヶ月ずっとひそかに抱いている。でも、その人との関係性に発展を望んでいるわけではない。望まない、といったら嘘になってしまうけれど、多くを望まずに今の関係を続けることの方が幸せなんだろうと思っている。他愛のない言葉遊び、親愛の情の確認、端末に降り積もっていく会話。幸せだということに、している。

運命だった、と今でも思う恋がある。付き合っている時もぼろぼろで、ひどい別れかたをして、お互いに傷ついた。記憶は美しいものだけを残すというけれど、それにしたって、楽しいよりも苦しいの方がずっと多い恋だった。でも、好きだった。一生一緒にいたいと願っていたし、馬鹿みたいに未来を信じていた。別れてから海の向こうで就職したその人は、最近転職して日本に帰ってきたらしい。もう違う世界の人だ。可能性なんてこれっぽっちも残っていない。それなのに今でも、あの人を超える人は絶対にいないと思っている。

まだ若いんだから大丈夫だよ、いつか素敵な人に出会えるよ、と誰もが口を揃えて言うのに辟易してきたから、あまりこの感覚を人に話すことはない。絶対にわかってもらえない自信がある。可能性から目を背けている、とかそういう話ではないのだ。蛇が空を飛べないのと同じくらいに、決まり切ったことなのだ。私はきっと誰も愛せないし、誰からも、私が望む形で愛されることはない。あの人に対して感じていたような気持ちを持つことは、きっとできない。誰に対しても、もうできない。

忘れようとしてほかの人に頼って、そうしているうちに気がついてしまった。恋人という名称のついた関係性で保証できるものなんて何一つないのだ。キスもセックスも、他人とするのは簡単だし。べつに、いい。片手間の恋愛なんかして誰かを傷つけるくらいなら、誰にも愛されない方がずっといい。私が愛せる人じゃなくちゃ意味がないから、恋人がほしいとも思わない。

うそだ。本当はめちゃくちゃに愛されたい。愛されたくてたまらない。空に憧れる蛇さながらに、けして手の届かないものに焦がれている。だから恋愛の話を書いたりなんかしているけど、そろそろそれも限界だなと思うことが増えた。空虚なのだ。とっくに消えた花火の光を必死に思い出したみたいな文章を、ひたすら書き綴ってきたけれど、もう思い出せなくなってきている。無理やりひねり出しても、納得できるわけじゃない。それっぽいものができるだけ。

恋愛もできない、結婚もするつもりもない、子どもなんて産みたくもない。そんな社会不適合なら、ひとりきりで生きた方がいい。いっそ山の奥の仙人にでもなってしまいたい、と思うことがある。でも、それは死にたいと同義だ。それじゃだめなのだ、私は生きることにしたのだから。それに、他者との関わりを一切持たなくなってしまったら、きっと文章は書けなくなってしまうだろう。それだけは絶対に嫌だ。物語には他者が必要なのだ。

運命の恋なんてものを、この期に及んでまだ信じているのだ。恋と呼ぶにはいささか未熟な、だなんて腰の引けた言い回しをするのは、なんてことはない、結局傷つきたくないからじゃないか。ああやっぱり運命の恋じゃなかったと思い知る日が来るのが、怖いからじゃないか。いっそひと思いに切り捨てられてしまったほうが楽だし、そうやってどうにでもなれと恋愛を模した自傷行為ばかりやってきたせいで恋の仕方なんて忘れてしまった。そうだ、これは恋じゃない。そう己に言い聞かせてやり過ごす以外に、私は自分の制御の方法を知らない。