正当な痛み

10年ぶりに自傷行為をした。この10年間も、波はあったけど衝動がゼロになったことはなくて、ただ時間が痛みを忘れさせていくうちに怖さの方が勝って、せいぜいカッターを持つところまでだった。やってみたら案外痛くなかった。全然。なんだ、そんなもんか、という感じ。まあ、痛くないのはだいぶびびっているからで、傷は全然深くならなかったし、血も思ったより出ない。それでまだ自分に甘い、とか思って傷が増えていくの、ヤバイんだろうなという感じはするけど、自分がヤバイんだって思っとかないと壊れちゃうので、これはやっぱり逃げ道なんだと思う。かすり傷みたいなのが9本。全然足りていない。こんなもんじゃ苦しんだことにはならない。

昔から自分を大事にできないタイプで、中学の頃に自傷を覚えた時も、それが変だとわかっていながら隠そうとすることはしなかった。当然のことながら直接的にそれに触れる人間はいなかったし、でもそういう話はすぐに広まるもので、まだ若かった担任は心底心配した面持ちで私を呼び出して「なにか悩みはある?」ときいてきた。その反応に、期待はずれだと思ったのを今でも覚えている。心配されたかったというよりは、気持ち悪がられたかったんだと思う。

大学の頃に大失恋をかましたのも結局、自分が愛されるに足る人間だと思えなかったからで、恋人のことは自分には抱えきれないくらい好きだったけど、その好きに耐えきれなくなって、愛されることにも耐えきれなくなってわかっていて浮気をしたし、そのあとに恋愛のマネごとみたいにいろんな人と遊びまくったのも形を変えた自傷行為の延長上だ。今はそういうのに付き合ってくれるような相手もいないからカッターに戻ってきただけの話。明日会社行けるかなあ。この傷、会社の人が見たらどうなるんだろうなあ。うちの会社は噂話のまわる速度がとんでもないから、きっとあっという間に広がって今までとは少し違う目線を向けられることになるんだろう。産業医への面談をすすめられるとか、休職を勧められるとかかな。そんなことを考えてちょっと愉快になっている。

苦しんでいるくらいが自分にふさわしい、という感覚を矯正することはできるのだろうか。隠そうと思うのなら太ももに傷をつけるとかやりようはあるのに、わざわざわかっていて手首にやっているのも、どうにでもなれという感覚が消えないからだ。どうでもいい。全部壊れちゃえばいい。そんで苦しんどけばいい。ずっとすまし顔できれいな文章ばかり綴ってきたけど、そろそろ化けの皮が剥がれてくる頃らしい。全然だめだ。