4月1日(木)

目覚ましが鳴る数分前に目が覚めた。会議がはじまるまでの間に、中村文則『銃』を読み終えた。やっぱり小説の読み方、楽しみ方ってわからないな、と思う。どうしても物語の中身よりも形、文体に意識が持っていかれるからだ。自分だったらどう書くか、という視点を排除できない。自分で文章を書くようになる前はそんなことはなかった気がする。ファンタジーやSFだと自分には書けないことがわかりきっているので素直に楽しめるのだけど、いわゆる純文学に分類されるような作品は、私にとってこの先物語を楽しむものたりえないのかもしれないと思う。すこしさみしい。もっとも、楽しくないわけではないので、これが他人の綴る言葉と私の関わり方なのだろう、と最近は思えるようになりつつある。自分には到底思いつかないであろう言い回しや文章の展開に殴られたような悔しさを覚えるのは気持ちがいい。

八時半から会議。今日は喋りはまあまあ。日中はあまり捗らなかったけれど、夕方に集中したおかげで今日やりたかったことは終わらせることができて、九時には自由の身になった。後輩がひとり、以前から時々会議の無断欠席がある人だったのだけど、最近その頻度が上がっている気がしてちょっと心配だ。在宅だとどうしてもケアがしきれないのが苦しい。私も自分のことで精一杯になってしまっているのもあるし、後輩との距離の詰め方は難しくて、どう会話していいのかわかりかねるところもある。

夕食は惣菜ですませて、三時間近くひたすらアニメを観ていた。Free! 、SK∞、約束のネバーランドを数話ずつ。図書館で本を選ぶときもそうだけど、私は何かを選択するときにほとんど考えない。目の前に並べられた選択肢から、なんとなく食指が動いたものに手をのばす。気まぐれに見えるその行為に、あとからなぜ今の自分がそれに惹かれたのかを見出すほうが好きだ。明確にそれらしい理由が見つかることはあまりないが、自分の気分のバロメータにはなる。殴られたい気持ちのとき、耽美に酔いたいとき、嬉しくなりたいとき、苦しくなりたいとき。Free!を選んだのは、しゃんとしたい気分だったから。3期3話の、オーストラリアでの凛の生活の描写はもうこの先絶対に忘れないであろうシーンのひとつだけど、凛を見ていると背筋が伸びる。ビデオテープならとっくに擦り切れるほど見ているシーンだ。でも今日はなんだかそれだけではもったいない気がして、1期の最初から見た。あいかわらず、心のやわらかいところにさっくりと刺さって、そこからじんわりと痛みが滲んでいくような作品である。ジノもそうだけど、凛も、肩を並べていたいと思う相手だ。胸を張って相対できる存在でありたい、と思う。SK∞は、意図せずFree!に続いて内海紘子監督作品だった。ふだんあまり監督を意識して作品を見ることはないのだけど、なるほど作風というか受け継がれる空気感というのがあるものだな、というのは続けざまに見るとよくわかって、ちょっと新鮮で楽しかった。ランガがスケートボードにのめり込んでいく描写がすごく良かったので、これはもうすこし続きを見てみようと思う。約ネバは5話まで見た。台詞回しが説明的に感じるところがあって、好みかと言われればやっぱり違うけれど、作画とか撮影効果の使い方みたいな視覚的な部分が好きなんだと思う。ふだんから平日にこれくらい栄養を摂取できるようにがんばりたい。