2021/8/15

朝方、警報音で起こされる。二度寝して、布団を出たのは午前十時。低気圧のせいか頭は冴えないけれど、よく眠ったからか体は軽い。コーヒーを淹れて、古いビッグイシューをめくりながら朝食(というよりはブランチか)をめずらしくちゃんと食べる。海老とアスパラガスのパニーニと、塩バターあんパン。生理がはじまって、気持ちの谷を過ぎたみたいだ。いろいろやってみようかな、という前向きな気分がすこしずつ自分を満たしているのを感じている。

昨日システムメンテナンスに阻まれて最後までできなかった企業型DCの運用割合変更とスイッチングをやった。調べていると、どこも20代のうちは多少リスクをとっても大丈夫だと書いてあるから、思い切ってぜんぶ株式につっこんだ。年末くらいにまた様子見をする。すこしずつ資産運用の雰囲気がつかめてきていて、私、おとなになってるんだなあ。

正午、歯医者。虫歯の治療は春には終わっていたのだけど、治してもらったところの詰め物がとれてしまったので、詰め直してもらった。散々予約をすっぽかしたり、電話が嫌なあまり予約を取り直せなかったりしてずいぶん長いことかかったけれど、これでようやく治療としてはおしまい。

午後、待ち望んだワクチン接種。会場の敷地に見事な百日紅の木があってよかった。雨の日は垂れ込める雲に鮮やかな紅が映えるから好き。図書館に寄って帰ろうかなと思ったけど、あんまり気分が向かなくてまっすぐ帰った。打つときはまったく痛みがなくて、ほんとうに打ったのか不安になるほどだったけれど、数時間してだんだん左腕が重くなってきている。母は接種翌日は腕が上がらなくて髪の毛を結べなかったと言っていた。

帰宅してからはシャワーを浴びて、この半年の支出を見返していた。昇給したのをいいことにこのところきちんと管理していなかったけれど、もうすこし節制して投資と貯金にまわしたいと思って予算を組み直した。あとは現金をちゃんと記録すること。

夕飯はモロヘイヤとトマトのスープ、惣菜の春雨サラダ、雑穀米。

午後十一時、仕事のことを考えていて憂鬱になったので仕事をした。不健全だけど、仕事の不安は仕事をすることでしか解消できないのだ。思ったよりも深入りして時間がかかってしまったけれど、その甲斐あって、金曜に終わらせていたはずだったことは片付けることができた。

社会が、世界が、日に日に壊れていくのを肌で感じるから、このところは記録するということについて、これまでとは違う方法をとるべきなのではないか、と思い始めている。私にとって、書くことはながらく逃避行動であり続けてきた。それはすなわち自分と、自分にごく近いひとびとだけに閉じた安全な空間の中に閉じこもる行為だった。世界の恐ろしいものから目をそらして、自分の手の届く範囲のことに向き合っていると安心できた。でも、それじゃあもうやっていけない、という感覚が、どんどん濃くなっている。今日はふだんよりも事実の記述に重心を置いてみたつもりだ。ほんとうは、これよりもさらに外の世界にフォーカスをあてたい。2021年のこの国で生きている私、を記録するために、何ができるか、どこまでできるか。終戦の日。言葉にすることも嫌だけれど、この国は、かならずまた戦争をするだろうと思う。それが私が生きているあいだのことだとしても驚かない。そういう壊れ方をしている、と感じている。もちろんそうならないために力を尽くすつもりではあるけれど、そういう、どちらにでも転びうる瀬戸際に今、立たされているんだと思っている。そういう危うい時代の記録がいつか意味のあるものになるんじゃないかと思うから、どこにでもいるようなひとりの会社員の女が、たしかに存在していることを残しておくべきなんじゃないかなあ、みたいなことをぼんやりと考えている。