2022/1/4

さぼりっぱなしだった資格の勉強をひと月以上ぶりに再開した。オンライン講義を視聴したあとに、ふりかえりの小テストを受けるのだが、点数がそこまで悪くなくてちょっと気持ちが上向いた。内容に興味があるかというと微妙なところだが、新しい知識が自分のなかにすいこまれていく感覚は好きだ。楽しかった。

昼、近所のパン屋で買い物。遠くから買いに来る人もいるくらいの評判の店なので、開店すこし前に行ったが15分ほど並んだ。待っているあいだ、シナモンロールの匂いがあたりに漂っていて幸福だった。なかでも人気なのが食パンで、値は張るのだけどとにかくおいしい。『昨日何食べた?』で、倹約家のシロさんが「食パンだけはうまいのを食うと安いのに戻れない」みたいなことを言う場面があったと思うのだけど、その気持ちがよくわかる。帰宅して、さっそくトーストで食べた。

昼食のあとは、正月休みでゆるんだ体に血をめぐらせるべく、一時間弱の道のりを歩いて植物園まで散歩をした。住宅街を歩いていると、そこに暮らすひとびとの生活が垣間見えてたのしい。バルコニーに垂れる色違いのチェックのふとん、煉瓦造りの豪華な洋館、懐かしさを感じさせるタイル地の玄関先、いろいろな正月飾り。道すがら、表札に春近さんという名前を見かけて、素敵だなと思った。晩冬の生まれだろうか。

植物園は、一昨年は頻繁に訪れていたけれど、昨年は足が遠のいてしまっていたのでずいぶんひさしぶりだ。もっとも、冬のこの時期に見頃の花はすくなく、閑散とした園内をひとまわりしてからは、日当たりのいい芝生のベンチで本を読んでいた。年末に自分への誕生日プレゼントとして買っておいてあった、斉藤壮馬さんのエッセイ集を読んだ。ひとつひとつの口当たりは軽くてするすると読んでいたけれど、とある一編に心臓を切りひらかれたかのような衝撃を受けてしまって、しばらく本を閉じて茫然としていた。私のことが書いてあったからだ。そんなことってあるのか、と思うくらい、はじめからおわりまで最近の自分に重なって、怖いのと嬉しいのと驚いたのとがいっぺんに来て、きらきらとした明るい公園で、ひとりで涙をこらえるはめになった。他者の創作物に自分を投影する、なぞらえるという、どちらかといえば能動的な共感なら、これまでにもさんざん経験してきている。でもあの一編は、そういうのとはちがう、私の内側をむりやり覗き込んで、内臓をひきずりだして文字に変換したものを、目の前にとつぜん差し出されたみたいな感覚だった。読んでいて痛かったし、直視できなかったし、いまも怖くて読みかえす勇気が出ない。彼の書く文章や、ラジオでの話しぶりを聴いていて、なんとなく自分と近いところの多そうなひとだなと思ってはいたけれど、そんなのはしょせん、自分に似ていてほしいというファンの願望だろうと思っていた。私、斉藤壮馬さんと友だちになりたかったんだと思う。

夕飯をつくって食べて(親子丼、豆苗のタイ風炒め、なめこと豆腐の味噌汁)、IDOLiSH7の4部をすこし読みすすめて、『南総里見八犬伝』の4巻を読み終えたところで、眠気がやってきた。