2022/1/17

起きたのは九時直前だったが、そのあとはそう悪くなかった。会議をいくつかこなして、ゆったりとやらねばならないことを片付けているうちに日が落ちた。会議があると時間の進みが早くて良い。

夕飯は残っていた塩鱈のスープ、それと茹でたブロッコリーと、卵焼き。食後に資格の勉強を1時間ほどして、そのあとはずっと本を読んでいた。伊藤賀一の『すごい哲学』を読んだ。「これまでイマイチ理解できなかった人も すぐにわかるようになる」とかいう副題(?)がついているところからしても、まず手を伸ばしたいタイプの書籍ではない。著者は予備校の講師として有名だそうで、なるほど聞くものの意識をつかむ授業をするだろうな、というのは読んでいてもうかがえた。ひらたくいうと、好みではない。おもしろおかしく語ろうとする軽薄さがうっとうしい。あとがきで著者自身が「とにかく最後まで読んでもらえることを意識して書いた」と言っているので、そういう態度も戦略なのだろうけれども、わかりやすさは求めていても、なれなれしさまで欲しているわけではないのだ。とはいえ、無学の人間がそんなぜいたくを言ってもしかたがない。知識を仕入れるにあたって、とにかくとっつきやすそうかどうかという観点のほうを優先したのは、ほかでもない自分である。そういうことなので、期待していた当初の目的は達成できて良かった。すなわち、自分が何も知らないのだ、というところに立ちかえること。

この数年、フェミニズムをつまみぐいしていたり、最近になって資格の勉強をはじめたりしているなかで、よく考えるようになったことがある。まなぶというのは、思考の轍を脳に刻みつけることなのだ、ということ。何度も同じ場所を歩いて踏みかためていくうちに、獣道だったものは、やがて草がすこし茂ったくらいでは消えないものになる。あたりまえといえばそうだし、これまでの自分のまなびを振り返ってみても、意識せずに実践してきたことでもあるのだが、何かを知ろうとするときにそれをリアルタイムで意識できるようになったのは、ほんとうにごく最近のことだ。

飲み込みが早いほうなだけに、表面的にわかったふりをしているだけのことがあまりにも多かった。それでもなんとか乗り切ってきてしまったけれど、他者へのごまかしはきいても、けっきょく自分のことは騙せない。物知りな自分を自分で信じ込もうとする滑稽さから目をそらしきれなくなってきて、ようやく開き直るところまで来たような気がする。

どこで撮ったのかもわからない風景写真のように、断片的な知識が脳のあちこちに散らばっている。それを結びつけるように道を引き直そうとしている。最初はきれいに舗装されていなくてもいいから、とにかく歩きとおすことを考えよう、と思った。入門書というのはシャベルみたいなもので、素足で踏みしめるよりも楽に道すじを見せてくれる。今日読んだのも、そういう意図で手にとった本だ。読んでいるうちに、場所によっては学生の頃に歩いたことがあるのを思い出した。なつかしさとともに、嬉しくなった。ずいぶんと長いこと手入れを怠っていたために荒れ放題になってしまった土地を、ふたたび開墾しようとしている。試験のためでも、誰のためでもなく、自分のためだけに自分がそれをやろうとしていることが嬉しいと思う。