2022/1/18

例のごとくぎりぎりまでふとんでまどろんで、朝の会議を終え、ぐずぐずと支度をして昼前に家を出た。一年半以上かかわってきたクライアントとの付き合いは今週でいったん終わることになっている。腹の立つことも、もう顔を見たくないと思ったこともたくさんあるけれど、世話になったのもたしかだ。感染症にたいする不安はあるが、顔をみて挨拶したいという気持ちのほうがまさって、けっきょく出向くことにしてしまった。

新幹線の中でアゴタ・クリストフ『悪童日記』と、マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読んでいた。第二次世界大戦下のハンガリーでの日々を少年たちの視点でとらえた『悪童日記』は、ちょうど最近読んだ、同じく枢軸国のドイツを舞台とする佐藤亜紀の『スウィングしなけりゃ意味がない』や、ソ連視点で描かれた逢坂冬馬の『同志少女よ、敵を撃て』と符合するようで、それが読んでいて楽しかった。内容はずしんと重かったけれど。それでも軽快であっさりとした文体だからするする読んでしまって、あとからじくじくと痛くなってくるような作品。続編があることを知らなかったので、それもいずれかならず。

マイケル・サンデルのほうは、たぶん学生時代に買った気がするから、五年以上手を付けずにいたことになる。哲学史のおおまかな概要をさらったばかりの今なら飛びつけるんじゃないかと思って、本棚から引っ張り出した(ほかにも図書館から借りているのがあるというのに)。とにかく思考の筋肉がないものだから、読んだそばからすっと頭に入ってくる、というわけにはなかなかいかないけれど、文中のあらゆる問いに対して自分ならどう答えるだろう、と立ち止まりながら読むのは楽しい。霧が晴れていくみたい。

大学生の頃もせいぜい課題に必要な最低限の読書しかしてこなかったし、会社員になってからは年に二、三冊読めるかどうか、というくらいだったのに、なんだか箍が外れたように活字への欲心が戻ってきていて、ちょっと拍子抜けしている。「読まなきゃ」と思いながらも思うように読めないことが、あんなにも苦痛だったのに、あれはなんだったんだろう。仕事が落ち着いていたり、他者との関係(不健全な恋愛とか)で消耗するようなことがなくなったぶんをまわせるようになった、ということなのだろうけど、読める自分にまだ慣れない。好きな声優がエッセイで書いていた、「また本を読みたいと思うことができて、嬉しかったのだ」という気持ちがよくわかる。嬉しい。これだけでじゅうぶん生きるのをやめない理由になる。浮かれているね。浮かれています。