2022/1/19

目を覚ますと、見事な朝焼けに迎えられた。午前六時半。この時間まで起きていることはあれど、この時間に起きたのはいつ以来だかわからない。同僚との待ち合わせは八時だったが、さっさと支度をして早めに出て、駅前のカフェで朝食をとりながら本を読んでいた。

いくつか会議に出たり、クライアントと会話したりしているうちに、穏やかに時間がすぎる。八時過ぎから仕事をしてしまうと、一日が長くてしかたがない。大きな問題もなく、午後六時前には客先をあとにした。さすがに一緒に夕食をするのははばかられて、同僚たちとも早々に別れる。

ホテルまでの道すがら、本屋があったので物色していた。サンデルのほかに恒川光太郎の『草祭』も持参しているが、サンデルはいつでも読める元気があるとはかぎらないし、明日の夜と帰りの新幹線のことを考えると、残り一冊では心もとない。軽めの文庫を一冊買うだけのつもりでいたが、どうせキャリーケースにはまだよゆうがあるからと、なんだかんだで三冊買ってしまった。

うち一冊、三浦しをん『愛なき世界』は、軽やかでやわらかな筆致に導かれてあっという間に読みきってしまった。生物学専攻だった人間として、植物を愛する人間のはしくれとして、植物学をめぐる物語に惹かれたというのもあるし、背表紙のあらすじを読むかぎりAロマンティック・Aセクシュアルの女性に恋する男性の話のようで、私はいずれの当事者でもないけれど、この時代にフィクションでそのひとがどういうふうに描かれるのかが気になって手にとった。装丁もきれいで好き。

私はバイロマンティック・バイセクシャルの人間だから、指向でいえば多数派に属さないものの、恋愛と性愛を欲するという意味では、まぎれもなく恋愛・性愛至上主義社会におけるマジョリティに位置づけられる。そういう人間が、当事者性のないセクシュアリティについての描かれ方を批評することについて、すこしためらう部分もある。私はAロマやAセクのひとたちに共感することも、それゆえにそのひとびとが経験する苦しみを知ることもできないからだ。それでも、多様な愛のあり方を望むからには、「恋を知らなかった女の子が恋を知りました、めでたしめでたし」と安直な恋愛賛美に回収されたり、恋をしないことを悪し様にとらえるような作品であってほしくない、と思った。誰かに恋されることも、恋することも、恋しないことも、なにひとつ悪くはないのだから、どうかそれらに誠実な物語であってくれ、そう祈りながらこわごわ読んだけど、上巻を読んだかぎり、丁寧に描かれている、という印象を受けた。タイトルの『愛なき世界』というのは、「恋愛以外は愛じゃない」という短絡的な考えに対する皮肉というか風刺であることは、読めばわかるだろう。やわらかくあたたかな光に満ちた作品だと思った。下巻も読みたい。

いっぽうで、大学院の選択に失敗して、半年で退学を余儀なくされた私にとっては、フィクションと割り切るにはあまりにも近いところにある物語で、読んでいて苦しいところもあった。ないものねだりとわかってはいても、別の研究室を選んでさえいれば、私にも手が届いたかもしれない世界だったのだろうか、と考えてしまう。答えは明白だ。たとえ環境に恵まれたとしても、自分はアカデミアで生き残れるタイプの人間ではなかった。だから、そんな感傷は無意味だ。それでも、学ぶことの魅力をこうもまぶしく書かれてしまうと、その楽しさを味わえないまま、学ぶ場所を手放してしまったことに対する未練がむくむくとふくらむ。学歴への俗っぽい執着というのももちろんあるけれど、自分が学びに値する人間でなかったことが悲しい。もっとも、差別主義者の巣窟みたいな場所だったから、あそこに身を置き続けることを拒んだことが間違いだったとは思わないけれど。

2週間ぶりに好きだった女の子に連絡をした。いつもどおりあっという間に返信がきた。まだ愛想はつかされずにすんでいるらしい。