2022/1/23

正午前に起き出し、劇団四季の配信公演『ロボット・イン・ザ・ガーデン』を観た。どこを切り取っても絵画のような美しさに満ちた舞台だった。専用劇場のような大掛かりな舞台装置がないなかでのあざやかな場面転換が見事だった。他者と一緒に生きていこうとすることの難しさ、なんてくくってしまえば陳腐な形容にしかならないのが悔しいけれど、向き合おうとする人間のままならなさみたいなものが愛おしくてぐずぐず泣いていた。私自身、同じ方向を向いてともに歩いてゆける相手としての「家族」を欲しているのだな、ということも思った。エイミーとベンのことが羨ましかった。ひとりでの生活に満足している、という言葉が嘘であったことはないつもりだけれど、やっぱりどこかさみしいのかもしれない。気になっているひとのことをすこし考えた。彼女といられたら楽しいだろうな、と思う。相手がどう思っているかは知らない。

そのあとは資格の勉強をした。一緒に資格の取得を目指している同僚と、計画に対してどれだけ勉強できたかという進捗報告を月曜に予定しているのだが、今週は出張にかまけてほとんど進めていない。あわてて取り返すべく、三時間ほど集中して詰め込んだら、すべての気力を使い果たしてしまった。冷蔵庫がいよいよ空なので、買い物に行こうと思っていたのだが、とても料理をするような気分にはなれず、作り置きをあたためただけの簡単な夕食ですませてしまった。それでも、前の日から胸につかえていたものはおおむね解消して、悪くない気分で眠りについた。

前の日からわだかまっていたもの、というのは、ひたすらソファのうえでヒプノシスマイクの舞台の一挙放送を観ていたら一日が終わったことに対する後悔の念である。仕事に追われているわけでもないし、そういう時間のつかい方をしたところで後ろめたいことはなにひとつないはずなのに、それでも心のどこかで、何もしなかったことに対して罪悪感をおぼえてしまっていた。これも生産性至上主義のもたらす悪だ。何かを成し遂げていなければならない、という圧力。前に進んでいなければならない、という強迫観念。