戦う理由(ヒプノシスマイク 6th Live "2nd DRB" 3rd Battle FP vs MTC 鑑賞後記)

ある日突然、心当たりのない郵便物が届いた。それなりにでかい。はて、ネット通販でなにか買ったっけな?と思いつつ開封したら、ヒプノシスマイク 6th Liveのブルーレイが友人から送られてきたのであった。ということで、観た。こんな状況でもなければ一緒に鑑賞会をしているはずだったのに!1stから観るべきなんだろうなと思いつつ、シブヤとヨコハマに心酔している人間としては、3rdから手を出してしまうのは不可抗力だった。すごく楽しかったのでキーボードにたたきつけていた感情を形にしておく。でもいろいろ書き散らしていたらライブの感想よりも曲自体についての感想のほうが多くなってしまった。他のディビジョンももちろんこれから大事に観る。

あまり人に読まれることを前提とした文章を書くの好きじゃないのだけど、多方面に展開する、ファンの規模も大きい作品であることをふまえて、これを書いているのはヒプノシスマイクそのものを好きになって数ヶ月程度で、ふんわりといろんなメディアをつまみ食いしている段階の人間だというのをことわっておく。先達が考え抜いた様々な解釈は、インターネットのうえにいくらでも転がっているけれど、ひととおり自分の言葉で落とすまでは他者の書いたものになるべく頼らないようにしたい、という気持ちのほうが強いので、自分の理解が浅いことを承知で、とりあえず書こうと思って書いたものがこれ。それから、斉藤壮馬さんのファンであり、幻太郎と帝統とシブヤディビジョンが好きという人間が書いているので、そのあたりの話題が必然的に多めです。なんかいろいろ言い訳くさくてだせーな!

■Opening

6ディビジョンのロゴが円状に並んで画面で明滅し、中央に中王区のロゴが現れるとともに開会のアナウンス。スクリーンに照射されるレーザーライトの形に沿って中央区のロゴが切り出される演出がすごくかっこよくて唸った。もともと舞台演出のなかでも舞台照明にとくに惹かれがちなのだけど、かっこいいレーザーライトの使い方はとりわけ大の好物。

■OP Medley

浅沼さん、銀髪似合うなあ。あと指輪がめちゃくちゃかわいい。白井さんはやっぱりすごい。私のなかで白井さんの顔と名前が一致するようになったのはIDOLiSH7の二階堂大和からで、そちらの低い声で聴き慣れてるので、乱数の声を聴くたびに「この声がこの人の声帯から……!?」っていまだに新鮮に驚く。

Glory or Dustはストリングスのつかい方がほんとうに好きで、たぶんオールディビジョン曲だとこれがいちばん好き……うーん、いちばんはHoodstar+かもしれない、でもそれと並ぶくらいに好き。聴くたびにインストの音源がほしいなあと思う。歌詞も全メンバーそれぞれ好きだけど、とくに「天に捲土すヒプノシスマイク」というリリックはいつ聴いてもしびれる。「捲土」は土を巻き上げる、土煙をあげる、みたいな意味で、捲土重来、という四字熟語からとっているのだろう(本来は単体で動詞として使われることはなさそう)が、これは新明解四字熟語辞典によれば「一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことのたとえ。」とのこと。ここでいう「天」は東方天乙統女であり中王区だろうと思うので、このたった1ヴァースで世界観を総括しているようなものだ。リリックを作れる人の頭の中っていったいどうなっているのだろう。余談だけど、このところしょっちゅう国語辞典がほしい、と言っているのは、ヒプノシスマイクの楽曲で知らない言葉や、知らない文脈で出会う言葉が多くて、自分の語彙の乏しさが悔しくて仕方がないというのが動機だったりする。

■Stella

幻太郎が作った物語を歌にした、ということになっている曲。二次創作ばかり読んでいるせいで、この設定はてっきりファンの空想だと思っていたら、公式だった。まだまだ知らないことが多いなあ。いずれにしても劇中劇的な位置付けの楽曲なので、ほかの楽曲とならべても異質だと思う。幻太郎が山賊、帝統が王、乱数が科学者。ふだんの三人とは真逆の配役、みたいな解釈も見かけたのだけど、三人それぞれに重なるリリックが散りばめられている印象のほうが強い。もっともこれは、楽曲発売当時よりも公開されている情報がいろいろと増えた状態で知ったからそう思うのかもしれない。弥之助さんは、どこまで知っていてこの詞を書いていたんだろう。

斉藤壮馬さんの低めの声が大好きなので、出だしの語りから勝ち。カメラがアップで抜くのだけど、舞台が暗いぶん、わずかな照明が瞳に映り込んで揺れるのが美しくて見とれた。そのあとに続く帝統ヴァースも好きだ。どちらかといえば帝統のフロウは疾走感に満ちたものが多いぶん、野津山さんのおさえめのトーンがより鮮烈な印象を残す。

帝統ヴァースの「死に至る猛毒」というのはキルケゴールのいう絶望のことかな、と歌詞を見ながら思った。キルケゴールは絶望を自己の喪失と定義しているから、王だった自分を失い(「遠のく王座」)、どう生きるべきかわからなくなっている(「生かされた意味をmeditate」)と考えれば、この解釈はとおる気がする。キルケゴールは絶望から人を救うのは信仰だ、と説いたひとだ。「死に至る猛毒とは」のあとのリリックは「理想の主張だ なればこそ人を説くようだ」と続くが、Stellaの世界の王様は、信仰は自分を救いはしない、という否定的なニュアンスで言っているように聞こえる。でもここを歌うのが、賽の神を信仰し、ギャンブラーとして自分の生き方を確立した帝統である、ということが、もしかしたら救いなのかも。そう考えるとFP結成時に「帝統は賽の神がいるほうに賭けるんだね!」と強引に帝統のチーム加入を作為した乱数は、けっこうすごいことをやっている。だってそれ、結果によっては、帝統が勝ち取った生き方そのものを奪いかねない賭けだから。でも帝統はそれをわかっていて、だからこそ乗ったんだろうなあ。そうそう、上から差すレーザーライトが檻を形どって、その内側に閉じ込められる照明演出が最高だった。

幻太郎のヴァースは、壮馬さんの声に力が入っていて、ああライブの良さだなあ、と思った。壮馬さん自身が熱を込めていたのももちろんあるだろうけれど、幻太郎は飄々とふるまうくせに熱しやすいところがあるひとなので、ライブだとこうなるよねえ、と思って嬉しくなった。壮馬さんのキャラクター解釈に絶大な信頼を置いている。「喉元を這いずるこの退屈を殺したいんだ  俺も奪い去ってくれメサイア」というリリックは幻太郎そのものだなあと思う。私は夢野幻太郎のベースは死にたがりだと思っている。キルケゴールの話をしたからそのまま引きずるんだけど、幻太郎は、そしてStellaにおける山賊も、有限性の絶望にとらわれているひとだと思う。乱数は幻太郎の嘘を優しさだと形容したけれど、彼の生きることへのモチベーションは他者(主に兄とよばれる存在)への愛情および責任感に起因するもので、けっして彼自身が生に執着しているわけではない。

帝統と幻太郎のヴァースのあいだも、そのあとの乱数のヴァースも、壮馬さんと野津山さんがまっすぐ前を見据えて歌っているのに対して、白井さんだけはずっと目を伏せたままだったのがよかった。「研究は気がつけば人の道を外れた」とか「真理の前には倫理の叫びなど枷になる」は、乱数が人道に悖る技術でつくられた被害者であることがわかっている今にしてみると、強烈な皮肉の効いたリリックだ。でも、この物語を作ったのが幻太郎であるという前提にすると、そういう乱数の正体をこのときの幻太郎は知らなかったはずなので、どういう思惑でこういう役を当てたんだろう、というのは興味深い。このアイディアをはじめに聞いたときの乱数、そうとう肝が冷える思いをしたのでは……。

初めて白井さんの視線が上がるのは、そのあとの三人の台詞の掛け合いのところだ。科学者が「叶うならいつか故郷が見たいな」とこぼした言葉は、きっと彼が生まれて初めて(あるいは、永遠に等しいほど長い時間ののちに)他者と願いを共有した瞬間、というか、初めて他者に本心を晒した瞬間だったんじゃないかと思う。現実に詞を書いたのが弥之助さんというのはさておき、ヒプノシスマイクの世界においてこの物語の骨格を作った幻太郎が、個々のリリックにどこまで深入りしているかはわからないけど、「乱数は本質が掴みづらい」としょっちゅう口にしていることからも、この部分は「いつかは自分たちに本心を見せてほしい」という乱数へのメッセージだよなあ、と思った。「なら決まりだ(=そこを探そう)」とこたえる王様に対して、「あるのかもわからない」と後ろ向きな返答をしていることからも、ひとりきりだった科学者にとって、願いとは常に叶わないものだったことが窺える。だから「この船がどこへ着くのか賭けてみないか」とふたりが呼びかけるのは、科学者の、そして乱数の願いをともに叶えようとする人間がここにはいるよ、ということを教える言葉だ。こんな愛に満ちた言葉があるのか、と思うとどうしても泣けてしまう。ここ以降、白井さんはずっとまっすぐ前を見て歌っていた。

この掛け合い以降の歌詞はどこをとっても美しくまぶしい。とくに乱数と幻太郎は、他者とのかかわりにおいて自分が間違い続けてきた、という罪悪感に自覚的な人間だと思う(乱数にとっては偽りの愛をふりまくこと、幻太郎にとっては嘘をつくこと)。それは彼ら自身の過ちに因るものではなく、不可抗力だったところもあると思うけれど、とにかく彼らは、正解だけの最短経路を歩いてこなかった(「軌跡は歪」)。それをも肯定して(「いつか過ちすら愛でよう」)三人で歩みはじめること、三人がそういう歌を歌っていることがこれからの三人のすべてだよ、と思う。2ndDRBでシブヤが優勝していることを念頭においてこの歌に立ち返ると胸が詰まる。でも、それは今だから言えることで、この曲のポイントは、やっぱり創作の形をとっていることだ。創作のなかで彼らは一緒に歩きはじめた。それは、この時点ではまだ作り物にすぎなかった。

■ピンク色の愛

白井さん、背格好も顔も存在する次元も乱数とぜんぜん違うのに、ほんとうに乱数がだぶって見えてぎょっとした。鳥肌。あと歌がうめえ。乱数は、幻太郎と帝統のことを信じようか迷っている期間がけっこう長かったように思う。というより、ふたりのことを信じたいと思っている自分を信じきれない(あるいはゆるせない)というほうが近いかもしれない。でも、この曲の終わりの「でも俺には仲間がそばにいてくれていたのさ」というところで、それまで白井さんに背を向けていた壮馬さんと野津山さんが白井さんのほうを振り向く瞬間、白井さんの顔がぱっと明るくなるのを見て、たぶん乱数の気持ちはとっくに先行しているんだろうなあというようなことを考えた。

あらためて歌詞を見てみて、フェミニズム的エッセンスのある詞だなと思った。「壁の前にとどまってるまんま」という詞で、「壁」が指すのは中王区と外のディビジョンを隔てる外壁のことを指すのだろうし、すなわち権力の暗喩でもある。私の生きるこの世界で、女性が男性中心社会に抗うにあたってのフェミニズムのキーワードに「連帯」や「MeToo」というものがあるけど、女性が支配するヒプノシスマイクの世界で乱数が言う「仲間がそばにいてくれていたのさ」は、まさにその連帯にあたる。女を捨て、家父長制を内面化することで男性中心社会で生き延びる女のことを名誉男性とよぶが、それでいうと中王区の手駒として動く乱数は、名誉女性的振る舞いをしていることになる。乱数は18名の主要キャラクターの中でも、左馬刻と並んで女性憎悪が苛烈に描写される頻度の高いキャラクターだと思っているけど(不特定多数の女性との恋愛も、女性憎悪に基づくものなのではという気がしている)、ひとりで戦おうとすると権力に媚びへつらうしかなかったのだ。それをふまえると、「壁の前にとどまってるまんま」というのは決して後ろ向きな意味合いではなくて、壁の外にいることを受け入れて、名誉女性的な生き方を脱ぎ捨てて、男性たちで連帯するようになった、という希望のある状態だと思う。だからね、男たち、ディビジョンラップバトルなんかやってる場合じゃ全然ねえのよ。連帯して革命を起こせ。赤旗を上げろ。私たちの世界でも、トランス女性差別に躍起になっている自称フェミニスト(彼女らは差別者であって私はフェミニストだとはみとめないが)が跳梁跋扈していることを思えば、それが容易なことでないのはわかるけど、被支配層の中でパイの取り合いをしようとすることが、間接的に家父長制(ヒプマイの世界では「家"母"長制」か?)への加担になるというのはそう難しい話ではないと思う。どうしてそれがわからないんだろうね。

シャボン玉のなかにスモークが入っている演出が凝っていて素敵だった。飴玉が浮かんでいるみたいにも見えるし、幻太郎の曲がはじまってからは花弁のようにも見えた。映像ではあまりわからなかったけど、壮馬さんが触れようと手を伸ばしたシャボン玉がちょうど触れる直前に消えてしまうという瞬間があったそうで、アフタートークで神尾さんがその儚さについて力説してくれていたのがありがたかった。

■蕚

幻太郎のことが好きなくせに、否、好きだからこそ、ほとんどろくに歌詞を見てこなかった曲。だって怖いじゃない、あの七面倒な性格の男の歌に向き合うの。あと、見慣れない言葉に相対する腹がなかなか決まらなかったというのもある。一行目の斑から読めなかったもの。雪がはらはらと降るさま、雪が薄く積もるさま、らしい。魚尾。袋綴とじの和本で、用紙の中央、各丁の折り目の部分にある魚の尾の形をした飾り。へええ。白状すると、曲名の「蕚」もガクだと思っていた。うてなというのは訓読みなのね。詞中にも「蓮の台(うてな)を分かつ」とあるから、曲名も「極楽往生した者の座るという蓮の花の形をした台」という意味でつけたのだろうと思うのだけど、精選版日本国語大辞典によれば「血筋、血統、同族」という意味もあるみたいだ。もちろん三人に血縁はないにせよ、「同族」というのを仲間という意味で拡大解釈してふくませていたらいいなあと空想した。異体字で萼というのもあって、どちらかといえばこちらのほうが一般的に使われる気がするけど、あえて「蕚」にしているのは、中の口の部首が三つだから?

というわけで、初めてちゃんと歌詞を読んだ。で、おぼえた感想は、なんだこの重たい感情のかたまりは……でした。しばらく放心した。ふだん嘘ばっかりついて飄々とかわしてばかりの男から、いきなりこんな熱量の愛情を向けられたら困るでしょうよ。焦げ死ぬよ。この歌詞、終始ほんとうにすごくて、読んでいると色が視界に流れ込んでくるようだった。

冒頭の白紙を嘘でごまかしてきた、というのは幻太郎自身のこれまでの人生そのものを示していると想像できる。Hoodstar+でも幻太郎はこの三人のことを「光の三原色」と歌っているし、シブヤの最初のチーム曲である「Shibuya Marble Texture -PCCS-」のPCCSも色相環を意味するものだし、シブヤが色彩を象徴する存在、というの受けて詞を見ていくと、真っ白だった幻太郎の世界が、乱数と帝統によって鮮やかに色づいていくのがわかる(「「交差しだす色の混ざり合い」)。泡沫とか空蝉というのは、Fling Posseの「刹那の」の意味をなぞらえた言葉選びだろう。「枷に引きずる足並ぶつまさき」も、枷はこの世界で男たちに課された負担のことか、あるいは彼らそれぞれが抱える過去や苦しみのことか、いずれにしても並ぶつまさきは三人分なのだ。ここを壮馬さんが歌っているとき、隣に立っている野津山さんがつま先を揃える仕草をしていたのがキュートだった。

「腕を引く薄紅色の風に舞う  賽も踊り追う」のところ、うなってしまった。幻太郎が乱数のことを「薄紅色の風」って形容しようとしたのかなと思ったら、ため息が出る。風という言葉からなんとなく連想したのが、ドラパ "Know Your Enemy Side F.P. VS M" で乱数が幻太郎の周りをうろちょろ走りまわっていた場面だったから、あのとき鬱陶しがっていたくせに、こんなきれいな言葉を選ぶのか、と思って。どこをとっても優美さのきわだつ詞だけど、幻太郎がふたりのことを美しい言葉で表現したいと思ったからこうなっているのだと思うと、愛しくてたまらない。幻太郎の世界の霞をとっぱらっていくのが乱数と帝統なんだなあ。

「合わせ鏡写す輪郭の影を辿る  避けたものを知る」というのは、「合わせ鏡」と「避けたもの」をどうとらえるかによって様々に解釈できる部分だ。私は「合わせ鏡」を「幻太郎から見た乱数と帝統」、「避けたもの」を「他者との、偽りを介する必要のない親密な関係」、ひらたく言うと「信頼」だと読んだ。そのあとの「縅を解く」は、縅が甲冑の小札を結びつけることを意味するので、甲冑を脱ぐとかばらばらにするみたいな意味合いだろうか。続く「孤独の克服」とあわせても、幻太郎が乱数や帝統に心をひらいたことを差しているように読める。そこからの「蓮の台を分かつ」も鮮烈だ。「蓮の台」は上述のとおり「極楽往生した者の座るという蓮の花の形をした台」だから、死後の世界のものだ。それを分かつ、分け合うということは、死ぬまで一緒にいましょうって言っているようなものじゃないか。重たい人間であることはわかっているつもりだったし、それを軽薄な嘘でごまかす不器用さにこそ惹かれたのだけど、思っていたより数倍粘度の高い男だな、夢野幻太郎……。さらに好きになった。この曲をこの先素面で聴ける気がしない。

なるべく自分で考えたい、と思っているし、できる範囲でそうしたつもりだけど、この投稿にはかなり影響を受けた。私がまったく読み取れていない部分までふくめて、ものすごい解像度で書いていらっしゃってすごかった。これを読んで幻太郎のことがもっと好きになれたし、私ももっと彼らに向き合いてえ!と思った。ありがとうございます。

パフォーマンスの話。イントロのHu~♫のところ、原曲よりも高めのハモリのキーで歌う壮馬さんが素敵すぎて心が溶け落ちた。友人が最近つかう語彙に「めろった」というのがあるのだけど、それ。壮馬さん、低音も好きだけど、やわらかい高音もきれいなひとなのだよね。声優とキャラクターは同一視したくないし、そもそもできるものでもないと思っているけれど、壮馬さんが歌いながら微笑む瞬間が、まさに幻太郎がここで笑うだろうな、というポイントをことごとく押さえていて最高だった。何度でも言うけれど、壮馬さんの演技の方向性、ほんとうに解釈一致でありがたい。好きなキャラを好きなふうに演じてもらえるというのは嬉しいことだ。演じているのが好きなひとなら、なおのこと。Stellaのところでも書いたけれど、ここでも壮馬さんの瞳が美しいなあと思っていた。悪趣味な言い回しで申し訳ないけれど、眼球の水分量が多そう。顔のオタクになりたくないとか言っているが、お顔立ちも好きなのでもうどうしようもない。ほんとうになんでもっと早く好きになってなかったんだろう、何もかもが好きだ。ウィンクについては言及するのが悔しいので何も言いません。くそう。アフタートークで駒田さんが(ときめいてしまったので悔し紛れに)「HIPHOPでウィンクかよ!」って舞台裏で叫んだという話をしていて笑ってしまった。ほんとうですよ。本人は「ぼく何かしましたっけ」とか言ってすっとぼけていて、にくい人。余談、歌にあわせて、原稿用紙に手書きの文字が綴られていくリリックビデオが後ろのスクリーンに映っていたのだけど、その手書き文字が大変美しくてよかった。ああいう字が書けるようになりたいなあと思いながら眺めていた。

■SCRAMBLE GAMBLE

冒頭、白井さん、壮馬さん、野津山さんの順でベーススラップを真似る動きをしているのだけど、野津山さんがしたあとにちょっと照れ笑いをしているのが可愛らしかった。それにしてもこの曲、難しい。死ぬまで歌える気がしない。野津山さんはラップが上手ですごいなあ。グーグルで曲名を検索すると、サジェストに「拍」と出てくる。拍とれないものね。これ書きながらあらためて野津山さんのインタビュー*1を読み返していたのだけど、もともと経験があったわけじゃなく、とにかく練習した、という話なのだから尊敬するほかない。帝統に重なるところの多い、あっけらかんとした人柄が素敵だなあと思う。

「それが必然でも偶然でもいまさら I don't care」の「それ」というのは、Fling Posseの一員であること、を意味していると解釈した。「必然」は乱数が帝統を加入させるために賽の目を手で動かしたことを差していて、あのとき帝統は「賽の神がいるほう(=偶然)に賭ける」という名目でチームに参加することを了承したわけだけど、それを今さら気にしない、ということは、乱数たちと共にあることは彼自身が選択している、ともとれるわけで。Stellaのところでも書いたけれど、帝統の生き方の中心におくものを失いかねない賭けを持ちかける乱数も乱数だし、それを受ける帝統も帝統。「溶けて無くなるcandyでも夢でも幻でもない」っていうリリックも、うまく言えないけど使い方がうまいなあと思う。ふたりを否定するようでいて、その実ふたりの存在を正面から肯定し証明している。

この曲にかぎった話ではないんだけど、帝統の才能はひとえに信じることだと思う。信じる気持ちがずばぬけている。彼が乱数と幻太郎に全幅の信頼をわたしてやっている(「神頼みも金稼ぎも今はお預け  この仲間にすべて賭けるぜ」)から、年長のふたりがそこに甘えてやっと信じ返せる、というのがシブヤの構図だと思っている。先日発表された2ndDRBの優勝イラストでも、王座に座る三人の一番土台にいるのが帝統だったのはつまりそういうことでしょう。彼がシブヤのハブであり核だ。

■シノギ(Dead Pools)

毛皮を着て深々と椅子に沈み込む浅沼さんの貫禄が壮観だった。王よ。「ハマにハマれば出口はないのさ  しつこく追うぜ」でカメラを目で射抜く神尾さん、まぶたをすこし伏せるのがすごく素敵。鳶色の瞳がきらきらしていてきれい。

■Gangsta's Paradise

浅沼さんの横顔シルエットが映る場面があって、鼻筋がきれいだなと思った。左馬刻のソロ曲でありながら、がっつり三人で歌ってることにしみじみした。歌詞を読み返しても、一瞬チーム曲かと錯覚するほど。左馬刻がふたりに心をゆるしているのだ、というのがよくわかる。信頼できない人間に自分の歌を預けるような男ではないだろうから。3DCGライブのときにも思ったんだけど、ヨコハマはちゃんと振り付けを合わせてくるところがめちゃくちゃかわいい。ところで、私は浅沼さんの眉間の皺が死ぬほど好き。

■Uncrushable

イントロがとにかく大好きな曲。ヒプマイ楽曲でイントロ好きダービーをやったら優勝するかもしれない。

銃兎は、良くも悪くもいちばん大人というか、自分が社会の中で生きる存在だ、ということをフラットに受けとめている人じゃないかなと思っている。大人というのはどう妥協するか、もっというなら、どう「よりよく」妥協するかを考え続けるものだと思っている。真の正しさなんて現実に達成されるはずのないものだとわかっていてなお、正しくあろうとすることをやめない人。そういう意味で銃兎の生き方に信頼を置いている。あれ、これもキルケゴールの話かもしれない。銃兎の選んでいる道を私たちが断罪することはできないなあといつも思う。わかるのは、彼は痛みを引き受けることを選んだ人だということだけ。『ベイサイド・スモーキングブルース』のほうは、"I'm a lonely only rabbit” という詞があったりして、まだ左馬刻と理鶯に心を預けているとは言い難い印象があったのだけど、この曲では「俺」よりも「俺ら」になっていたりして、ああ仲間になっているんだな、としみじみした。大事な人を失っているだけに、誰かを内側に迎え入れることにたいして慎重になっていた部分があると思うけれど、一度懐にいれた人間は甘やかす愛情深い人でもあるよね。「ほんとのgangstarは俺だけだ」というリリック、左馬刻をからかっているみたいな愛嬌があってかわいい。曲の最後、駒田さんが神尾さんと浅沼さんと笑みを交わしていたのが素敵だった。

■2DIE4

「そのために死ねる何か見つけてない人間は生きるのにふさわしくない」という詞、聴くたびに責められているような気持ちになる。命を賭してもいいと思えるものなんて、そうそう出会えないでしょう。理鶯と帝統が親密なのって、もしかしてそのあたりもあるんだろうか。理鶯は、一番情に絆されない人。信頼すら合理的な判断に基づくもの。裏切らない仲間、という詞があるけど、あれは私には信頼というより脅し、あるいは契約に聞こえる。左馬刻と銃兎に対して愛着がないわけではもちろんない(料理をふるまうのは彼の愛情表現だから)けど、その愛着は、お互いの利害が一致しているという前提条件が満たされたうえでしか成り立たないのではないかな、と想像してしまう。たとえば左馬刻と一郎が決裂したような状況が、ヨコハマでまた起きたらどうなるだろうと考えて暗い気持ちになってしまった。左馬刻に苦しんでほしくないなあ。

■Yokohama Walker

駒田さんと神尾さんが前を見ていることが多いのに対して、浅沼さんはそれはもうよく両隣の二人のことを見ている。それを眺めながら、いちばん情にほだされるのも左馬刻だし、いちばんふたりをひきとめておきたいのも左馬刻だな、というのを考えていた。左馬刻は自分の優位を証明し続けることでしか自分の存在を肯定することができない人で、それは左馬刻自身が望んでそうなったというよりは、そうするしかなかったのだと思う。だから、彼と対等なところにいられる人間というのはそういない。そういう数少ない存在だった妹も一郎も離れていって、ほんとうはもうひとりになりたくない人。銃兎や理鶯の存在をたしかめるように幾度も視線をやるのは、だから、左馬刻の愛情表現であり、彼なりの甘え方なんじゃないかなと思っていた。

■Shibuya Marble Texture -PCCS-

白井さん、歌がうまい。StellaとBlack Journeyが存在したあとの世界でこの曲を聴くと、よくできているなあと思う。「パレットの上よろめいていたい」とか「Daydreaming醒めそうにない」とか、あらゆる境界が曖昧でぼやけている。楽しいだけの、軽快でめんどうじゃない間柄。そういう曲。希薄で曖昧な関係のなかで、帝統の「俺ら賭けてるものの違い見せるFling Posse」だけが鋭く浮き上がるような印象を受ける。これまで書いてきたように、帝統の信じる才能がよくあらわれたリリックだと思う。ほかのふたりだったら歌えない詞だろうから。帝統はあまり意識していないけど、彼の信頼は純粋であるがゆえにすごく重くて、でも幻太郎も乱数も他者と深い信頼を築いてこなかった人間だからこそ、対帝統への一点集中でその信頼を受け止めることができるのだと思う。ふつうの人間があんな信頼をかけられたら潰れる。野津山さんがずっと楽しそうににこにこしていてかわいいかったな。

■Famme Fatale

この際だから言うけど、中王区が優勝って皆思ってるでしょ。名実ともに圧倒的強者、ひれ伏したい。兄に従順だった妹が、(本人の意思か疑わしいところはあるにせよ)こうして力強い言葉を発する側にまわっていること、フェミニズムを感じて好き。ヒプノシスマイクの世界における女性のあつかい方ははっきり言って気に食わないけれど、この曲があってくれてよかった。救い。山本希望さんのラップが大好き。

■HUNTING CHARM

浅沼さんが髪型をハーフアップにマイナーチェンジしていてグッときてしまった。男性のハーフアップが好き。浅沼さんは蹴飛ばすし、駒田さんは鷲掴むしで、カメラの使い方が最高に贅沢。炎の演出がこんなに似合う曲もない!シブヤの女だし、シブヤの曲が大好きだけど、ライブでいちばん聴きたいのは差し置いてぜったいこれだなあ。この曲について浅沼さんがインタビュー*2で言及していたのが良かった。

僕は今までヨコハマのことを「青い炎」と表現していたんですよ。イケブクロのように赤く燃え盛る炎ではない、静かだけど熱い感じ。でも、ここにきてついに真っ赤な爆炎みたいな曲が来たな、というのが第一印象でした。

「再生の前に壊すのが先」というリリックが攻撃的で大好きなのだけど、浅沼さんがこれをStellaへのアンサーだと言っていて、好きな解釈だと思った。

「再生の前に壊すのが先」というリリックは、シブヤの「Stella」の「再生のverse 流星に手を伸ばす」へのアンサーなんじゃないかと。僕、個人的に「Stella」がすごく好きなんですよ。脚本を書いている人間なので、ストーリー仕立てになっている歌詞世界にとても感銘を受けてしまって。それでここへきてあの「Stella」へのアンサー。

■Black Journey

HUNTING CHARMで燃え広がった炎を、静かに消していくような冷たさのある歌い出し。Stellaの最後で、あの曲はあの時点ではまだ作り物の物語に過ぎなかった、と書いたのだけど、乱数がちゃんとふたりを信じてみようと思えるようになったのがこの曲だと思う。Stellaがもはや架空ではなくなった世界。色の三原色を混ぜると黒になるからこの曲名なんだろうか、と思い至って胸が熱くなってしまった。おたがいに出会って色彩を知った三人が、ひとつになって黒に染まる。「I wannaだけで構わない旅路」「お前らしくないな、お前がお前じゃない?しらねえ、俺はおまえしか知らねえ」「We gonna be dirty」あたりのリリックが好き。どれも帝統のヴァースだ。帝統が引っ張っている曲だなあと思う。

「未知未踏へ、もっと先へ、先へ」で手を掲げる壮馬さんと野津山さん、そのあとに「知らなかった感情がこの胸を満たしていて」と歌った白井さんは声が揺れていた。「今はただこの旅をもっと、続けたいだけ」という乱数自身の言葉が、Stellaで科学者がこぼした「叶うならいつか故郷がみたいな」に重なる。やっと吐露できたもの。白井さんの感情を受けとめてか、そのあとの壮馬さんと野津山さんの熱量も凄まじくて、一瞬カメラとか配信ライブとかそういうをぜんぶすっとんだ忘我の境地まで三人とも飛んでいたんじゃないかと思うほどだった。

アフタートークで神尾さんが「シブヤは曲順がいい」って話をしてたけど、ほんとうにそう。

■REASON TO FIGHT

再登場のとき、野津山さんが白井さんと好戦的な笑みを交わしていたのが良かった。カメラにガン飛ばす浅沼さんも好き。壮馬さんと野津山さんの前に立って階段を降りてゆく白井さんと、駒田さんと神尾さん前にして後ろからゆっくり降りていく浅沼さんが対照的だった。ここに限らず、アフタートークで壮馬さんが話していたように、動のシブヤと静のヨコハマ、という温度の違いが全体をとおして映える舞台だった。駒田さん、縮尺まちがってるのかと思うくらい脚が長くていらっしゃる。

この曲、YouTubeのダイジェスト映像を散々観てたのだけど、大きい画面で見るとさらに味わい深くて最高!やっぱり大好きだった。全員気迫が凄まじくて圧倒された。

銃兎が幻太郎に向けた「今日の夢はきっとナイトメア  お布団かぶって泣いとけや」のリリック、夢野という名字をうまくつかっていて好きなのだけど、これに対する幻太郎の「小生は悪夢すらも美味しくいただく獏  ついでに兎も煮込んでぱくぱく」というヴァースも気の利いた返しだなあと思う。そのあとの「沈めてやる、結末は小生が書く」では、壮馬さんが向かい合った駒田さんから視線をいっさい外していなくて、ゾーンに入ってんな!と思った。勝手な印象だけど、壮馬さん、人の目を直視するのあまり得意でなさそうかなと思っていたので。

乱数ヴァースの「警官も軍人もヤっちゃうぞ」のところは、作詞のALI-KICKさんがインタビューでかなり攻めたと話していた*3ように、相当エッジの効いたリリックだ。ここでカメラに抜かれた浅沼さんが、それはもう険しい顔をしていて、思わず息を呑んだ。Yokohama Walkerのところで、左馬刻はもうひとりになりたくない人、と書いたのだけど、浅沼さんがまさにインタビュー*4で同じようなことを言っていた。だから自分をdisられるよりも、銃兎と理鶯を標的にされるほうがずっと頭に血がのぼるのだ。

左馬刻は昔Mad Comic Dialogueを一緒に組んでいた白膠木簓を失い、The Dirty Dawgのメンバーだった山田一郎と妹である碧棺合歓を失い、さんざん人に去って行かれてきたわけですけど、それなのにようやく巡り会った入間銃兎と毒島メイソン理鶯まで乱数は奪うつもりなのか! という怒りが湧いてくるんですよ。

野津山さんのラップが好きすぎる。「絆の強さが違うんだよ」の熱のこもり方にも心臓が焦がされそうだった。これもやっぱり帝統が言うことに意味があるというか、帝統の信じる力があるから絆の強さを現実にできているのだと思う。

■ED Medley

皆、気が抜けたというか肩の力が抜けたようで、楽しそうで良かった。観ているこちらもようやく一息つけた気分だった。神尾さんがくるっと一周回ってたのがキュート。壮馬さんの歌うCity's on fireが良かったなあ。SUMMIT OF DIVISIONではチーム入り乱れて一列に並んで、これだよ、男たちに必要なのは。ローカルVS中王区の精神を忘れないでくれ!ちょっとほほえみを浮かべながら手で銃を撃ってみせる浅沼さん、かわいい。

 

文章は後半ちょっと息切れした感じがある(Stellaと蕚にしぼりとられすぎた)けど、とにかく終始画面のこちらまで圧倒されるような魂のこもった舞台だったなあ。これを書きながら何度も何度も観たけど、全然飽きなかった。声優の出演するステージ、というものはやや敬遠してきたところがあったのだけど、なんだろう、なんか、掛け値なしに素晴らしい舞台でした。

書きたいこと、もっとたくさんあった気がするし、推敲もろくにできていないけど、ここで突き詰めようとしてしまうとたぶん永遠に形にならないので、半ば無理やりではあるがここで筆を置く。またすこしずつ咀嚼して、消化していきたい。ヒプマイのこと、こんなに好きになると思ってなかったなあ。楽しい。