2022/3/12

友人と渋谷で落ち合って、道玄坂の中腹、風俗店や無料案内所が立ち並ぶ細道の台湾料理屋で遅めの昼食。渋谷という街はいつ来ても心底嫌いだけど、自分には縁遠い種類の人々、この先もきっと交差することのないであろう人々に邂逅できるのは、たしかにこの街の魅力のひとつでもある。自分になじまない、この場所に私の居場所はない。だから居心地が悪いけど、その居心地の悪さを押してでも歩きまわりたくなる衝動にいつも駆られる。でもこれは自分とまじわらない人を眺める動物園みたいな装置として渋谷という街をつかっているわけなので、悪趣味だとも思う。自分のこういう悪辣さとどう向き合っていけばいいのだろう、ということを最近よく考える。黙ったまま清廉潔白な人間を装うこともできるし、たぶんそれが正解だ。でもそれって、けっきょく臭いものに蓋をしているだけじゃないか、と思う。正しくあろうとすることがおとな、という自分の言葉を信じてきたけれど、最近はそれを枷に思うことのほうが多い。正しくあろうと思うだけで正しくなれるわけじゃない、ということについて、もうすこし考えないといけないと思う。それにはまず、自分の中に邪悪が存在することを認めるところからはじめなくてはならない。でもこれはちょっと言い訳っぽいな。

目当ては、来週発売されるヒプマイのシブヤ・ディビジョン新曲の街頭広告めぐりである。センター街、円山町のホテル街にほど近い場所、それから宮下公園。どこも人通りはあるとはいえ、広告として目立たせる(もちろん目立つのだけど)というよりは、シブヤの3人の生活空間に溶け込ませることを意図したような掲出の仕方だと思った。歩きながら、視界の隅に帝統のモッズコートや、乱数の明るい髪や、幻太郎の着物の裾がちらりと映ったような錯覚を思わず幾度もおぼえた。彼らがここに生きているのだとわかった。そのことに胸がいっぱいになってしまって、嬉しくて何枚も写真を撮った。