2022/4/23

悪友と宝塚劇場にて宙組『NEVER SAY GOODBYE』を観る。物語は、第二次世界大戦の前哨戦となったスペインの内戦を舞台にしたもので、初演は十六年前。直接的に政治をテーマにした内容で、咀嚼しきれなかったところもあるとはいえ、このところ読んできた西洋思想史の知識が結びついているのがわかって嬉しかった。いっぽうで、ファシズムに傾倒した反乱軍を、人民軍の兵士たちがバリケードを築いて迎え撃つ場面があって、ウクライナのことを考えずにはいられなかった。今同じようにファシズムに抗わんとする戦争が現実におこなわれている中で、自分は舞台の上の戦争を観劇しているのだという構図が苦しくて、しばらく涙が止まらなかった。あとファシズムに抗うのはもちろん当然なのだけど、それを美談としてしまうことにはどうしても戦争賛美的な局面があるのではと思って、それに対する違和感は残っている。これはこの演目にかぎらず、エンタメ化した戦争すべてについて思っていること。

一年ほど前に『アナスタシア』を観てからというもの、芹香斗亜さんというタカラジェンヌに惹かれているが、この日はひときわ魅力的で視線がずっと吸い寄せられていた。ものすごく、ものすごく素敵だっただけに、ちょっと怖さすら感じた。演者が女性だけで構成される、という宝塚歌劇団のアイデンティティは、男のものだった演劇という芸術を、女たちのものにしたという点で大きな意味がある。他方、女が男を演じる以上、そこには強調された男らしさ・女らしさがついてまわる。男女二元論とシスヘテロ至上主義の強化は、歌劇団のその在り方ゆえに、けして避けてはとおれない課題だ。みたいなことは、きっといろんなところで論じられてきているだろうし、長年宝塚のコアなファンをやっている悪友ともしょっちゅうその話をしているが、あらためて観ていてその危うさに思いを馳せずにはいられなかった。観客の心をかっさらっていくほどの魅力は「男らしさ」という規範に裏打ちされたものだ。芹香さんの演じるヴィンセントという闘牛士は、ほんとうに格好良かった。故郷を愛し、恋人を情熱的に愛する、勇敢で好戦的な男、というキャラクターが、表情や動きのひとつひとつからよく見えた。そこから感じた気迫は、いっそ演技という枠を超えて演者自身がその男らしさを内面化しているのではないかと思ってしまうほどで、それが怖かった。

ほんとうならはしごして別の演目を観劇予定だったのだが、そちらは中止になってしまったので、午後は家に戻った。家事をすませて、数時間ほど仮眠をとり、午後十時半ごろに池袋へ向かう。筋金入りの映画好きである連れ(元恋人あらため)が誘ってくれた、マッツ・ミケルセンが主演の映画のオールナイト上映が目当てだ。作品は『ライダーズ・オブ・ジャスティス』、『残された者 北の極地』、『アナザーラウンド』の三本立て。眠くなってしまうのではないかと思っていたがまったくの杞憂で、スクリーンに視線が縫いつけられたまま、あっという間に六時間が経っていた(もっとも、さすがにまったく眠気を覚えないというわけにはいかず、途中で一度エナジードリンクを飲んだ。数年ぶりだ)。深夜にもかかわらず、座席は半分近く埋まっていただろうか。大学生とおぼしき若者から年配の人まで、客層もばらばらで、映画館で働くのがおもしろいという連れの言葉がわかるような気がした。おとなの遊び方という感じで、とても楽しかった。なかなか体力勝負ではあるけれど、これはまたやりたい。

午前五時、最後の映画を見終えて劇場の外に出ると、空はすっかり白んでいた。空腹に耐えかねて、中華料理のチェーン店で朝から天津飯の餃子セットをかきこんでしまった。もっとも、夜どおし起きていたのだから、体感としては夕飯である。連れは唐揚げ定食をほおばりながら、マッツ・ミケルセンの魅力を反芻しては相好を崩してばかりいた。午前七時前に帰宅した。布団に倒れ込んで、泥のように眠った。