2022/4/27

前の晩、どうしようもなく気分が沈んで何も手に付かなかったので、午後十時半には布団に入ったのだが、それでも朝八時半をまわるまで起き上がれずにいた。憂鬱な朝だった。この一年は調子が良かった、としょっちゅう口にしている。適応障害と診断された昨年の二月以降、ずっと上がり調子だ。もちろん気分の変調はある。それでも、社会に拒絶されているかのような激しい苦痛や、具体性をともなった希死念慮とは、この一年、無縁で過ごしてきた。なんてイージーモードだろう。それを手放しで喜ぶことができないのは、いろいろな副作用があるからだけど、その中のひとつに、自分の苦しさを受け止められなくなったことがある。私の苦しさの基準は死にたさだ。海のような広さの苦しみを一度知ってしまったら、日々のなかで経験する、どことない落ち込みなど点にしか見えない。縮尺がすっかりくるってしまった。海に行かなくてすむようになったなら、もうすこしズームしたいものだ。自分の苦しみがそこに存在することを、無視しなくていいように。

自己嫌悪や自己卑下の言葉は、自分に向いているようで、他者をも傷つけうる刃だ。私が他者に対してそう思うように、どこかに、私を見て「この人がそうなら、私はなおさらだ」と思う人がいないとはかぎらない。言葉は常に自分以外の他者に適用される。その範囲の威力を自覚しておかなくてはならない。私の苦しみを軽んじることは他者の苦しみを軽んじることに等しい。

//

半年前に手を離した仕事で侵したミスについて苦情を言われた。たしかに私が責任を持っていた領域のことだし、私が考慮しておくべきものが漏れていたから、その苦情そのものが理不尽なわけではないとは思う。今の自分からしてみたら、どうしてそんなことに気付けなかったのだと思うような初歩的な話であるのもたしかだ。だけど、わだかまりは残る。どんなにそれが愚かなあやまちだったとて、当時の私はその瑕疵に気が付くことはできなかった。それは故意でも悪意でもない。それを責められて、どうすればよかったのだろう、と思う。完璧な仕事をしようとは思っていても、完璧な仕事をできるわけではない。それが顕在化したときに、修復するためにこそ、私の後任の担当者がいるのではないか。クライアントに対して会社として謝罪する必要はあっても、社内の人間から刃を向けられることに、やるせなさを覚える。私のミスは、私のミスであって、私だけのミスじゃない。これは言い訳でしょうか。甘えでしょうか。ただの下っ端だったらそうやって開き直ることもできただろう。だけど、私はその仕事のチームリーダーだった。リーダーは、自分のチームの作業に責任を持つ立場だ。その私がミスをしたということは、リーダーを担えるだけの力が足りなかったということだ。かといってあの時ほかにリーダーをできる人間、いなかったしね。でも、じゃあ、リーダーは絶対に間違えちゃいけないんだろうか。そんなことは無理だ、人間なので。ならどうすればよかったのか。答えは簡単で、きちんと私の仕事内容の妥当性を評価できるレビュワーを用意すべきだった。それでいいよ、これが足りないよ、そういうジャッジをできる人が必要だった。五年目で実務経験のない、そこそこの頭の回転の速さとコミュニケーションスキルだけで乗り切ってきた人間にリーダーをまかせるなら、後ろ盾をきちんと用意するのは会社の、上司の義務だろうと思う。きみがリーダーなら大丈夫、は信頼じゃなくて放置だ。こんな不満はもう何度も味わってきているし、何度も味わう羽目になっているのは、そういうフェアなレビューをできる人間が上にいないからなので、上司に文句を言ったところで解決しないことも知っている(文句は言う)。「そのときの自分が精いっぱいやっていたなら、それは正しかったのだ」。二年目に上司に言われた言葉だ。そういう後ろ盾のない中で散々悩んで泣いて苦しんで体調崩したりしているうちに、いつの間にかレビューする側をできるようになりつつあることに、私は胸を張っていいのだろう。