諸諦念について

 祖母が意識を失って救急搬送されたという連絡を母から受けてから、しばらく仕事が手につかずにいた。結果的には何事もなかったのだが、もし祖母に何かあったときに自分がどういう感情になるのか、まったく想像がつかなくて、悲しむだろうととっさに言い切れない自分がひどく薄情に思えて動揺していた。
 祖父が亡くなった時にも、とりたてて悲しいという感情はおぼえなかったことを思い出した。そのことを、数年経った今になって悔いている。実家を出てからは祖父を見舞いに行くこともめったになかったし、たまに訪れても、ほとんど意思疎通はできない状態だった。話しかけてあげて、と親にうながされて二言三言発した言葉は、受け止められることなく宙に消えて、それが居心地悪くて苦手だった。たぶん、ほんとうに命の火が尽きるよりもずっと前から、私の中で祖父はいなくなっていたのだと思う。
 そういうことを、祖母に対してはしたくない、と今さら思う。ほんとうは、祖父に対してだってしたくなかった。今そんなことを言ったってどうにもならないけれど。
 祖母を大事にしたいし、喜ばせてあげられたらいいと思う。でも彼女がいちばん喜ぶであろう結末を、私は望まない。私が結婚や出産を経験せずにいることを、祖母は不幸だと定義し、それが唯一の心残りだという。それを払拭するためなら、嘘をついて夢を見せてあげるほうがいいのかと考えたこともある。でも、カントに糾弾されるまでもなく、そんな「接待」はしたくないのだ。それは相手を操作しようとすることであり、祖母の感情を、私への愛情を軽んじるものだと思うから。
 だけど、私の考えていることをわかってもらうには、私と祖母のあいだには隔たりがありすぎる。わかってもらいたいとも思っていない。わかってもらうための努力をしようと思っていない。そういう諦念の先に、それでも愛する関係を築くことはできるだろうか。そのやり方を、その日が来てしまう前に見つけられないかもしれないことが怖い。

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 高校の部活の先輩ふたりと飲みに行った。先日バンドの曲をきっかけにメッセージのやりとりをした相手が、別の先輩との約束に一緒に来ないかと誘ってくれたのだ。高校を卒業してから会った記憶はないが、およそ十年ぶりというのに、歳月はあまり感じなかった。もっと思い出話に終始するかと思っていたが、同世代の近況のうわさ話だとか、仕事の話だとかに花を咲かせているうちに三時間が経っていた。
 ふだん写真をほとんど撮らないくせに、なんとなく、先輩たちにかまってもらったことを自慢したいような気持ちに駆られて、別れ際に写真をせがんだ。先輩と仲が良いことは、高校生の頃の私たちにとってはちょっとしたステータスだったのだ。
 ふたりはつい先日も部活の仲間と顔を合わせたばかりだったそうだ。過去の話にならなかったのは、それがふたりにとっては過去で、ふたりの友人関係を現在のものとして継続できているからだったのだと、あとから合点がいった。
 私にとって人間関係とは、常に終わるものであり続けてきた。アメリカから日本に帰国することになったとき、中学受験をして小学校の同級生と離れることになったとき、そうして入学した中高一貫校を去って高校受験をすると決めたとき。別れからまもない頃はわずかに残る細い糸も、時が経てばやがて途切れる。私は忘れられることに慣れている。死のうとしていた頃は、みずから忘れられようとすらした。
 あたりまえに終わるものだと思っているものを継続させようとするには、かなり労力を要する。私が終わりを前提にした諦念にかまけて維持を怠っているあいだに、皆はきちんとつながりを切らさずに人間どうしの関係を営んできたのだと思ったらむしょうにさみしくなった。人間関係が終わらずに続くものだと信じられるのなら、「労」だと思わずにいられるのだろうか。