仕事の慣性

昨夜、十時をまわってから上司に会議資料のレビューをしてもらった。私が率いることになった新しいプロジェクトの初回となる会議だ。ベテランの同僚たちにたくさん意見をもらったり、部分的に資料作成をしてもらったりはしているが、作業計画を立てたのも、そこから資料の構成に落とし込んで考えたのも私だ。そういう自負があっただけに、かなりよくまとまっている、と驚きをふくんだ声で率直に称賛されたのは、かなり嬉しかった。この人の下で働きたいと思い続けている相手だからひとしおである。会議を終えてから思わず「よっしゃ!」とガッツポーズをした。

そこで頑張った甲斐もあって、会議の首尾は悪くなかった。大企業の部長や執行役員クラスを相手に対等に渡り合えるという手応えを得られたのは、かなり自信になった。もちろん私だけの実力ではないけれど、適切な相手に頼ることができるのもスキルのひとつであることに違いはないので、そういうところも含めて、自分の頭で考えて、自分の手で掴みとったものだ、という実感がある。初回でへたっているようではいけないのだが、プレッシャーから解き放たれて燃え尽きてしまって、そのあと数時間ほどはぼうっとしてしまった。ほんとうならそのまま仕事を終わりにしたいくらいだったが、翌日は午前中だけで会議が三つ控えているので、その準備だけはどうにか終わらせた。

十時過ぎに仕事を終えて、仕事モードが途切れずに、とどこおっていた友人らへの連絡をまとめて返した。返信したことで肩の荷が下りた感覚があるいっぽう、仕事の慣性の力を借りなければろくに友人とも連絡をとれないという己の習性が悲しくもある。仕事はやらねばならぬことだからやる。家事も同じだ。そして、仕事や家事以外のところに「やらねばならぬ」を持ち込むことに対して、私はものすごく強い抵抗を感じる。自分を捻じ曲げられることに対する抵抗感、何かを強いられることに対する拒否感なのである。私が愛したくて愛している友人たちを、仕事と同じ土俵にのせたくない。欲求と強迫観念の区別がこれ以上つかなくなるのが怖い。

そんなことを言いながら、そもそも日頃ほとんど人とやりとりをしない私にしてはめずらしく、返信すべき相手がたくさんいるのは、先日の部活の先輩との再会以来、ひどく人恋しくなって、ひさしく連絡をとっていなかった人に片っ端から連絡をとったからだ。すくなくとも会いたいと思ったから連絡したのだということを見失わずにいたい。その人たちが会いたいと思ってくれることも。そんな調子であっという間に年末まで予定が埋まりつつある。いずれも楽しみではあるが、ひとりで充電する時間もろくにとれなさそうなので、仕事の負荷が高いなかでやっていけるだろうかという不安もあり、泣く泣く幾つかの予定を断ったりもしている。それでもなお、いちばん会いたい相手には会いたいと伝えられずにいることが情けない。三十年生きてみたところで中学生の頃から何にも変わっていやしなくて、けっきょく嫌われるよりは忘れられるほうが良いと思っているところがあるのかもしれない。