ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.1 感想

ミュージカル『憂国のモリアーティ』 Op.1 を観たので、今日も今日とて好きな人のことを書く。

来年の2月にシリーズ4作目となるOp.4の上演が決まっていて、その上演決定を記念して過去作が期間限定で配信されることになった。今日がその配信初日で、つい半月前に転がり落ちた久保田さんが出演しているので、帰宅するなり脇目も振らずに観はじめたわけである。

久保田さんが演じているのは、一年ほど前にアニメを視聴した際に惹かれていたアルバートだ。キャラクターと中の人である演者を同時に好きでいることの難しさについてはたびたび言葉にしてきたが、今日は「好きな人が好きな人を演じていたらお得」という友人の言葉を思いかえしながら観ていた。そのふたつの好きは私の中で区別されるし、区別しておきたいけれど、好きの総和が大きくなるのは嬉しいことだ。終始アルバート兄様にめろめろに心を溶かされていたし、舞台のうえにいる久保田さんの佇まいがほんとうに好き。薄桜鬼の土方で感じた所作の美しさは、この舞台では貴族的優雅さとして存分に発揮されている。

舞台について。原作は未読なので的外れなところもあるかもしれないが、アニメを見ていて感じたウィリアムの危うさが、舞台ではより引き立って感じられて、その不穏さが良かった。かといって、押し付けがましい形でそれが提示されるわけでもないし。原作理解がそこまで深くないので、脚本については可もなく不可もなしという印象だが、そういう浅さの観客を置いていかない脚本になっているというのはありがたいことだ。

楽曲の伴奏はピアノとヴァイオリンの生演奏のみだが、この使い方が良かったのも嬉しい。楽曲の伴奏のみならず、ドアのノック音や開閉音もバイオリンを使うのが、ものすごく好き!あと伴奏の音の種類がすくないということは、演者の歌がよく聞こえるということで、この作品全体の難易度を上げている要因でもあるけれど、シンプルなぶん、安っぽさがなくて作品の空気感に合っている。楽曲の歌詞はわりと説明調なので好みは分かれるかも。私はもうすこし心情描写に寄った詞のほうが好き。メロディーはけっしてキャッチーではないけど、短調を基調として終始陰鬱な感じに満ちていて、観客におもねらない曲作りには好感が持てた。

演出は堅実だと思ったけど、ちょっと情報量が多いと感じないでもなかった。もうすこし削ぎ落とされているほうが、私は好き。投影映像とか別になくても、じゅうぶん情景は伝わったと思うし。特に2.5次元舞台のようにオリジナルがはっきりあるものは、観客の想像力、というか各々の中にある原作の光景に頼るくらいで良いのでは、と思う。現実世界の複製を舞台のうえに出現させるよりも、舞台のうえにないものをこそ、どう観客に見せるかというのが舞台演出のおもしろいところだと思っているふしがある。そういう意味で、『千と千尋の神隠し』の舞台は、美術の美しさを堪能したものの、舞台でしかできない表現というのとはすこし違って物足りなさを覚えたのだった。

アドリブのネタパートが異性装をネタにしていて最悪だったのがもったいない。異性装って別におもしろいものじゃないし、それを笑いに仕立て上げるのって差別的だし。というか、この作品にかぎらずだけど、メタ混じりのアドリブって必要?私は物語を物語として完結して見たいので、わりと批判的な立場。観客が笑うのありきみたいなところもなあ、と思う。コメディ舞台ならともかく。笑いどころの入れ方としては不自然ではないし、緩急の付け方は理解できるけれど、陰鬱な作品が最初から最後まで陰鬱であることが悪いとは全然思わない、というか陰鬱であってくれよ。これは個人の趣味です。

キャストについて。ウィリアムを演じる鈴木勝吾さん、とにかくずっと歌いっぱなしだが安定感がぶれなくてすごい。舞台を見ていて不安にならないというのは観劇をするうえでの最低条件なので、この人が主役を務めるのは納得の布陣……声の出し方が聞いていて気持ちいいので、来年2月に生で演技を観られるのを楽しみにしている。平野さんのシャーロックは、他者の感情の機微に敏感で、そのうえで芝居がかったおどけ方をする、暖色の印象がある人で、アニメで私が持っていたシャーロックの印象とはやや違ったのでおもしろかった(記憶がおぼろげだけど、私の中ではわりと冷徹によった寒色のイメージだった)。久保田さんの演技が好きだと確認できたことが何よりうれしかった!背筋がぴんと伸びた、凛とした人。権力に自覚的で、自身につきまとう力を忌まわしく思いながら、それを打ち壊すためにこそ、その力を積極的に利用するという腹のすわり方、それらを隠してそつなく社交界を渡り歩く如才のなさ。真意の読めない、底の知れない美しい男、を演じる久保田さんが最高でないはずがない。とはいえ、アルバートの心情に深入りする脚本ではなかったので、もっと見たい気持ちがいちばん強い。これはどちらかといえば鑑賞者(そして演者のファン)たる私の思い込みによる解釈かもしれないけれど、アルバートのまとう優雅さ、気品は、ウィルやルイスと同じではないような、もっと体に染み付いた呪いの色を感じられて切なさがある。この違いはどこからくるのだろうと考えていたが、ウィルが目を伏せたりして相手を弄するような視線の使い方をするのに対し、アルバートは対話相手の目をまっすぐ見据えるところにあるかもしれないと思った。相手を見つめるというのは、圧をかける行為であり、それをできること自体が為政側のふるまいだなあと思う。

全体をとおして、この作品の上演時にはアニメは放映されていないこともあって、原作との差分が気になるところ。2月までに原作も読みたい。2.5次元舞台って、原作キャラクターが演者の解釈・思考を通過して二次的なキャラクターとして舞台の上で生きることになるので、その演者内でのキャラクターの変換ロジックってブラックボックスで、何がどうしてこのキャラクターになるんだろう!?というおもしろさが楽しいんだよね、という話を先日友人としたばかりである。2作目は再来週、3作目は年明けに配信される。きっと1作目よりもさらにキャラクターが演者になじんでいるだろうから、アルバート兄様がどんなふうに生きているのか、今からすごく楽しみ。