2023/1/29

昼前に起きる。連れの希望で買ったものの、昨日の夜食べそこねたステーキ肉を焼いて食べる。牛肉はふだんめったに口にしないが、美味しい。あとは連れが勤務先からもらってきたコッペパンで卵のタルタルサンドと、ホットドッグとをひとつずつ作って食べた。昼過ぎに連れを見送り、布団を干し、掃除と洗濯をしているうちに日が傾いていた。

母の誕生日を祝いに両親と落ち合う。母が言うところの3度めの成人式、すなわち還暦である。20年前にがんと診断され、5年生存率がかなり低いと言われながらも寛解したと思ったら数年後に再発した。初診断の当時私は小学4年で、どれほどのことが起きているのかよくわかっていなかったが、以来母はながらく、死を身近なものと意識し続けてきたらしい。自分が長く生きられないと思っているなかで、娘の私が積極的に死を望んでいたことを、いったいどう思っていたのだろうと今になって思い至る。再発後の寛解からも、もう10年近く経つが、手術や放射線治療の後遺症はいまだにあるし、この先治ることもない。正直、今でも母のからだとどう向き合えばいいのかよくわかってはいないし、目をそらし続けていることに後ろめたさもある。それでも、10年、何もなかった。

お祝いは、都内の名店にて。目玉が飛び出るほどの高級店だったが、60年に一度のことだから、と母はしきりにはしゃいでいた。言葉にはしなかったが、たぶんこの日まで生き延びられたことへの喜びもあったのだろう。私を育てることに時間をとられ、病気にもなって、自分の時間がないまま死ぬようなことがなくて良かったと思う。母は今がいちばん楽しそうだ。父としょっちゅう出かけてはおいしいものを食べ歩き、酒を飲み、家でも趣味の料理に凝っている。SNSを通じて新しい友人もできているようだ。たぶん、おたがいもう必要不可欠な存在ではない。娘は、結婚をしたり孫の顔を見せてあげるみたいなわかりやすい幸福を与えることもできていないし、するつもりもない。親不孝と見る向きもあるだろう。だが、私が親にたいして一定の諦めをしているように、彼らも私にいろいろな諦めをしている。その線引きの先に、こうして美味しいものを一緒に食べに行く仲があるのなら、それはけして悪いことではないだろう。母にみずからの人生を楽しめる余裕を与えてくれたことくらいは、神に感謝してもいい。料理は文句なしに美味しかった。