2023/3/14

だんだん息苦しくなってきて、そういえば文章をしばらく書いていないことに思い至る。仕事が忙しくない分、腐るほど時間があって、すべてが間延びしていくせいで何に対しても意欲がわかない。思考が散漫でインターネットに漂うのをやめられなくて、自己嫌悪が加速する。集中力がめっきり持続しないので、本もアニメも進まなくてじれったい。何をしていたのかよくわからないまま毎日が終わっていくこと、生活が自分の支配下におけないこと、居心地が悪くて嫌な感じだ。

時間に余裕があるうえに感染症への警戒がゆるんできて友人との約束が増えたり、舞台の予定が立て続けに出たりして、それら自体は嬉しいことなのだが、とにかくずっとお金のことを考えている。もともと気の小さい性格なのもあって、このところの自分の浪費ぶりがだんだん怖くなってきた。アメリカの某銀行の倒産のあおりを受けて資産残高がみるみる減ったこともあって、ことさらに気が滅入る。何より、すべてを経済価値に換算してしまう癖がつくことで定性的な価値を味わう品性が自分から失われていく感じがして、急速に魂が貧しくなっているのを感じる。すなわちこれは、とっくに内面化している新自由主義・生産性至上主義を加速させる生き方にほかならない。資本主義にとらわれることは、人間を個人として愛することからもっとも離れることだから。というか、やはり大学にもう一度行くことを諦めきれていないし、舞台への出費をぜんぶ貯金にまわせたら学費がそう遠くないうちに賄えることを考えても、この生活をずっと続けたいとは思えない。

それはそれとして舞台のチケットは高すぎ*1だし物価も上がってるのに賃上げがねえのはなんなんだよと思うし、会社員になってから学びの場に戻るハードルが高すぎることにもむかついている。生きていくだけでも金がかかるのに、いわんや学びをや。私が学生だった10年前よりも状況は悪くなっているとはいえ、高等教育ってほんとうに高級品なんだなと、恥ずかしながら30を目前にしてようやく実感をともなって理解しつつある。学ぶことへのアクセスが悪い国は滅びゆくだけだ。何もかもがクソみてえな国に生きている。

3月も後半に入るけれど、ここから生活をこの手に取り戻したい。昼ごはん、ひいきにしているパン屋の食パンに、先日作ったトマトソースの残りとチーズをのっけてピザトーストにして食べたらひっくり返りそうなくらい美味かったのが良かった。

*1:制作する側に正当な対価が支払われてほしいとは思うので、やはり末端消費者の賃上げをしろというところに帰結するが