2023/3/17

夕方、友人と食事。以前食べに行って美味しかった店に行ったが、記憶よりも価格帯が高くて席についてからちょっと焦った。美味しかったので満足だけど、また金のことを考えているなあと思う。友人は転職を決めて有給休暇を消化中で、月末に韓国に旅行に行かないかと熱心に誘われて悩んでいる。行きたくないわけではないのだが、いまひとつ気持ちが乗らないでいる。ためらう理由はいくつかある(ここでもやはり金のことを考えている)のだけど、友人の誘いに素直に乗れない自分は、もしかすると友人のことを軽んじているのではないかと思えて居心地が悪い。もう3年近く海外に行っていないので、リハビリがてら誰かと行くのはいいかもしれないと思うのだけど。そもそも休みがとれるかという問題は別にして。

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母は、私の高校時代の友人の母親たちと食事をしたらしい。卒業して10年、子どもの私たちよりも、親どうしのほうがずっと仲がいい。その友人のひとりが交際相手と婚約したことはかねてから聞いていたが、結婚式の日取りを親から知らされるというのは存外落ち込むものだと知った。かつては親友だと思っていた相手である。一生敵うことはないと見上げ続け、それでも一番近くにいるのは自分だと執着していた相手でもある。粘度の高い感情は過去のもので、今の彼と私のあいだには現在進行形の親密さは存在しない、あってもきわめて希薄なものにすぎない。だから、別にいまさら文句を言うようなことでもないのだ。結婚式を挙げることになったときに連絡をよこしてくるような関係を維持しようとしなかったのは私である。そうわかっていても落ち込む己が憎い。

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薄桜鬼のアニメを最初から見返した。前に観たときには今ひとつおざなりになってしまって、印象も薄いままになってしまったのが惜しかったので、今回は向き合うぞ!と腹に力を込めて観ていた。ものすごく良いアニメだと思った。はじめからそのことに気がつけなかった自分に情けなさも感じるけれど、そう思えただけ良かったということにする。オープニングがすごく好き。全体的に平成初期の空気感はあるけれど、どのカットも格好良くて目が離せない。冒頭、羽織を着て、刀を腰に差し、額当てを着けて……と、身支度を整えて「新撰組の副長」の土方ができあがっていく様を見せられると、こちらまでその凛とした空気に背筋が伸びるような気がする。

映像の技術的な良し悪しはよくわからないけど丁寧に作られていると感じたし、話もおもしろいし、隊士たちはみんな魅力的に描かれている。ただ、私はやっぱり主人公である千鶴のことを好きではないのだとあらためて思った。私が見たいのは、どこまでいっても私の手の届くことがない、男どうしの物語なのである。ホモソーシャルに惹かれ憧れてしまう部分が自分にあるということは、取りも直さずミソジニーを内面化しているということでもあるよなあと、12話で千鶴に明確な嫌悪感が生じたことを自覚して思った。友人とも話したことだが、つくづく私は乙女ゲームの客ではないらしい。おまえは黙って『御法度』でも観ておけという話である。

ただの意地だけど、物語を作るということがいかに難しく尊いことで、私はもはやそちら側に行くことはできないのだと思い知ってから、物語に向き合うからにはその作品だけで思考を満たしたい、それがせめてもの誠実さだと思うようになった。ただ、これがなかなか難しくて、映画館や劇場みたいに物語から逃れられない環境はまだしも、家で映像を観たり本を読んだりしていると、気がついたらスマートフォンをさわってしまったり、ほかの用事を思い出したりして、途中で中断してしまうことがままある。そもそもインターネットに依存気味であることが大きな原因なのだけど、ともかくそのせいで、配信サービスの履歴では視聴したことになっているのに、私のなかで見たことにできずにいる作品がたくさんあって、薄桜鬼もそういうもののひとつだった。それに対してとれる対処法はシンプルで、スマートフォンを物理的に遠い場所に置いておくしかない。もっとも、それでも他のことに気を取られて集中できない時はあるし、それならもう諦めるしかないのだが、今回はちゃんと作品を咀嚼できたという手応えがあって嬉しい。作品と向き合うにも胆力が必要なので、些細なことに消耗させられたりしている場合ではないのだよね。愛するものに視線を向けていようと思う。