2023/4/1

早番の連れを送り出し、二度寝したら案の定寝坊して、目が覚めたときには10時をまわっていた。慌てて飛び起きて、5分で着替えて家を出て電車に飛び乗った。どうにか開演直前にすべりこんで、自由劇場にて劇団四季『ジョン万次郎の夢』を観た。観ようか迷っていた演目だったが、幕末ものということもあり、友人の後押しもあってつい先日チケットをとっていたものだ。

まあ、幕末といっても、ペリーもまだ来航していない頃にはじまり、アメリカとの条約締結を経てすこしずつ鎖国が解けはじめ、幕府の統治の揺らぎが兆しているくらいで、維新までには間がある頃の話である。

難破した万次郎たちをアメリカの捕鯨船が見つけて、言葉がなにもわからないなかで万次郎がホイットフィールド船長と意思疎通を図ろうと必死になるところ、"Nice to meet you"を「内密に」と聞き違えたりと、空耳アワー的笑いどころとして演出されているのだが、めのまえの相手を理解しようとするひたむきさに胸を打たれてめちゃくちゃ泣いてしまった。中盤にも、笑いどころとして、幕府の役人が万次郎の経験してきたものの話にまったくついていけない場面があったのだが、その滑稽さがかえって物悲しく、本人たちのあずかり知らぬところで世界が変わっていることの切なさ、必然性にあらがえずに時代にのみこまれてゆくときの人の無力さを見てしんみりしてしまったりもした。

いささか単純化された図式が気になった(ファミリーミュージカルと銘打っている以上、子どもにも話の流れがわかるようにするために仕方ないのはわかる)のと、全体的に突出した魅力を感じたわけではなかったのだけど、このところその時代にまつわる作品や資料に手当たり次第に触れていることもあって、観終わってからもいろんな考えがぐるぐる頭を渦巻いていたので観て良かったと思う。

観ながらずっと、歴史を変えるのはいつだって「今」を生きている人なのだということに思いを馳せていた。というよりこれは、幕末のことを知るようになってからずっと考えていることである。

中高生時代に得た歴史の知識があるとしたら、近代史のなかでとくにこの国の転機になったのが明治維新と第二次世界大戦である、ということだ。転機というだけに、それらの出来事を経て、この国は生まれ変わったのだと思っていた。すなわち、それまでとは別の、過去の文脈を断ち切った、まっさらで新しい世界になったかのような印象を持っていた。でも、あらためて大人になって近代史を学んでみて、その認識が誤りだと知った。思った以上に私の生きるこの社会は、明治の頃から連綿とうけつがれてきたもののうえに成り立っている。そして明治のベースには江戸が、江戸のベースには戦国時代がある。地層のように降り積もった時間のうえに今の社会があって、すべては過去の帰結である。

未来を生きる立場から幕末を見る時、維新がなされるまでの経緯の暴力性や、後に「作られた」国が現代に引き継ぐ歪みを考えると、維新志士とやらを肯定的に思う気にはなれない。ただ、彼らから私が学ぶことがあるとすれば「自分が社会を変えるのだ」という意識だろうと思う。どんな社会になってほしいかを思い描くこと、それを実現するために自分が動くこと。

最近になって、社会は変化するものだという実感が湧いてきた。WW2の終戦から80年弱、日本は変わらずに平和な社会ということになっている。戦争や暴力というのは、変化をおこすためのラディカルな手段だ。反面、平和とは変化の薄い状態といえる。でも、ゆるやかなだけで、変化していないわけじゃない。実際、私が生まれてからの30年弱でもずいぶん様変わりしている。だから、明治維新やWW2だけが転機だったわけではない。それらは変化の加速度が瞬間的に大きかった時期だったというだけにすぎないのだ。

明治維新や大戦をはじめとした、ドラスティックな変化ばかりにフォーカスをして歴史としてあつかうことは、それ以外を相対的に無変化の時代として見ることを許してしまう。私たちが生きるのは、まさにそういう「相対的に無変化な」社会であり、「変化後」の社会だ。そういう場所で生きているという意識を持ってしまったら、変化をおこすのが自分たちだという意識が希薄化するし、すなわち社会参画への積極性は損なわれていく。ゆるやかな変化、暴力をともなわない変化の存在が、そしてその方法がいくらでもあるということも、もっと知られなくてはいけない。

現状に満足しているというならいざしらず、私はここがけっして理想の社会ではないと思っている。資本主義社会は、金銭的な階級制度におきかわっただけだ。人間はまだ平等を知らない。でも、私は平等な社会がほしい。誰も取り残されない社会になってほしい。なのに、じゃあそのために何かをしたか?社会の変化の加速度を、暴力に頼らない範囲であげていかなきゃいけない。そのために何ができるだろう。演劇を観て終わるなよ。考えて終わるなよ。言葉にして、終わるなよ。生き様を変えろ。

//

帰宅して、家事をして、ネイルを新しくしに行って、買い物をして、包丁を研いだ。筍が安くなってきたので買ってきて下茹でをした。連れが来るときに炊き込みご飯にするつもりだ。包丁は笑っちゃうくらいよく切れるようになって、おもしろくて料理がはかどった。もっと定期的に研ごうと思う。