2023/7/7

内省的な文章を書く自分のことが好きなのは否定できないけど、もうすこし欲望に忠実なところも残してもいいよなって気持ちになっている。今までそういう側面はツイッターに担わせてきたけど、脱ツイッターの一歩目としての試み。どうせほんとうにサ終するまでツイッターでも同じことはやるだろうし、ここがツイッターの編集版再放送になっているのも今にはじまったことじゃないんだけど。

ŹOOĻが単独コンサートを開催するならセットリストをどうしたいか、という話で、友人はRIDINGからおしゃれに始めたいと言っていた。私だったら、AメロとBメロがカットされたアレンジ版の"Imperial Chain" で、イントロのあとにいきなりサビ直前に飛んで始まるのが見てみたいなと考えていた。 "Only we can manipulate that" で真上からのピンスポでぱっとステージの4人が照らされて、「帝国の幕開け」で赤基調に明転するんだ。コンサート会場は彼らの帝国だから。でもAメロカットしちゃうとトウマくんのかっこいいラップパートも削れちゃうので、これはけっこう悩ましい問題。2サビの入り「わきあがる感情を」では火柱が吹き上がってほしい。私は基本的に吹き飛ばされたいという願望が常にある。

インチェのカップリング曲のMurky Oathも大好きなんだけど、これってほぼヒポチだなあといつも思う。Back It Upと同じタイプのぶち上げ曲。ヒポチ曲といえば、私は言行一致をトウマくんに歌ってほしい……。と考えついてしまって、自分で想像したものに興奮しすぎてしばらく茫然としてしまった。

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ヒポチとŹOOĻ、相性がよすぎる。2020年のオンラインコンサートINCOMPLETEのヒポチステージの衣装が大好きで、あれを着たŹOOĻも観たい。もふもふのフェイクファーのショートジャケットを着たはるちゃん、豹柄のロングコートのとらとら。どんなに願っても叶うことがないのが悲しい。

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近々悪友たちと『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観に行く予定があって、キャストを確認したら俄然楽しみになった。(できる範囲で)予習をする、という先週の自分の決意に忠実になるべく、楽曲を聴きながら歌詞を読んで、インターネットに転がっている解釈や感想をいくつか読んだ。そのなかにものすごい量の資料に裏打ちされた濃密な解釈記事があって、身のほどを知らない敗北感を覚えている。私はこの強度では思考できないとわかっていて、でもそれが悔しい。聖書、枕元に常に置いてあるのにずっと挫折したままなんだけど、また読もうかな……。

ついでに関連文献として太宰治の『駈込み訴え』も読んだ。原典(聖書)よりも先に二次創作を読みがち。これ、こんなにも私の性癖を煮詰めた作品だったっけ?読みながらずっとにちゃりとした笑顔を浮かべっぱなしだった。人と人の関係性に萌えを見出す習性を自覚したのってここ6,7年の話で、それ以降に読んでいたら忘れるはずがない。ということは高校生くらいだろうか。でも高校生の私も零崎人識と匂宮出夢に情緒をかき乱されたりしていた気がする。同じく西尾維新の戯言シリーズを嗜んでいたクラスメイトが先に読んで、やばかったよと予告されながら読んだら、ホームルーム教室(ベランダにいたんだったか、そのとき窓際の席だったのか、とにかく窓が近くにあったことをおぼえている)で号泣する羽目になり、クラスメイトに大笑いされた記憶がある。その頃からままならない関係に惹きつけられる素質は持っていたらしい。その同級生とは別の大学に進学して、時々遊んだりしていたけど、私が体調を崩して鬱々としたつぶやきを連投していた頃に「まだ厨二病やってんのかよ」って嘲笑されたことに傷ついて(もともと皮肉屋で素直じゃない人だったからまるきりの悪意ではなかったんだろうが)縁を切った。いまだにおぼえてるんだからけっこうショックだったんだろうな。でもそれなりに好きだったから、どうしてるかな、と時々思う。

JCSと『駈込み訴え』が好きな人って、ブラッドリーとネロも好きだと思う。愛情と裏切りが同居する関係が好物。そういえば昨日、過去の自分の日記を読み返していたら、自分の嗜好をあらわす熟語3つとして「不理解・諦念・惰性」を挙げていて、そういうところは一貫してるんだなとおもしろくなった。

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夜は連れと。ラタトゥイユ、安売りの肉でステーキ、茹でとうもろこし。夜、ベランダで空を見てみたけど、曇っていて天の川は見えなかった。