2023/12/3

一歩も家から出まい、と決めていた日。おもいっきり寝坊するつもりだったのに、起きたら意外にもまだ10時半。コーヒーを淹れて、マロンカンパーニュ、チーズパン、レバーペーストを塗ったトーストでブランチ。満腹になったら簡単に眠くなって、今度こそ昼過ぎまで寝た。ふたたび目が覚めてからは、ジョジョ1部を3巻読み切った。

15時過ぎになって小腹が減って、昨日豆腐屋で買った麩まんじゅうをおやつに、NHK『魔改造の夜』を観た。今回のお題はホームベーカリーのパン食い競走で、毎度ながら考えつく方もすごいなあと感嘆する。デザイン性度外視で、最低限の要件を満たして着実に成果を出すCネンタルと、クオリティの高いものを追求しようとするT芝の対比は、私自身が仕事でたびたび味わう外資と日系の企業特性の違いが如実に見えておもしろかった。

そのあとは、ちょうどやっていた競馬の中継をしばらく観ていた。GIのチャンピオンズカップとラピスラズリステークス。折しもちょうど名馬の引退が発表されたところで、番組ではその話が持ちきりだった。引退したあとの種付け料が目の飛び出るような金額になっていて、ドン引きしてしまった。ど直球の優生思想、人間だったら考えられないことがふつうにまかりとおっているのが怖い。馬は美しい生き物だ。走る姿にもどうしたって惹かれてしまうし、競馬場への興味も正直ないわけではないのだけど、動物愛護のことを考えるとどうにもなあ、とは思う。連れはライトな競馬愛好者だが、いつかこういう話もできるようになるだろうか。

日が暮れて小腹がすいたタイミングで、昨日母からもらったフィレ肉をステーキにして食べた。環境負荷の高さを考えると積極的に食べたいものではないし、価格を考えたときにそこまで食べたいほど好きなわけでもないのだが、たまにこうして食べるとやはり美味いなと思わされてしまう。肉好きの連れは嬉しそうだった。もらってしまったものは仕方ないし、まあ、退院祝いだしな、と自分の中で折り合いをつける。

時間があったので、いずれ観るつもりだった『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』のディレクターズカット版を観る。190分。公開版は113分なので、かなり増量されている。前回初めて観たときからは1年近く経っているので、どこが増えたかわかるだろうかと不安だったけど、見覚えのないカットというのは、案外それとわかるものだ。イェーガーとイヴシュキンの関係性には初見のときから萌えをかきたてられて大変だったが、追加カットではイェーガーがイヴシュキンに心をゆるしたような笑顔を見せるシーンが入っていて、思わず叫んでしまった。

好悪で言ったら、生きてきたなかでも片手の指に入るほど好きな映画だ。たった1度観ただけなのに、それから1年、イェーガーの眼光の鋭さを何度も思い返していた。それほどに心を奪われたのだ。そんな映画はそう出会えるものではない。

同性愛に対する差別の根強いロシアで、ここまで描ける作品が存在しうるのかと思わず感嘆するほどに、イェーガーのイヴシュキンに対する執着には性愛めいたものが含まれるように思える。ホモフォビックであること、女を勝ち取る商品として扱うこと。このふたつがホモソーシャルの特徴だ。事実、追加カットではイェーガーがアーニャに求婚するエピソードが追加されていた。求婚の動機はあきらかに、アーニャと相思相愛のイヴシュキンから彼女を奪うことで、イェーガー自身がイヴシュキンよりも優位に立ちたいというところにあるのだろうから、お手本のようなホモソーシャルである。ところが、そのホモソーシャルの純度をかぎりなく煮つめた先に、本来は彼らにとって拒否の対象となるはずだったホモセクシュアルな欲望に結果的に寄ってしまうというところまで、この映画はかなり意図的に見せていると思う。そういうある種の「危うさ」とでもいうか、本来望んでいないはずのものに引き寄せられてしまう、人間の中に存在する撞着が垣間見えるのが好きだ。くわえて、出会い方が違えば親友になれたかもしれないはずの男たちが、おたがいにしか通じ合えないものを持ちながら、それでも憎んで執着して殺し合うという構造にも、たまらなく萌えてしまう。ただ、この物語が実在する殺戮のうえに成り立つことを、どうやって受け止めればいいのかわからない。この作品を好きで惹かれてしまうことに、おおげさでなく消えてしまいたいくらいの罪悪感がある。

去年観たのはウクライナ侵攻がはじまって半年ほどの頃だった。ロシアの国威高揚のプロパガンダ的側面のつよい作品であるだけに、自分がこの映画に惹かれることが、どこかウクライナへの侵略を肯定することにもなるのではないかと思って、当時も苦しかったのだが、2度目の今回は、そのうしろめたさが薄れていて、そのことにぞっとした。慣れてしまっている。

好きだと思うべきじゃない、言うべきじゃない。だけど、好きじゃないことにしてしまったら、自分の加害性も存在しないことになってしまう。認めること、自分の内側にゆるされざる感情があると知ることからしか反省ははじまらない、と思うからこうして言葉におこす。私はロシアのウクライナ侵攻に当然反対だし、ナショナリズムを拒絶する。この映画の存在を賞賛できない。戦車や殺戮が物語のなかだけで存在する世界を望む。この映画が好きだからこそ、そこも一緒に残していかないといけないと、強く自戒する。

見終えたら日付が変わりかけていた。残っていた2日目のおでんを食べて酔っぱらって就寝。