2023/12/4

午後6時半すぎに仕事を切り上げ、適当な格好に着替えて家を出た。ほんとうならもっと早く出て、連れと一杯飲んでから映画を観る算段だったのに、そんな悠長にしている時間はなくなってしまい、マクドナルドで腹ごしらえをしようかと連れが言い出した。親イスラエル企業にお金を落としたくない気持ちはありつつ、映画の時間を考えるとそれ以外の選択肢はないように思えた。すっかり空腹だったから食べないという選択もできず、仕方がないかと思いかけたところで、たまたま近くにあったはなまるうどんが目に止まった。あ、うどんもあったねえ、と連れが言ったのをほとんど遮るように、こっちがいい!と食い気味に言って、連れの気が変わるまえに、半ば強引に連れの手を引いて店内に入った。ほっとしたけど、マックは嫌なんだ、とただ一言連れに言えなかったことに落ち込んでいる。うどんはすっごくおいしかった。

北野武監督の『首』を観た。こんなにも好みの映画があっていいのか、というくらい、何もかもがストライクな映画だった。ホモソーシャルというのは、本来ホモフォビックなものである。大島渚監督の『御法度』が描くのは、ホモソーシャルの純度をかぎりなく煮つめた先に、本来は彼らにとって拒否の対象となるはずだったホモセクシュアルな欲望に結果的に寄ってしまう、ホモソーシャルの危うさへの皮肉だと思っている。だから作中で衆道は明確に背徳的なものとして描かれ、登場人物もそのことに自覚的である(『T-34』も、本人たちは自覚的ではないにせよ、イヴシュキンとイェーガーのある種の絆が性愛の域に "踏み外し" かけていることが明示的に描かれている作品だと思う)。それに対し、『首』で描写される男たちの愛憎は、ホモソーシャルの中に自然と溶け込み、彼らが自分たちの関係性に対して後ろめたさを感じている気配がない。ただそこにあるものとして描かれている印象があり、まちがいなく『御法度』の系譜を継いでいながらそこは決定的な違いで、それが良いなと思った。それでいて、暴力や支配を愛情や絆と混同するホモソーシャル特有の愚かさ、滑稽さは薄れない。そのあたりのバランス感覚がかなり良かった。

何よりも、キャスティングがすさまじかった。個人的に西島秀俊の演技にはそこまでぴんとくるものがなかったのだが、それでも誰も彼もがよかった。岸部一徳に千利休をやらせたのはひらたくいえば天才だと思ったし、ちょっと情けない役どころだったら右に出るものはいないんじゃないかと思う遠藤憲一も、ふっと翳りのある表情を見せる加瀬亮も……。

それなりに容赦なくグロテスクなので、観るのに胆力はいるが、上映中にもう一度くらい観に行けたらいいなあ。連れもすっかり気にいって、北野作品を頭からなめていこうかと企んでいる。