2023/12/28

見慣れない街で朝を迎えるときの独特の空気が好き。チェックアウトをして、連れが夏まで住んでいた街まで電車に揺られた。学生時代を過ごした街でもある。連れが大のお気に入りのアメリカンダイナーでブランチをとる。エッグベネディクトもサラダもクラムチャウダーも美味しくて、朝から満腹。連れの出勤まではもうすこし間があったので、腹ごなしに、連れが学生時代に友人たちと一緒に住んでいた家の周辺を散歩したりした。私もよく遊びに行った場所で、道順は忘れていたのに、角を曲がった瞬間の景色に一気に郷愁がよみがえってきて小さく叫んでしまった。変わっていなかった。

連れと駅で別れて、各駅停車でゆっくり家に戻った。帰宅したら、友人から誕生日プレゼントが贈られてきていた。同封されていた手紙を読んで、文字通り崩れ落ちるように泣いてしまった。湧き上がる気持ちの内訳をここに晒してしまうのはもったいないので、自分だけで抱きしめておく。

暗くなるまでは、連れに誕生日プレゼントでもらった美しいノートに日記をつけていた。書くのがもったいないよ、と連れに言ったら、たくさん汚してよと言われたのだけど、あまりに美しいので、一筆目を書き始めるのにずいぶん勇気を要した。淡い緑を貴重とした花柄のデザインを、連れは私らしいと思ってくれたらしい。

パソコンで文章を書くのにすっかり慣れてしまって、手書きだと言葉の出力スピードが間に合わないので、今ブログでやっていることをそのまま置き換えるのは難しい。その分、食べた店や会った人など、インターネットには残しにくい固有名詞を残す記録帳みたいに使いたいなあと思っている。書いたときはあたりまえに頭にあっても、数年経って日記を読み返したとき、「友人」と書かれたその人が具体的に誰だったのかは、けっこう思い出せなくなってしまうのだということに、最近気がついたから。

そんなことをしているうちに夕方になってしまい、掃除は手つかずのまま、慌てて身支度をして家を出た。会社の同僚たちとの小規模な忘年会である。数日前、会話の流れの中で同僚のひとりに、27日が誕生日であることは伝えていたのだが、参加メンバーにもうひとり誕生日の近い人がいて、私とその人のために後輩たちがケーキを用意してくれていた。気を使わせてしまったことに気が引けるいっぽうで、嬉しいことに違いはない。祝いたい、と思ってくれる気持ちは、どんなものであれまっすぐにありがたがっていたいものだ。

今年入社した後輩が、私の装いが一般的な会社員からはやや外れている(=タトゥーが入っている、インダストリアルのピアスをつけている)ことについて、「上司がピアスとかばちばちに開いてる人だって周囲の人に話してるんすよ」と話してくれたことも嬉しかった。すくなくとも私が入社した6年前よりもずっと、休暇は取りやすい雰囲気になったし、長時間労働は称賛ではなく是正の対象であると認識されるようになった。6年でも空気はちゃんと変わるのだ。それと同じように、「ちゃんとした人」とはかくあるべき、みたいな、外見に関するクソくだらねえ規範もどんどんぶち壊してやりたい。マナーとか常識とかで抑圧されて、なりたい自分を諦めてまで仕事をしたいと思えない。だから、ピアスもつけて、タトゥーも入れて、たまには金髪にしてみたりもして、すこしずつ常識を撹乱してやる。おまえらの思ってた窮屈な「ビジネスマナー」なんてもんを無効化してやる。そう思って意識的に装ってきたから、それがすこしでも認識されているのなら、こんな嬉しいことはない。それでも、後輩の話のネタになるくらいには、今の私はまだキワモノあつかいだ。キワモノだからと排除されないために、「話を聞く価値のある相手である」と思われるために、その手段として、私は資本主義の基準で評価されることを受け入れている。「仕事ができるなら、まあいいか」という空気を盾にしている。そして、その空気を利用し続けているかぎりは、別の抑圧を肯定していることになる。そこはまだ立ち向かう方法を見つけられていない。でも、私のひとつの抵抗の形が、他者の目に顕在しているというのは喜ぶべきことだろう、と思うことにする。