2024/1/29

昼:カオマンガイのご飯の残りにタレをかけたもの、トマトとパクチーのスープの残り
夜:鮭の西京漬け、ほうれん草と人参と干し椎茸の白和え、レタスの塩昆布マヨネーズ和え、納豆の味噌汁

・仕事の休憩中の連れから、数日前に着陸して発電できずにいた月面探査機の電源が復旧したらしいと連絡が来た。関連するニュース記事を検索してみて、着陸地点の付近の岩石には犬の名前がつけられているのを知った。無機質な灰色の月面に、「しばいぬ」「あきたいぬ」「セントバーナード」などと犬の名前が散らばっているちぐはぐさが愛おしくて、なんだか元気が出た気がした。

・ハイカステは今日が千秋楽で、SNSにはいろんな写真が上がっていた。なにかとタイミングが悪くて2回しか観られなかったが、好きな俳優を好きだと思える舞台で嬉しかった。その整った顔立ちゆえに、どうしても役の幅が限られるのがもどかしくて、もっといろんな役を演じたいと本人が会社に希望を伝え続けてきて、その先に今回の役があったのだと年末の配信で語っていた。やりたくて掴んだ役であることが素敵だし、そういうところがかっこいいと思う。勝手な想像だけど、この人にとって、年を重ねることはきっと枷ではないのだろう。できる役が増えるんだって思うのだろうなと。そういう人を見ていると年を重ねることが楽しみになるから嬉しい。

・夕食のあとは『モンスターズ・インク』を観た。高校生の頃、部活でテーマ曲を演奏したことがあったが、当時は未見だった。いつか観るだろうと先延ばしにしているうちに、気づけば10年以上経ってしまったが、ようやく触れられて嬉しい。とっても良かった。このひと月、PIXAR作品をよく観たけど、これも例にもれず、人間にあたえられた想像力を寿ぐような愛おしい作品だった。ディズニーが親イスラエル的な立場であることもあって、ディズニープラスのサブスクリプションは今月で解約したけれど、いつか、いつかもし観てもいいと思えるような世界になるなら、PIXAR作品はもっともっと観たいと思う。

・観終えたら日付が変わって連れの誕生日になっていたので、プレゼントを渡した。今年はご飯茶碗と、ノージンググラスとかグラッパグラスとよばれる、胴の下の方が膨らんでいて呑み口がすぼまったウイスキー用のグラスを贈った。ご飯茶碗は、数ヶ月前に前のを割ってしまい、それ以来ずっと丼碗で代用していたので、半ば必要に迫られて選んだ(自分で買うということはまずない人だから)。ただ、さすがにそれだけだと実用的すぎてロマンに欠けるなと思いながら売り場をうろうろしていたところ、ふとそのグラスが目に止まった。連れはこのところ「ウイスキーと仲良くなってきた気がする」などと言って、夜な夜なストレートでちびちび飲んでいたので、これだ!と思って即決した。以前、同じ赤ワインを2種類のグラスで飲んだときに、グラスが違うだけでこうも酒の味は変わるのかとかなり鮮烈な衝撃を経験したことがあったので、何かしら変わるだろうという期待はあったのだが、それにしても劇的だった。飲んでみるまで半信半疑の様子だった連れは、驚きのあまり無言で目を見開いていた。まず香りが全然違う。今まで飲んでいたショットグラスよりも、はるかに甘くて芳醇でフルーティ。口に含んでみても、アルコール度数の高さのもたらす、ぴりりとする辛味のような刺激がなくて、まろやかで甘く感じる。別の酒としかいいようのない変貌だった。こうも魅力的に化けるのか、と思って、グラスは装いなのだと理解した。酒はそれ自体が人間が生み出せる芸術の一形態だと信じているが、それをなおのこと美味しく、美しく、気高く演出してみせるのだという人間の飽くなき執着の結晶こそが、このグラスなのだろうと大仰なことを考えて、すっかり嬉しくなってしまった。中身は大層な逸品でもなく、そこらの食料品店で売られている角瓶である。飲む前は「もっと良いウイスキーじゃないとだめかもね」などと軽口をたたいていたのだが、それがいかに傲慢だったかを思い知らされた気分だ。ツールでこうも変わることを見せつけられてしまうと、今まで飲んだ酒もその真価を引き出してやることができていなかったのだろうと悲しくなる気持ちもあるが、何にしても、連れに喜んでもらえたので嬉しい。

・私はどちらかといえば日本酒とビール党で、ストレートでウイスキーを飲む楽しさを連れほど理解できているわけではないのだが、それにしても酒ってなんて素敵なものだろうとうきうきした夜だった。美味しい酒のもたらすときめきは、小説や詩、舞台、衣装、装身具、建築、映画、絵画、音楽、料理で、好きだと思えるものに出会えたときと同じものだ。それらは分化した美のあり方のバリエーションであり、私が愛するのは、それらを生み出すに能う、ほかならぬ人間の創作意欲そのものだからだ。どれかひとつにどっぷり浸かって、これなら語るに事欠かない!と思えるものがほしいと思うこともあるけど、きっと私にはそれは叶わない。美しい表現を追い求めるという行為、目で、耳で、舌で、指で味わうものの奥にある、人間に希望を持っていたいと思わせる光にこそ魅せられている。まあ前後不覚になるためだけにあるみたいな安酒だって、たまには悪くはないのだけど。